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蝶を飼う  作者: 鮎川 了
第三章 闇喰う闇
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人間ではないもの





 「また、随分古い写真だこと」

 夜羽が旅行から帰るや否や、例の写真を突き付けた。

 心の葛藤は有った。

 だが、夜羽が父の行方の手掛かりでも持っていればと言ういちるの望みも有るし、もうひとつの疑問も、早く払拭したかったのだ。


 「父とは……どう言う関係だったんだ?」

 むしろ、そんな事はどうでもいい。

 でも、何故か単刀直入に質問出来ない自分がもどかしかった。

 「アマミヤヨシト、ホンゴウジヤワ」

 夜羽よはねは写真の裏に書いてある文字を読み上げる。話をはぐらかそうとしているのかと思ったが

 えっ?“やわ”?

 確かに“夜羽”は“やわ”とも読めるが、“よはね”では無いのか、自分の名前を読み間違えるなんて。

 「この写真に写ってるのは、私じゃないわ、悪いけど」

 落胆と共に、妙な安心感に包まれた。

 父の手掛かりは失ったが、父は、この妙な女とは接点が無かった。と言う安心感。

 しかし、次の言葉で安心感は焦燥感に姿を変える。

 「この頃は、まだ“私”じゃなかったもの」

 「どう言う事だ?」

 やっぱり、この写真の女は夜羽なのか?

 それとも、俺をからかっているのか?

 「怖い顔しないでよ。この写真に写っている“やわ”はこの数日後、死んだのよ」

 「死んだ……?」

 頭が混乱して来た。

 「あなたのお父様とは恋仲だったらしいわ。でも、身分違いの恋だった。資産家である彼女の親が勝手に他の結婚相手を、決めちゃって、二人の間を引き裂かれた彼女は死を選んだ」

 父にそんな過去があったなんて……

 「そして生き返った」

 人が父の悲恋の話を聞いてしんみりとしている所に、なんて気の効かない冗談を言う女なんだろう?

 「はあっ!?」思わず殺意が湧いた。

 「だって、勿体無かったんだもの。綺麗だったし。だから、私がこの娘の身体を貰ったのよ」

 もう、頭の中は疑問符だらけだ。

 「私にね、身体をあげるから、彼との仲を引き裂いた親や身内を全部殺してくれ。って言ったのよ。いい娘だわ」

 もういい。

 俺は、応接間を出て行こうと思ったが

 「あら、あなた。お父様の行方を知りたかったんじゃなくて?」

 その言葉を聞いて、思い留まった。


 「あなたの前に“庭師”をやっていた男がいてね」

 「俺が見た死体の男か?」

 「察しがいいわね」

 俺の前の“庭師”。

 まさか……

 「“仕事”をしているうちに、だんだん自分も“悪”の要素が多くなって来たのね。それに耐えきれなくなったのか、ある日、首を吊って死んでいたのよ」

 「その男の名前は?」

 夜羽の口から、別の男の名前が出る事を神に祈っている自分が居た。

 どうか見ず知らずの赤の他人の名であるように。と。

 次の瞬間、神を呪う事になったが。

 「……雨宮義人」

 「嘘だ!父さんが人殺しだなんて!」

 父が死んだと言う事実より、父が金の為に人殺しをしていた事実の方が衝撃だった。

 借金の返済の為だと言う事は容易に解ったが。

 「あなただって同じじゃない?血は争えないわね。金の為なら何でもするなんて」

 怒りと絶望で頭が真っ白になり、次の瞬間、側にあったブロンズ像で夜羽を殴りつけていた。

 頭蓋骨が割れる厭な音。

 俺は今まで何を信じていたんだろう?

 今まで、何の為に、泥水を啜って生きて来たんだろう?

 今、聞いたのが全部夜羽の戯れ言だとしても、この女を許せる気にはなれなかった。

 「おまえがやらせたくせに!おまえが父さんを死に追いやったくせに!人の弱味につけこんで何を言ってやがる!」

 ブロンズ像が血で染まり、滑って持てなくなるまで夜羽を殴り続けた。

 返り血と涙で何も見えなくなるまで。

 俺は、俺は今まで、何をしていたんだろう?

 父はもうこの世に居ない。

 母の心はもうずっと壊れたままだろう。

 俺を繋ぎ留めていた、たった一本の細い糸が切れた。

 夜羽は既にこと切れた。美しかった顔も、原型を留めていない。

 夜羽を温室に運んだら、警察に自首しよう。

 もう何も守るものなんて無いのだから。



 暫く、血の海で呆然としていると、妙な音が聞こえて来た。

 幼虫が死体を食む音に似ている、粘膜が擦れるような音。

 ……それは、夜羽の死体から聞こえて来る。


「気は済んだ?」


 背後から、夜羽の死体から、声が聞こえる。

 あの女の声だ。

 振り返ってはいけない。

 あの女は死んだんだ。

 俺が殺したんだ。

 生き返る訳がない。

 ……人間ならば。

 「悪魔め……」

 それだけ言うのがやっとだった。

 「あら、今頃解ったの?」

 何も無かったかのように、あの女は涼しい顔をして後ろに立っているんだろう。










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