一人暮らしのちょっといい日
終業時間。
色々あったけど、なんとか乗り切った。
だけどまだまだ、やるべき仕事は沢山あるぞ!
デスクに座り直していると、部長が顔を出す。
「今日はみんな、残業なしで。早く帰ろう」
ざわ、と空気が揺れる。部長は、なぜか背後を気にしている。
壁に開く無数の目。
目目連が静かに視線を送っている。
会議室のガラスに、一瞬だけ白い影。
白沢が囁く。
(部下の働きに救われたのなら、相応のお返しが必要ですよね? 部長さん?)
部長は小さく咳払いをした。
「ほんと、今日はありがとう」
わたしは首をかしげる。
……急にどうしたんだろう。
ーー
会社を出る。
久々の定時あがり。仕事モードが抜けてつい良からぬ考えが頭に浮かぶ。
これは?ラーメン行っちゃう?ちょっと遠回りして気になってたお店はしごしちゃう?
ウキウキ歩いていると、足元でふわっと何かが跳ねる。
足首にまとわりつくすねこすり。
(お仕事終わり? やった!座敷童子にも言っとかなきゃ!)
ポケットでスマホが震える。ゲーム運営からの通知。
"本日ゲーム内イベント開催決定!!開始まで、あと1時間!!夕飯はデパ地下グルメで自宅パーティーがオススメです!"
「なんですって!」
絶対参加する。方向転換。デパ地下でちょっと贅沢なお惣菜を買い込む。
満足。
そのまま直帰。
ーー
自宅
玄関を開けた瞬間、キッチンから足音が鳴る。
(せっかくの定時上がりなのよ!ラーメン巡りなんてダメ!!)
座敷童子が腕を組んでいる。
(おとりのメールが効いた)
家鳴が得意気
(お手柄なのよ。でも材料ないから今日はお惣菜で勘弁してもらいましょ)
シャワーを浴びている間に、キッチンの電子レンジが静かに動き出す。テーブルには皿が並ぶ。ビールが冷蔵庫でほどよく冷えている。
(ちょっと、やりすぎじゃない?)
すねこすりの指摘に、座敷童子が気まずげに顔を逸らした。
タオルで髪の水気を取りながら出て来た佐伯。
すっかり用意の整ったリビングを見て
「あれ、やるじゃんわたし」
(……まぁ、良かったのよ。座りなさい)
ソファに座る。テレビをつける。早速ゲームにログイン。
「あれ?これ先週からのイベントだよね?」
(えへへ、ごめん……)
家鳴のごまかし笑いで壁が軋んだ。
でも関係ない。今日は時間がある。やるぞー。
部屋の梁が小さく鳴る。家鳴がうずうずしている。
(はやくはやく!スタートスタート!)
コントローラーが、微妙に手に馴染む角度へ転がる。
「今日、最高じゃん」
美味しいご飯とゲームに私は上機嫌であった。
ーー
就寝
「よしよし、これなかなかいい結果じゃない?」
画面の中で花火が上がる。イベント完全達成。特別報酬ゲット。
「いやん、わたしってすごい?」
デパ地下グルメの空き容器がテーブルに並ぶ。ビールは一本だけ。
ほんのり酔いが回って、最高の気分。
コントローラーを置こうとした、その瞬間。柱が、ぴし。壁が、ぱし。小さな音が連続する。
(え、もう終わり?)
梁の奥から、名残惜しそうな声。家鳴が天井を小刻みに鳴らす。
(もっと続き、続き)
でも、その音をかき消すように――
♪ お風呂がわきました ♪
佐伯はすっと立ち上がった。
(はいはい、今日はここまで)
先んじてお風呂の用意をしていた座敷童子が少し得意気に言う。
天井が、少しだけ沈黙する。
(けち)
ーー
湯船に身を沈める。
ああ。生き返る。
今日一日の、ちいさな緊張がほどける。
「ふぅ〜、いい湯だわ」
定時上がりだったのに、結局ゲームで夜更かし。でも昨日よりは早い。それならセーフ。
脱衣所の隅で、小さな足音。待機していたすねこすりがベッドまで先導。
(もう寝るよ〜)
部屋では、畳も静かに鳴る。座敷童子が優しく微笑む。
(せっかく早く帰ってきたのよ?今日はゆっくり休むといいのよ)
ーー
ベッドに入る。いつもふかふか。今日もふかふか。
目を閉じる。
今日もちゃんと働いた。ちゃんと楽しんだ。なんとかかんとか上手く回った。
悪くない一日だった。
「明日も頑張ろ」
眠りに落ちる直前。天井の奥で、畳の隅で、足元の影で、
小さな気配たちがそれぞれの場所につく。
家鳴は梁に戻り、座敷童子は台所を見回し、すねこすりはベッドの下へ潜り込む。
彼女は何も知らない。
今日が“うまく回った理由"を。
明日もきっと、
ちょっと困って、ちょっと助けられて、きっとだいたい普通に終わる。
そして彼女は、また言うのだろう。
「やっちゃった。でもなんとかなったなぁ」
と。




