二人暮らしはいつまでも続く
すっかり忘れていたところに不動産会社からの連絡。
私はその日、結局折り返しの連絡は出来なかった。
ーー
「みんな優しかったね〜、良かったよ〜。でも、部長も変わったよね!これからまた頑張ろうね!早苗ちゃん!」
帰宅中、先輩は久々の職場の感想やこれからの生活について楽しそうに話している。
かろうじて笑顔で受け応えはしていたけど、私の心はグシャグシャだ。
ーー
夕飯中も先輩はいつも通り。
「しばらくはお仕事大変だけど、ペースが戻ったらまたお買い物とか行きたいね~。」
「あ、そうだ!温泉行ってる間に止まってた分ゲームも進めないと!」
「せっかくリフレッシュしたのにやることいっぱいだね~、でも楽しい!」
夕飯を食べ終えて、順番にシャワーも浴びて、今はリビングで就寝前の自由時間。
「あの、先輩、ちょっとお話しが……」
聞こえていないのか、先輩はゲームの準備に夢中。
「よしっ!早苗ちゃん!いよいよ新ステージにチャレンジしちゃう!?」
先輩がコントローラーを取り出す。
「あの……、先輩」
自分の声が驚くほど小さい。
「行くよ!今日は頑張っちゃうんだから!」
先輩は私の声に気づかずにゲームを起動した。
「先輩!」
先輩の肩がぴくりと震えた。
「……ダメ」
「先輩?」
「いやっ!ダメっ!聞きたくない!」
突然、コントローラーを投げ出して、両手で耳を塞いで、先輩はうずくまってしまった。
今日、帰宅してから初めて、梁が軋んだ。
ーー
「せっかく帰って来たんじゃん……」
「あの、先輩……」
「今じゃなくても……いいじゃん……」
梁が、天井が静まり返る。
キッチンの、足元の気配が息をひそめる。
窓の向こうで、白い影がため息を吐いた。
あぁ、そうか。
デスクの電話、伝言を聞いたのは……
ゆっくり理解がやってくる。
先輩は知ってたんだ。それでも、先輩は、分かっていて、いつも通りを演じてくれていたんだ。
気がついてしまったら、涙が溢れてきた。もう前が見えない。先輩の背中もボヤけている。
でも、そっと先輩の背中に手をかけて、それからギュッと抱きしめた。
「今日、不動産会社から連絡がありました」
「多分、部屋の復旧が終わったんだと思います」
「でも、私、先輩と、この部屋が……」
「ずっと……ここに居たっていいじゃん……」
先輩の涙混じりの言葉
キッチンの奥からの足音が、足元をフワリとくすぐるなにかが、瞬く天井の気配が私を引き留めてくれる。
心が揺れる。ここに居たい。
先輩と、この部屋と……
「先輩、私達、楽しかったですよね。」
「うん」
「私、先輩のこと大好きです」
「うん」
「もちろんこの部屋だって……」
「じゃあ!だったら!」
肩を振るわせる先輩を、もう一度強く抱きしめる。
「私、先輩にお世話になりっぱなしで」
「でも、それだけじゃダメだと思うんです」
なんで?どうして?そんな顔で先輩がこちらを見上げた。
「この部屋で、私初めて知ったんです。甘えることとか、信頼することとか」
「私、これからも先輩と一緒に居たいです。」
「だからっ、今回はっ……」
「ありがとっ、ございましたっ」
絞り出した感謝の言葉のあと、二人で大泣きした。
ーー
翌日、不動産会社へ連絡をした。部屋の復旧はあとほんの数日で済むらしい。
その間に会社への手続きも済ませ、わたしは自分の部屋に戻る準備を整えた。
引っ越し当日、先輩は、少し悲しそうな、寂しそうな顔をしていたけど、でも喜んでもくれた。
「早苗ちゃん、いよいよ帰っちゃうんだ。でも、お部屋がもとに戻ったんだから良かったんだよね。」
「本当にお世話になりました。私、先輩のおかげで、本当に……」
「まぁ、別にお別れじゃないんだし、これからも会社で会うし、それに意外とご近所だし。これからもよろしくね、早苗ちゃん!」
そんなことをいいつつ、いざ玄関をでていく私を見送る先輩の目は、ちょっと涙ぐんでいた。
「早苗ちゃん、また、いつでも遊びに来てね」
「はい、先輩」
本当に、本当にありがとうございました。
先輩と、この部屋に深く礼をする。
梁が小さく鳴り、天井から瞬きの音が聞こえた。
キッチンの優しい気配、足元をくすぐる感覚。
そして、窓の向こうからこちらを見守る白い影。
大変な目にあって、でもいつの間にか大切になったこの部屋。
その扉を閉じて、私はまた少し泣いた。
ーー
自宅では、待っていた管理会社の担当者立ち合いのもと、業者の人と引き渡しの確認をした。
最終確認が終わり、担当者も業者の人も帰っていった。
部屋の中には静けさだけが残る。
引越しは完了。一時退去中のわずかな荷物をあの部屋から持って帰ってきただけ。
あの、最初の日のように、キッチンに立って天井を見上げてみる。
ダメになった家具は保険で新品に入れ替え済み。床も、壁も問題ない。
すべて元通り。
でも、ここに立つ私は、少しだけ変わっていた。
「……ただいま」
そう言ってみても、もちろん返事はない。
静かな部屋だ。当たり前だけど、天井も鳴らないし、足元をくすぐる気配もない。
少しだけ寂しくて、思わず苦笑してしまう。
「はぁ……」
ため息を吐いたら、見計らったかのようにスマホが震えた。
佐伯先輩からのメッセージ。
『夕飯作りすぎた〜!早苗ちゃん来る?』
なんてタイミング。
思わず吹き出してしまった。
あの人は、本当に変わらない。
私はキッチンの電気を消して、鞄を肩にかける。
「もちろん……行きます」
外に出ると、夕方の風が少し涼しい。
――
見慣れたアパートの灯りが見えてきた。
ついさっき出たばかりの、あの部屋。
玄関の前に立つ。
深呼吸して、インターホンを押した。
扉が開く。
「おかえり!早苗ちゃん!」
先輩の明るい声。
その奥で、
どこかで目が瞬いて、足元には、ふわふわした何かがいて、得意気に笑うキッチンの気配が迎え入れてくれる。
そして、ほんの微かに梁が鳴った気がした。
「……ただいま、先輩」
私は、一人暮らし、一人で暮らしている。
でも、私には、もう一つ帰れる部屋がある。
皆様、拙作にお付き合いいただき誠にありがとうございます。
新たに水上を迎えてお贈りしました第二部もこれにて終了となります。
続けて第三部も投稿の予定です。
よろしければもうしばらく、憑き物たちを交えた暮らしについて、お付き合いのほどお願いいたします。




