本棚の中の秘密
◇
「いえ、完済して頂けるのは有り難いんですが」
いわゆる“サラ金”の窓口で、担当者は俺の持って来た金を見てそんな事を言う。
まさか、金の出所を怪しんでいるのでは?と、思ったが……
「どうでしょう?半分だけ返済して頂く。というのは?」
ああ……つまり、全額返済すると利息が発生しない。
単に、利益が生じないから、全額返済は歓迎しない。と言う訳か。
「こっちは一刻も早く身綺麗になりたいんだ」
その言葉を吐き捨ててから、“身綺麗”と言う言葉に、かなり違和感を感じた。
「ところで、お父様は見付かりましたか?」
担当者は、急に、優しげな声を出したが、逆にカンに触った。
「見付からないから、こうして俺が返済しているんだろう?」
「そうですね……せめてお父様が亡くなっていると言う証明があれば、貴方にもお母様にはご苦労は掛けずにすんだんですが……」
「人の親を勝手に死んだ事にするな!」
札束のひとつを掴んで、担当者の横っ面を思いっきりひっぱたいてやり、さらにまくし立てた。
「お前らのしつこい取り立てで、母がどうなったか知ってるのか?」
担当者はぶっ飛んだ眼鏡を拾い上げ、それを拭きながらも、表情を崩さない。
「お母様は、確かにお気の毒でした。ですが、今は……規制が厳しくなりましたので、そのようなしつこい取り立ては禁止されておりますのでご安心を」
今更安心してどうする?
電話が掛かって来る度に、玄関に誰か立つ度に、表情が凍ってた母。
そのうち、パニックを起こすようになって、そして……
「雨宮様、全額返済の件は受理致します。ですので穏便にお願いします」
これ以上騒いだら警察を呼ぶぞ。と、言う事か。
こちらは、完済出来れば文句は無い。
しかも父が金を借りた所は此処だけではなく他にも何ヵ所もある。俺もいちいち担当者を札束で殴ってもいられない。
領収書を渡されると、ひったくるようにして窓口を後にし、その足で母の入院している病院に向かった。
「母さん、借金ひとつだけだけど、綺麗にしたからね」
母は相変わらず、窓の外ばかり眺めて、俺の声は聞こえていない様だ。
白髪が増えたな……
そう思った。
金を全部、返し終わったら、母は元に戻るのだろうか?
父は帰って来るのだろうか……?
その後、ふらふらと酒場へ向かった。
適当なバーを見付けると、カウンターに座り、水割りを注文して、他の客の話に耳を傾けた。
他愛ない世間話。
職場や上司の愚痴。
恋愛の話。
そんなどうでもいい話を聞いていると、段々冷静になって来た。
そう言えば、店はどうしたろう?
美佳ちゃんが死んでから、ずっと放ったままだ。
そんな事を思っていたら…
「店長?」
聞き覚えのある声がした。
あの、バイト嬢がびっくりしたような怒ったような顔をして立っている。
「あ……」
思いがけない所で、思いがけない人物を見て、言葉が咄嗟に出ない。
「何日もお店ほっぽり出して何やってんですか!」
カウンターの中のバーテンもボックス席の客も、皆俺に注目だ。
笑っている奴までいる。恥ずかしい。
「店長がいない間、私が仕入れも何もかもやっときましたからっ!その間のバイト代は弾んで貰いますよっ!」
バイト嬢は語気荒く、ついでに鼻息も荒くそこまでまくし立てると鼻の穴を広げた、いわゆるドヤ顔で俺を見据えた。
「さすがバイト君。無駄に気が強いわけじゃないな」
「なんですか、ソレ。誉めてるのかけなしてるのか解りませんよ!それに私の名前は“バイト君”じゃなくて五十嵐今日子ですっ!」
そういえば、そんな名前だった。
「解った、今日はおごってやる。好きな物飲みなさい」
バイト嬢……いや、今日子の鼻の穴がやっとしぼんだ。
「ゴチになりまーす」
カウンターの俺の隣に腰掛けると、バンバン酒を注文して、ガバガバ飲み始めた。
