ブドウイロノケイコク
弘徽がプロデュースするブティック〝妖艶〟を出たあと
葵はヒカルに連れられ、道路を挟んで向かい側に建つホテルの一室にいた。
弘徽のホテルと違い、それほど大きくはないが
高級感漂う老舗のホテルである。
ライトダウンされたホテル内は人気が少なく
シックな雰囲気に包まれていた。
派手好きなセレブが弘徽のホテルなら
こちらは大人の隠れ家的ホテルと言ったところであろう。
葵はシンプルなワンピースに着替えると、鏡の前に立ち
短い前髪をおでこに押しつけた。
「伸びろ伸びろ伸びろ〜…」
すると薫は葵の背後に立ち
手に持っていたブラシで髪の乱れを整える。
「あら、前髪伸ばすの?短いほうが可愛いわよ」
「なんか、短いのはどうも落ち着かなくて」
「そうなの?でもあなたのチャームポイントは目じゃない?
勿体ないから思いっきり見せつけなくっちゃ」
「めっ、目がチャームポイント?」
葵は目を細め、鏡を覗き込む。
「ええ、その人を虜にする瞳。あら、一番じゃなかったの?
…だとしたら~ん?」
薫は手を口に当て一般的なオネェポーズをとると
一歩下がり葵を下から上までじっくり眺めた。
そして直に〝あぁ~ん〟と頷く。
「そういうことね!その洋服の下に隠された抜群の…」
「ウォホッオホッオホッ…!」
椅子に座り静かにコーヒーを飲んでいたヒカルがむせ返った。
「やだ、ヒカルくんまで零しちゃったの?」
ハンカチで口を拭いながらヒカルはシャツを見下ろした。
「…いや、大丈夫。
それより薫さん、この後仕事が入ってるんじゃなかった?」
「やだ!すっかり忘れてたわっ」
葡萄色に染まったファーとドレスを紙袋に入れると
薫は再び葵のもとへと戻って来た。
「じゃあこれ、クリーニングに出しておくわね」
「そんな、私持って帰ります!」
「いいのよ、他にも沢山あるんだから気にしないで」
「でも、洋服までお借りして」
「あら、貸した訳じゃないわ。
それ葵ちゃんのよ。今日、あなたに合う洋服を探しにショップ巡りしていたの」
「えっ?」
「ヒカル君と一緒にね」
薫は小指を立てた手を口元に添え、葵の耳元で声を潜めた。
「葵ちゃんにピッタリなお洋服がたくさん合ったんだけど
どれもこれも却下されて、結局ヒカル君が全部選んだのよ!
はっきり言って可愛くないでしょ?」
葵は改めてワンピースを見下ろす。
スカート丈はちゃんと膝までの長さがあり、襟空きも小さくシンプルなデザインだ。
(ヒカルが一緒に行ってくれて良かった‼)
葵は口には出さなかったが目でヒカルに〝有難う!〟と訴えた。
「そんなに気を落とさないで!
今度こっそり超カワイイの集めておいてあげるからっ」
「い、いいえ大丈夫です!そんな無駄使いしないでくださいっ」
「あら、若いのに偉いわね
それとも旦那様の好みに染まるって感じ?キャーッ!」
「…あはははは」
仮面夫婦の為、ここで否定はできない。
「じゃあヒカル君、私はこれで失礼するわ。葵ちゃんもまたね♪」
薫はニッコリ微笑むと、足早に部屋を出た。
葵は薫を見送ったあと、部屋の方へと振り返る。
(案外気にしてくれてるんだ?
お見合いの時だって助けてくれたし
今日だって弘徽のお母さんに誤解を解いてくれた。
ヒカルは表現下手なだけで、根はいい人なのかもしれない
とりあえずお礼を言わないと…)
葵はヒカルの傍まで近づき、こくんっと頭を下げた。
「迷惑ばかりかけちゃってごめんなさい
それと、色々とありがとう」
思いがけず自然に笑みが零れる。
だが葵の一方的だった和やかなイメージは一瞬に消し去られた。
いつも以上に鋭く刺す様な凍てつく瞳がそこにあった。
「婚約を解消して弘徽に乗り換えるつもりだったのか?」
「えっ⁈そっ、そんなわけ…」
「弘徽が飽きるかどうかは別として
今の段階で、お前のことに興味を持っているのは間違いない。
家より朱雀家の方が財力はあるしな…」
「ちょっと待って…」
「あの妃女にさえ気に入ってもらえれば
会社の援助を引き受けてくれるだろう」
葵は愕然とする。
(ヒカルを一瞬でも良い人だって信じた私がバカだった…
やっぱりヒカルは間違いなく冷酷無比な男だ!)
葵はカーッとこみ上げてくる怒りに唇を噛み締めた。
だが一生めぐり合えないであろうこの好条件の婚約を破棄する訳にはいかない。
ゆっくり息を吐き出し気持を落ち着かせた。
「朱雀先輩となんて絶対考えられない…
お互い干渉しない自由な関係だって言ってくれたから
だから、この結婚を受けようと思ったんでしょ」
するとヒカルはサッと立ち上がり葵を引き寄せ自分の体に押し付けた。
そしてもう片方の手がスルリと腰に回される。
「俺だっていつ心変わりするか分からないぜ。
暇つぶしに夜の相手を強要する事になるかもしれない
それでもいいのか…」
ヒカルは葵にほんの数ミリ程の距離まで唇を近づけた。
だが葵の反応は、ヒカルが予想していたものと大きく違っていた。
「…ああ⁈それなら大丈夫!」
葵の明るい声にヒカルの眉がピクリと動く。
「実は、オセロでもチェスでも将棋でも
初等部の頃から負けたことがないの!
あっ、女子としか対戦してないから、どれくらい強いかは分からないけど?
でも暇な夜の相手なら任せてよ!」
ヒカルはしばらく瞬きもせず葵を見ていた。
だがプイッと顔を横に向け手を離す。
「家まで送るからすぐに用意しろ」
「はーい!」
ヒカルは軽いため息を吐くと
葵の準備を待つわけでもなく、部屋から出て行った。
ヒカルの真意とは全く違う意味でとらえた葵は
いつもと変わらぬ表情に戻り
バッグを手に取ると、尻尾を振る犬の様にヒカルの後を追いかけた。




