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蝶を飼う  作者: 鮎川 了
第二章 闇の庭師
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混沌の闇





 少女の、否、およそ人間とは思えないような奇声が温室に響き渡り、心なしか蝶たちが脅えているようだった。そう、あの池の怪魚(アロワナ)さえも。

 白く張りのある腹をぱっくりと開け、これ以上無い位に目を見開いて自分の身に起こった事を反芻しているのか、それとも単に耐えがたい痛みに耐えているのか。

 ……しまった。

 顔からやれば良かった。  

 美佳ちゃんのように顔を潰してやれば良かった。 

 「痛い……痛い……痛い……」

 永井裕美は壊れたレコードのように何度も同じ言葉を繰り返す。そりゃあ痛いだろう。まだ喋れるのが不思議な位だ。

 その傷口の形状を見ていて、妙な感覚に捕らわれた。

 「ねえ、君って処女なの?」

 コンプレックスと自意識の塊。どう答えるんだろう?

 「……ど……っちだって……いいじゃない」

 「いや、処女のままで死ぬのは余りにも気の毒だから」

 別に気の毒だなんて思ってはいない。

 毒と悪で構成されたこの娘を愛する男が居たのか気になっただけだ。 

 しかし、愛など無くても処女など簡単に捨てられる御時世だ。

 むしろ、この年齢で非処女であれば安く思われている証拠であるような気がする。男は本当に大切に思っている女には最後の最後まで手を出せないものだ。

 

 ―お花も好きだけど、本当に好きなのは―

 ふと、美佳ちゃんの言葉が頭を過る。


 俺は、永井裕美の手足を縛っている麻縄をほどき、床に寝かせた。もう抵抗する力も残っていないだろう。

 腹の傷口から血を失い、青ざめる彼女。

 黄色い脂肪の層の奥に血に濡れた内蔵が露出し切り口は花弁のように捲り上がる。

 そこに手を入れて、紅い蛇のような腸を引き摺り出して見た。

 「ほら見ろよ、腹黒いおまえの腹の中身だ」

 だが、もうその中身の主の眼は何も見る事が出来ない。いつの間にか絶命していたのだ。

 足りない。もっと凄まじい苦痛を味あわせてやらないと気が済まない。永遠に再生し続ける肝臓を鷹に喰われるプロメテウスの様に。

 腸を床に叩き付け、再び剪定鋏に手を伸ばすと、そこには白い蝶がいた。剪定鋏の丁度握りの部分、まるで俺がそれを手にするのを阻止しているようだ。

 ―もうやめて!お花屋さん、もうやめて―

 確かに、美佳ちゃんの声が聞こえて来た。幻聴なのか、霊が語りかけているのかは解らないが、その声で我に帰った。 


 ……俺は、一体何をしているんだ?


 ぱっくり開いた腹の傷口から長い腸を出して、顔は鼻血と涙にまみれている少女。

 眼からは光が消え、肌はすっかり血の気を失い、ふやけたゴムのような質感になっている。


 恐ろしくなった。 この少女の死体の醜悪さが?

 いや、自分の心の混沌の中から現れた黒い闇が。





 「随分、派手にやったこと」

 俺が抱えている、切り刻まれた制服を見て夜羽は言った。

 もう既に、“永井裕美”の亡骸には幼虫が群がっている。

 「ビジネスだから」

 夜羽は、意外な言葉を聞いた。とでも言いたげに、アイラインで縁取られた目を丸くした。

 白い蝶は一匹だけになってしまった。

 責めるように、俺の周りを舞う。

 「この蝶、逃がしてやってもいいか?」

 「いいけど、温室の外だとすぐ死ぬわよ。気候も湿度も違うから」

 いいんだ。最後に広い所を飛び回らせてやりたいんだ。

 俺は、白い蝶を捕まえると、すっかり更けた夜空へ放してやった。


 その翅は、月の光りを映し螺鈿のように輝いていた。






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