二人暮らしと送り狼
今日は会社の飲み会。
他部署との合同企画が軌道に乗った、その慰労会。
上司や同僚と他愛もない話しをしたり。
新たな知り合いと親睦を深めたり。
みんなそれぞれに楽しんでいるなか、私水上は辟易としていた。
「ねぇ、水上さんて彼氏いるの?」
「あ、なんか飲む?俺頼んであげるよ。」
営業部所属の男性社員がしつこく絡んでくる。
「企画部なら俺のこと知ってるでしょ?」
知らない。
興味ない。
こういうとき、どうすればいいのか私は知っている。
角を立てず、波風を立てずやり過ごす。
でも今は。
(……うちの部屋なら、梁が軋むわね)
ふと、そんなことを思ってしまった。
「すみません。飲みすぎると明日つらいので、今日は控えます」
やんわりと、しかしはっきり断った。
しかし相手は空気を読まない。
「ちっ、ノリ悪いなぁ。クール気取りかよ、つまんねー」
身勝手で心無い、棘だらけの言葉。
大丈夫、私は傷つかない。
でも、その棘を許さない人が声を上げた。
「ちょっと!あなたさっきから失礼ですよ!早苗ちゃんは優しくて、真面目で、可愛くて、つまんなくなんかないし!」
真っ赤な顔で言い募る佐伯先輩。
「そうっすよねー、早苗ちゃん可愛いっすよねー」
息を吹き返すナンパ男。
先輩、ごめんなさい。
逆効果です。
横から別の声。
「君、営業部なりの人付き合いは私も知っているよ。しかし押し付けは良くないな。佐伯君も水上君もうちの大切なメンバーなんだ。これ以上はやめておきなさい。」
最近人望を集めている我が部の部長だ。
ナンパ男はすごすごと去って行った。
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帰り道、佐伯先輩は思いの外酔っ払っていた。
「早苗ちゃんはぁ!わたしがまもるのりょ〜!」
大変心強いです。
肩を貸して歩き始めたところで、タイミングを測ったように声がかかる。
「あれぇ、どうしたんすかぁ。良かったら送りますけどぉ」
まわりには、もう部長も同僚もいない。
最悪。
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「大丈夫です、帰れます」
そう言っても、駅までの道を並んで歩くナンパ男。
夜道。
街灯の下、やけに距離が近い。
「水上さんってさ、ちょっと冷たいよね。でもそういうとこが魅力っていうか?」
笑い声が近い。
一人ならまだしも、今は酔い潰れた先輩がいる。
これは少しまずいかも。
状況に少し焦りはじめていた。
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そのとき。
……グルゥルゥゥ
ナンパ男とは別の、剣呑な気配がした。
振り返る。
誰もいない。
背中のぞわりとした感覚が、本物の危険を知らせている。
「ん?何?暗いところ怖いとか?可愛いー」
ナンパ男にはわからないのだろうか。
部屋のみんなとは違う、危険な刺激臭が漂う。
静かに息を潜めたなにかが、獲物を見つめている。
足元でアスファルトが、かすかに軋む。
背後の街灯が、ちか、と瞬いて消える。
生まれた暗がりから、大きな獣の影が這い出てくる。
「あれ……なんか、寒くね?」
営業部の彼が、やっと周りの空気に気付いたとき、
その瞬間、彼の足元をすねこすりが掠めた。
つまづき、後ろを振り返るナンパ男。
消えた街灯の下に何を見たのか、直後、夜の道に絶叫が響いた。
「うわっ!何だ!いや違う!嘘だろ!やめてっ!すいません!」
恐慌に陥ったナンパ男は何に翻弄されているのか、意味のわからない言い訳を叫びながら、一人で転び、壁に頭を打ちつけ、ゴミ箱に突っ込んでから逃げ去っていった。
突然の騒動、しかし、気がつくと、まわりの空気は元に戻っていた。
先輩が私の肩でムニャムニャとつぶやく。
「頼りになるよね〜」
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駅へと向かった佐伯と水上の姿もすでにない夜の道。
低く、落ち着いた白沢の声が落ちる。
(この私が守護しているのです。浅薄な悪意など2人には寄せ付けはしません。)
(そのためには、知恵も技術も、……怪異さえ使いようです。)
消えた街灯の下、
獲物を逃した狼が顎を鳴らした。
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部屋に帰り着いた水上は、やっと肩から力を抜いた。
なんとか難を逃れたとはいえ、やはり怖かったのは事実である。
以前は気を失うほど怖かったこの玄関が、これほど安心できる場所になるとは。
佐伯を抱えてリビングに入ると、ほっと息が抜けた。
当人は、フニャフニャ言いながら寝室へ消えていった。
その背中を見送ったあと、
「ただいま」
つぶやくと、梁がピシッと小さくこたえを返してくれた。
怖かった。
本当に。
安心したせいか、今になって目尻に涙が滲む。
(おかえりなのよ。あら、何?酔っ払ってるの?お水飲むのよ)
テーブルに、いつの間にかコップが置かれている。
両手でコップを持って、少し迷ってから小さく言ってみた。
「ありがとう……」
キッチンの床が優しく軋んだ。
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布団に入る。
今日は改めて、現実の怖さを知った。
外では、悪意に晒されることもある。
この部屋の怖さとは違う。
この部屋は、善意が過密なだけだ。
布団の裾に、くるりと丸まる重み。
今夜は、それが頼もしかった。




