おじさん、特定される(されない)
ドラゴン動画がバズってから一週間。
俺の周りは、相変わらず騒がしかった。
漫画喫茶のフラットシートで目を覚まし、スマホを開けば通知の嵐。
コメント欄は毎日のように更新され、新しい考察動画が次々とアップされている。
正直、見るのも嫌になってきた。
「おじさん、見て見て! 特定班の新しい推理!」
悠が、スマホの画面を俺の鼻先に突きつけてくる。
いつものファミレス、いつもの席。
だが、話題はいつもと同じく、あのドラゴン動画についてだ。
『【考察】ドラゴンを倒したエルフの正体を徹底検証!』
再生回数、五十万超え。
サムネイルには、俺がドラゴンに剣を突き立てている瞬間が切り取られている。
タイトルだけで胃が重くなる。
「また増えたのか」
「うん! 今度は『元オリンピック選手説』だって!」
「オリンピック?」
「弓の動きが洗練されてるから、元アーチェリーのオリンピック選手じゃないかって。フォームが綺麗すぎるって言ってた」
——弓を引いてたのは涼子だ。
俺じゃない。
まあ、変身してりゃ誰がやってるかなんて分からないから、仕方ないか。
「他にも色々あるよ。『元傭兵説』『元自衛隊特殊部隊説』『CGクリエイター自作自演説』『実は複数人説』……」
「複数人?」
「うん。動きが良すぎるから、一人じゃなくて複数人が入れ替わりで演じてるんじゃないかって」
——それ、方向性だけは合ってる。
変身バングルで姿を変えているから、見た目が同じでも中身は別。
という意味では、複数人説はある意味正しい。
まあ、戦闘してるのは俺一人だが。
「でも、どれも的外れだよね」
「そうだな」
悠がスマホをスクロールして、急に声のトーンを落とす。
「『異世界から来た勇者説』ってのもあったけど、誰も信じてなかったよ」
「……そうか」
一番正解に近い推理が、一番笑われている。
コメント欄には「草」「ラノベの読みすぎ」「厨二病乙」といった反応が並んでいた。
世の中、そんなもんだ。
□
ファミレスのドリンクバー。
俺はコーラを、悠はメロンソーダを、朱音はウーロン茶を、涼子はオレンジジュースを選んでいた。
四人でテーブルを囲むのも、もうすっかり日常になっている。
「ねぇ、おじさん」
朱音が、ストローでウーロン茶をかき混ぜながら言った。
「特定班って、結構本気で調べてるよね」
「みたいだな」
「いつか、本当に特定されたりしない?」
「……」
正直、その可能性はゼロじゃない。
今は的外れな推理ばかりだが、いつか誰かが当たりを引く可能性は否定できない。
数撃ちゃ当たる、というやつだ。
「大丈夫じゃない? おじさん、変身してるし」
悠が軽く言う。
軽いのはいつもこいつだ。
楽観的というか、能天気というか。
「変身してても、動きの癖でバレることはある」
「じゃあ、どうするの?」
「……攪乱する」
「攪乱?」
三人がそろって首を傾げた。
悠はメロンソーダのストローを咥えたまま、朱音は眉をひそめて、涼子は不安そうな顔で俺を見ている。
「変身バングルを使って、同じ見た目の『別人のエルフ』を何人も作る。そうすりゃ、追ってる連中の軸がぶれる」
「なるほど! 影武者作戦だ!」
悠が、パッと顔を明るくした。単純な奴だ。
「でも、それって誰が変身するの?」
「俺以外の誰かだ。お前たちでもいいし、他の人間でもいい」
「私たち?」
涼子が目を丸くする。
「戦う必要はない。エルフの姿で、人目につくところを歩くだけでいい」
「……歩くだけ?」
「歩くだけだ。それで十分」
涼子の肩から、目に見えて力が抜けた。戦闘を想像して身構えていたらしい。
「それなら……まあ……」
「やろうやろう!」
悠が椅子から立ちかける。
勢いだけはいつも満点だ。
「待て。ちゃんと段取りを決める」