「いや……ペース早いよ……もうちょっとゆっくり飲んだら……?」
俺とバーテンはほぼ同時に同じ事を言ったが
「るっさいわね!たまにはいいでひょ〜!あっ、マスター、次、フローじゅんダイキリっ!」
もう既に、呂律が回っていなかった。
……頭が痛い。
布団の中で、頭痛と吐き気に襲われながら、ゆうべの事を思い出していた。
ええ……っと、バイト嬢、いや、今日子が呂律が回らなくなって、それでもやたら長ったらしい名前のカクテルばかり注文するものだから、バーテンが聞き取れなくて困ってた……ところまでは覚えている。
駄目だ、無理矢理思い出そうとすると、頭が割れそうに痛い。
それに吐き気も我慢出来ない程酷くなって来る。
立ち上がろうとした時、何かが俺の腰に絡み付いている事に気が付いた。
俺は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
俺の腰に絡みついているのは
……人間の腕だ。
背中に、柔らかくて暖かいものがぺっとりと張り付いている。
心地よい。だがその心地よさとは裏腹に段々酷くなる吐き気と焦燥感。
しかも、俺は真っ裸だった。
意を決して、後を見た。
見慣れたものが見慣れない状態でそこに居た。 もう駄目だ。
俺は、絡みついている手を振りほどくと、一目散に駆け出し、トイレで胃の中のものをぶちまけた。
「う〜気持ち悪い」
寝床に帰ってみると、
今日子が乱れ髪を掻き上げながらそんな事を言っている。
今日子とやっちまった……
店の子に手を出しちまった……
全然まったく覚えていないが、そんな事は言い訳にならないだろう。
この状態で「いえいえ、何もありませんでした」と言う方がオカシイ。
ここはひとつ男らしく腹をくくって……
「ぎゃあああっ!」
突然、今日子が、バケモノでも見たかの様な叫び声を上げた。
「店長!何?その格好!厭あああ!早くどっか行って!」
どうやら、今日子にも、ゆうべの記憶は無いようだ。
「えっ、店長も覚えて無いんですか?」
お互い、見ないように背中合わせで服を着た。だが俺は既に、真っ裸を見られているから意味が無いような気がする。
「ああ、まったく、残念な事に」
なんならもう一回……と言おうとしたが、そんな事を言えば彼女の罵詈雑言か、平手打ちが飛んで来るのは必至だ。
「あっ……!」
「何だ?」
「ボタンが取れてる。店長、針と糸貸して下さい」
「裁縫出来るのか?」
「失礼ねー!ボタン付けぐらい出来ますよ!」
確か、母が使っていた裁縫箱が有った筈だ。
両親の寝室だった和室の襖を開けると、埃とカビの臭いが漂っていた。 たまに掃除はしてるが、殆ど窓もカーテン閉めっぱなしなので、空気が淀んでいるのだ。
母の鏡台。父の趣味のゴルフや囲碁の本が並んでいる本棚。小さいテレビ。
なんだか、久しぶりに見たので懐かしい。
「ええ……っと、裁縫箱は……?」
裁縫箱は、父の本棚に、本のブックエンドがわりに置かれていた。
小学校の時の体操着のゼッケン付け。
父の服のボタン付け。
母の趣味のパッチワーク。
何かにつけ、母の側にあった思い出深い裁縫箱。
それを本棚から引き抜くと、父の本が数冊、畳の上に落ちた。
ブックエンドがわりになっていたのだから、それを取ったらこうなるだろう。
「やれやれ」
父の本を戻そうとして、ある物が目に留まった。
写真だ。
本に挟んであったのだろう。
俺の顔にそっくりな、だけど俺より少し若い父がにこやかにフレームに収まっている。
しかし……
俺は、その写真に、父と一緒に写っていた人物に、目が釘付けになった。
何で、この人が、父と一緒に写っているんだ?
白黒の古びた写真。
そこに写っていたのは……




