罪の消去
◇
「自首しに来ました」
俺がそう言うと、受付係の若い警察官は、それまでにこやかだった顔に深い影を落とした。
「解りました。で、何をやったんですか?」
「殺人を……」
何故かそこで、若い警察官の顔の影が消えた。
そして、内線なのだろうが、どこかへ電話をし、
「では、今、連絡を入れておいたので、あちらの談話室の方へどうぞ」
などと言う。
取調室ではなく談話室なのか?刑事ドラマや映画等とはかなり違う展開に戸惑った。
談話室の革のソファーに座ると、さっきの若い警察官がお茶を持って来た。例え新人とは言え警察官がお茶汲みとは……警察も人手不足なのだろうか?
しかも、自首しに来てお茶を出されるとは思ってもみなかった。ちょっとした茶菓子まで付いている。
漆塗りを模したプラスチックの菓子盆の作り物の木目を眺めていると、
「いやいやいや、お待たせしました」
顔や首筋の汗をハンドタオルで拭いながら年輩の男がやって来た。
「全く、節電も良いですが、こう暑くちゃたまりませんな。どうですか?暑くないですか?なんならちょっとだけクーラーを……」
「いえ、結構です」
殺人事件の犯人が自首して来たと言うのに、このユルさは何だろう?
「あっ、私、刑事課の須藤といいます」
年輩の男は、思い出したように軽い自己紹介をした。
「雨宮真人と申します……刑事さんなんですね?」
「まあ、一般的にはそう言いますな」
ドラマや映画のような物々しい感じはなく、どこかの暇な年寄りでも来たのかと思っていたので、刑事と聞いて少しだけ安心した。
「実は、俺、殺人を犯しまして……自首をしに来たんですが」
なんだか、“面接をしに来たんですが”みたいなノリだ。
「ええ……っと、被害者の方の身元は解りますか?名前とか、職業とか」
須藤と言うその刑事がパソコンに向かっている警察官に何やら合図をした。
身元や被害届の照合か何かをさせる気だろう。
「鈴木依子さん、(株)○○コーポレーション勤務。永井裕美さん、△△高校一年生の2人です」
あまりに俺がフルネームと会社や学校をすらすらと答えるので、須藤には少し怪訝な表情をされたが、夜羽から提示された“情報”が妙なところで役に立った。
パソコンのキーをパタパタと打つ音が聞こえる。
やおら、須藤は立ち上がって、パソコンを打っていた警察官のもとへ行き、何やらごちゃごちゃと話し込んでいた。
「う〜ん……」
須藤は腕を組み考え込んでいた。
やはり、被害届や捜索願いなどが出ていたのだろう。
「雨宮さん」
「はい」
俺は覚悟を決めた。
「どなたか、迎えに来て頂ける方はいませんかな?親御さんとか」
それは、いわゆる“身元引き受け人”と言うやつだろうか?
しかし、今から逮捕されるのにそんなものがが必要なのか?
「父は失踪中ですし、母は入院中なんですが……」
「あまり、硬く考えなくても結構ですよ、え〜と、仲の良いご友人でも結構です」
えっ?その程度の付き合いの人間でも、犯罪者の身元引き受け人になれるものなのか?
もし、そうだとしても引き受けてくれる奴などいないだろう。
「あの、それって……絶対に必要なんですか?」
俺の問いかけに、言いにくそうに須藤は答えた。
「あなたが、ここから家や職場へ帰るのに、付き添ってくれる人が必要なんですよ」
「え……?」
殺人犯を一端帰宅させていいのか?
「あのですね……ここ数年、管轄内で殺人事件は起こっていないし、捜索願いも出されていないんですよ。それに」
それに?
「署の端末で、今、色々な方面から検索させてみたのですが……“鈴木依子さん”“永井裕美さん”両名とも、元々この世に存在しない人物です」
……なんだって?
「嘘だ!」
確かに俺はあの二人を殺した。
夢や妄想ではない。
それなのに。
「お察しします。不景気の世の中ですから、あなたのような方は結構多いんですよ。“生活が苦しい、刑務所に入っていた方がマシだ”ってね」
……違う!
「刑事さん、俺は本当に……」
須藤は俺の肩に手をあて、心底優しい声で言った。
「そうでなければ重度のストレスで……その……精神的な病気を患って、ありもしない事を現実だと思ってしまう人とか……解離性なんとかって云うんですか?昔は分裂症と呼んでましたが」
どうしても俺を精神病患者にしないと気が済まないらしい。
「お父さんが失踪、お母さんが入院したと言ってましたね? そりゃ、この世に絶望するなと言う方がおかしい」
「刑事さん……でも、俺は本当に……」
「ではお尋ねします。被害者の死体はどこにあるんですか?」
俺は絶句した。
死体など無い。
有る訳が無い。
あの幼虫達が髪の毛一本、血の一滴も残さず食ってしまった。
「それは……」
しどろもどろになる俺を見て、須藤は勝ち誇ったような顔をして言った。
「ほら、やっぱり!残念ですが警察は駆け込み寺じゃないのでね。何なら良いメンタルクリニックを紹介しますよ?」
警察すら俺を救ってはくれない。
……と、言う事か。
結局、バイト嬢・今日子に迎えに来て貰った。
「びっくりしましたよ〜! 警察から電話来るんですもん」
そりゃ、びっくりするだろう。
しかし、自首しに行ったのに追い帰されるとは、こっちもびっくりだ。
いくらなんでも金で揉み消せる様な事ではない。
夜羽は、関わる人々全てからあの二人の記憶を消したというのか?
例え魔術でも無理な気がするが、あの女なら出来そうな気がする。
「すまないな」
今日子は、警察からいろいろ聞いているらしく、あまり語らなかった。 大方、あの須藤と言う刑事に“おたくの店長は精神病だ”とでも言われたのだろう。
夕暮れの、少し熱の冷めた風が肌に心地良かった。
モンシロチョウがひらひらと舞っている。
「もうすぐお盆だもんね。誰の魂だろう?」
今日子がモンシロチョウを見て、そんな事を言うものだから驚いた。
「魂?」
「あれ?知らないんですか?蝶々は死んだ人の魂を運んでくるんです。そういう伝承があるんです」
以前の俺なら、随分ロマンチックな伝承だな。と感心するだろう。
しかし今は、魂イコール蝶は、あの忌まわしい本郷寺夜羽を思い出す図式でしかない。
あの温室で、死人の記憶と魂を纏って舞う黒い蝶。
「きっと、美佳ちゃんはきれいな蝶々に魂を運んで貰っているんだろうなあ……」
ふと、今日子がぽつりと言った。
「ああ」
それは俺が保証する。
そして“蝶”で、ある事を思いついてしまった。
あの死体が本当に父ならば……
突然、おぞましい考えが頭に浮かんだのだ。
実行するのは、気が乗らない。
しかし、いてもたってもいられなくなった。
「今日子、悪い。店の事頼んだ」
「えっ!何言ってるんですか店長?」
そのまま、今日子を置いて、邸の、あの温室へ走り出した。