「段取り?」
「ああ。適当にやると、変なところで足がつく。時間と場所、全部合わせてから動く」
俺がそう言うと、三人は渋々座り直した。悠だけは、まだそわそわしている。
□
翌日。
作戦は単純だ。
同じ時刻に、ダンジョン内の異なる階層で、同じエルフの姿が目撃される。
俺は一階層の入り口付近。
涼子は三階層。
朱音は二階層。
悠は一階層の奥のエリア。
四人が同時にダンジョン内の離れた場所で目撃されれば、「エルフは複数いる」という認識が広まるはずだ。
ダンジョン内は冒険者が多いから、目撃情報はすぐにネットに上がる。
「十時ちょうどね」
悠がスマホの時計を確認しながら言った。
「五分だけ姿を見せる。写真を撮られてもいい。ただし、変身を解く場所だけは絶対に人目のないところで」
「了解」
「分かった」
「おっけー」
四人が、それぞれの持ち場に散っていった。
□
十時ちょうど。
俺は、ダンジョンの一階層、入り口付近に立っていた。
変身バングルでエルフの姿になり、わざと目立つようにゆっくりと歩く。
ダンジョンの浅い階層は、いつも冒険者たちで賑わっている。
その中を、尖った耳と銀髪のエルフが堂々と歩けば、嫌でも目立つ。
「あれ、エルフじゃね?」
「マジだ。動画のやつ?」
「写真撮ろうぜ」
スマホが何台もこちらに向けられる。
俺は軽く手を振ってから、奥の通路へと歩いていった。
——よし、目撃された。
五分ほどダンジョン内をうろつく。
その間にも、何人かの冒険者とすれ違った。
その都度、驚いた顔でこちらを見てくる。
十分に目撃されたと判断してから、人目の薄い通路に入り、変身を解いた。
スマホを確認すると、三人からLINEが来ていた。
『涼子:三階層で目撃されたよ! 写真も撮られた!』
『朱音:二階層もばっちり。なんか、サインくださいって言われた』
『悠:一階層の奥、人少なくて大変だった……河童になりたかった……』
——悠、エルフになれって言っただろ。
河童はやめろ。
今日の目的は、「同じエルフが複数いる」と思わせることだ。
……まあ、文面の感じだと、ちゃんとエルフでやったみたいだから、いいか。たぶん。
□
その日の夜。
ネット上では、案の定騒ぎになっていた。
『【速報】ドラゴンのエルフ、同時刻にダンジョン内の複数階層で目撃される』
『一階層と二階層と三階層で同時に……瞬間移動かよ』
『エルフ分身説浮上』
『やっぱり複数人だったか』
『いや、瞬間移動できるんだろ』
『瞬間移動wwwww』
『四人説が有力になってきたな』
俺は漫画喫茶のブースで、スマホを見ながら小さく息を吐いた。
——計画通りだ。
「一人」じゃなくなれば、特定作業の難易度は跳ね上がる。これで少しは時間を稼げるはずだ。
……そう思っていたのだが。
□
翌日。
管理局から、また電話がかかってきた。
『荒谷さん。昨日の件について、お話があります』
桐島の声は、相変わらず丁寧だ。
だが、今日はその丁寧さの下に、別の温度が混じっている気がする。
探るような、試すような。
「昨日の件?」
『ダンジョン内で同時にエルフが複数目撃された件です』
「……ああ。ネットで見ました」
『あなた、何かご存知ありませんか?』
「いえ。何も」
『本当ですか?』
「本当です」
短い沈黙が流れた。
電話越しでも、桐島が何か考えているのが分かる。
『……荒谷さん。正直に言いますね』
「はい」
『あなたの誤魔化し方、手慣れすぎです』
「……」
『普通の人間なら、もう少し言葉が濁ります。言い淀んだり、余計なことを付け加えたり。でもあなたは、最初から一定の調子で答える。まるで、こういう状況に慣れているかのように』
——やめてくれ。
そういうところ、拾うな。
異世界にいた頃、俺は何度も追手をかわしてきた。
その経験が、今になって裏目に出ている。
『私としては、あなたを疑いたくありません。ですが、上からは色々と言われていまして』
「上?」
『ええ。特別顧問のエルシアさんが、あなたに興味を持っているようです』
——また、その名前だ。
胸の奥が、薄くざわつく。
「その方は、何と?」
『「彼の動きは、普通の人間のものではない」と。「まるで、長年の戦闘経験があるかのようだ」と』
「……」
『荒谷さん。あなた、本当は何者なんですか?』
俺は少しだけ間を置いてから、いつもの答えを口にした。
「ただの、ダンジョン配信者のカメラマンです」
『……そうですか』
声のトーンが、「信じていない」と言っている。だが、追及はしてこなかった。
『今日のところは、ここまでにしましょう。ただ、何かあればまたご連絡します』
「分かりました」
通話が切れた。
俺は、ため息をつきながらスマホをポケットにしまった。
——特別顧問のエルシア。
その名前には、心当たりがある。
向こうにいた頃、エルシアという名前を聞いたことがある。
召喚魔法の研究をしていたハイエルフで、俺が召喚される時の事故で行方不明になったと聞いた。
王宮の連中は「時空の裂け目に巻き込まれた」と言っていたが、詳しいことは誰も知らなかった。
俺がこっちに戻ってきたのと同じように、エルシアは逆にこっちに飛ばされたのかもしれない。
もしそうなら、十年間、この世界で生きてきたことになる。
直接会ったことはないから、顔は知らない。
だが、もし同一人物なら——
「おじさーん!」
悠の声が、俺の思考をぶった切った。
「どうした」
「学校で、大変なことになってる!」
「大変なこと?」
「涼子が、『エルフ部』って呼ばれ始めてる!」
「……は?」
□
悠の説明によると、こういうことらしい。
先日、涼子たちが弓道場で練習していたところを、弓道部の誰かに見られていた。
その時、涼子の弓の腕前が異常に上達していたことが、じわじわと話題になっていたらしい。
矢が的の中心に吸い込まれるように飛んでいく様子は、確かに目を引くものがあっただろう。
そこに、昨日の「エルフ複数目撃」事件が重なった。
弓道部内で、「西園寺さんがエルフなんじゃないか」という冗談が飛び交い始めた。
最初はただのネタだったのだろう。
だが、それがいつの間にか「エルフ部」という謎の呼び名に発展したらしい。
「マジで意味分かんない……」
涼子が、頭を抱えながら言った。
「エルフ部って何。そんな部活ないでしょ」
「でも、涼子の弓の腕前が上がってるのは事実じゃん」
朱音が、にやにやしながら言う。
「それは、おじさんの弓が——」
「しーっ!」
俺が、涼子の口元を手で塞いだ。
「ここ、ファミレスだぞ。周りに聞こえる」
「あ、ごめん……」
涼子が小声になった。
周囲を見回すと、近くの席に他の客がいる。危ないところだった。
「それでさ、先輩に言われたんだよ」
「何を」
「『今度、話を聞かせて』って。『ダンジョンで何かやってるんでしょ? 私も興味あるから、教えて』って」
——それは、まずい。
冗談のままなら放っておけばいい。
だが、弓道部の人間が本気でダンジョンに興味を持ち始めたら、色々と面倒なことになる。
「どうする、おじさん」
「……当分、道場で目立つ練習は控えろ」
「えー、でも——」
「『えー』じゃない。今は目立たないことが最優先だ。大人しくしてろ」
涼子が不満そうな顔をしたが、渋々頷いた。
「分かった……」
「それと、『エルフ部』の件も適当に流しておけ。『そんなの知らない』って言い続ければ、そのうち飽きる」
「……うん」
涼子が、しょんぼりした顔をする。
かわいそうだが、今は仕方がない。
□
その日の夜。
俺は、漫画喫茶のブースで、ネットの反応を確認していた。
フラットシートに寝転がりながら、スマホをスクロールしていく。
「エルフ複数目撃」の件は、相変わらず話題になっている。
『四人説が確定したな』
『いや、変身能力があるんじゃね?』
『変身wwwww 何それwwwww』
『瞬間移動より現実的だろ』
『どっちも非現実的だわ』
——変身能力。
それ、正解なんだけどな。
まあ、誰も本気で信じていないようだから、いいか。笑われているうちは安全だ。
さらにスクロールすると、また新しい説が出てきていた。
『【新説】エルフの正体は、政府の秘密部隊』
『政府がダンジョン攻略のために育成した特殊部隊説』
『それならすべて説明がつく』
『四人同時出現も、政府なら可能』
『陰謀論乙』
——政府の秘密部隊、か。
まあ、管理局の協力者になれば、ある意味そうなるのかもしれない。
俺は、ため息をつきながらスマホを置いた。
特定班の推理は、相変わらず的外れだ。
それは助かるのだが、逆に不安にもなる。
いつか、誰かが正解に辿り着くんじゃないか。
その時、俺はどうすればいいんだろう。
——考えても仕方ないか。
俺は、毛布にくるまって目を閉じた。
漫画喫茶のフラットシートは、相変わらず狭い。
管理局の報酬を受け取れば、ちゃんとした部屋に住めるのだが——
——いや、やめておこう。
管理局に協力すれば、ますます面倒なことに巻き込まれる。
今の生活は不便だが、自由だ。自由を手放すのは、もう少し先でいい。
そう思いながら、俺は眠りについた。
□
翌朝。
「おじさん、大変!」
また、悠からの電話で起こされた。
漫画喫茶のフラットシートで、スマホのバイブ音に叩き起こされる朝も、そろそろ慣れてきた。
「……今度は何だ」
「特定班が、新しい説を出してる!」
「また的外れな推理か?」
「ううん、今度は違う……」
悠の声が、いつになく真剣だ。嫌な予感がする。
「『エルフの正体は、ダンジョン配信者のカメラマン説』だって!」
「……は?」
俺は、一気に目が覚めた。
「どういうことだ」
「えーと、『エルフが出現する場所と、キラキラスリースターズの撮影場所が一致している』って……」
「……」
「『キラキラスリースターズには、謎のカメラマンがいる。そのカメラマンが、エルフの正体なのではないか』って」
——やばい。
それは、当たっている。完全に正解だ。
「おじさん、どうしよう」
「……落ち着け。まだ、推理の一つに過ぎない」
「でも、結構拡散されてるよ!」
「拡散されてても、証拠がなければ確定しない」
「証拠……」
「俺の顔は、変身してるから分からない。動画にも映ってない。だから、証拠はない」
「そっか……」
悠が、少し安心したような声を出した。
「でも、これからは気をつけないとな」
「うん……」
「お前たちも、俺のことを『おじさん』って呼ぶのは、人前では控えてくれ」
「えー、じゃあ何て呼べばいいの」
「……名前でいい」
「名前? 荒谷さん?」
「それでいい」
「えー、なんか他人行儀……」
「他人行儀でいいんだ。目立たないためには」
悠が、不満そうな声を出したが、了承してくれた。
「分かった……。でも、二人きりの時は『おじさん』って呼んでいい?」
「……好きにしろ」
「やった!」
悠の声が、一気に明るくなった。単純な奴だ。
俺は、ため息をつきながら電話を切った。
特定班の包囲網が、少しずつ狭まっている気がする。
だが、まだ大丈夫だ。まだ、証拠はない。
——たぶん。
俺は、不安を振り払うように、漫画喫茶のブースを出た。
今日も、撮影の仕事がある。
平穏な生活は遠いが、とりあえず目の前のことをやるしかない。
それが、元勇者の日常だ。
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