“動けん園長先生”から“少し拾える園長先生”へ
第4話
二回目の練習、“動けん園長先生”から“少し拾える園長先生”へ
2048年10月中旬。
最初の練習から数日が過ぎた。
あの壮絶な筋肉痛は、美鈴の体に「お前は本当にもう一度やる気なのか」と問いかける試練のようだった。
だが、美鈴は逃げなかった。
博多南幼稚園での仕事を終えた夕方。
ロッカー室でジャージに着替えながら、美鈴は鏡の中の自分を見た。
前回ほどの不安はない。
もちろん緊張はある。
けれど、その奥にあるのは、はっきりした楽しみだった。
「……よし」
小さくそう言って、髪をひとつにまとめる。
職員の若い先生がにこにこしながら声をかけてきた。
「園長先生、今日は前回より歩き方が普通ですね」
美鈴は即座に振り向いた。
「前回が普通じゃなかったみたいに言わんでくれる?」
「いや、前回はだいぶ“生まれたての鹿”でした」
「そこまで!?」
職員室に笑いが広がる。
別の先生が言う。
「でも、今日は顔つきが違いますよ」
「なんかもう、“また行く人”の顔しとる」
美鈴は少し照れながら笑った。
「そりゃそうたい。前回で懲りたと思ったやろ?」
「残念でした。私はまだ行くけん」
その言い方に、先生たちから拍手が起きた。
⸻
そのころ、小倉家のリビングでは、優馬がテレビ画面を調整していた。
画面の向こうでは、徳島支部とリモート接続が始まっている。
福田由理恵と福田香苗、その横でインコ一家が止まり木に並んでいた。
せきちゃん閣下、せいちゃん姫、しらゆき、きびまる、あわまる。
今日もすでにうるさい。
せきちゃん閣下が胸を張る。
「みすず! にかいめ!」
せいちゃん姫が落ち着いた声で言う。
「今日は筋肉痛になる前に帰ってきんしゃい」
あわまるも頷く。
「この前は帰宅後、着陸に五分かかっとったけんね」
優馬が吹き出す。
「徳島支部、記憶力が良すぎるやろ」
そこへ、学校から帰ってきた春介と春海もリビングに顔を出した。
中学一年生になった二人は、すっかり背も伸びて、言うことも少し大人びてきている。
春介がバッグを置きながら言う。
「今日、おばあちゃん二回目やろ?」
「前回よりはたぶんマシやろね」
春海も頷く。
「前回は“練習”というより“再起動確認”やったもん」
優馬が笑う。
「言い方が機械やな」
「でも実際そうやろ」と春介。
「今日はちゃんと“プレーヤー”に近づけるかどうかやん」
その言葉に、優馬は少しうれしそうな顔をした。
「……そうやな」
⸻
体育館。
すでに何人かのメンバーが集まっていた。
古賀真理子が最初に美鈴を見つけて、大きく手を振る。
「小倉さん、こんばんは!」
「こんばんは。今日もよろしくお願いします」
その横では、高山由紀がネットを張っている。
声の通る世話焼きタイプで、チームの空気づくりがうまい。
「おっ、今日はだいぶ顔に余裕あるやん!」
「前回よりはね」
「少なくとも、布団から立ち上がる段階で人生を考えんで済んだ」
「ははは! 進歩しとる!」
森本さやかが水筒を抱えてやってくる。
「でも小倉さん、前回のバッグとの乱闘はもう解決したと?」
「和解しました」
「今回は荷物、壁際に置いてきたけん」
中原志穂がすかさず言う。
「そこだけ妙に学習能力高いですね」
「命に関わるけんね!」
笑いが起きる。
そこへ、井上明美が元気よく入ってきた。
「今日、新しい人たちも少し顔そろっとるよー!」
美鈴が目を向けると、コートの向こうに新しい顔ぶれがいた。
まず、長身でしっかりした体つきの城戸里香。
ミドルブロッカーらしい存在感がある。
その隣で、笑顔が明るく動きの軽そうな相良千景。
アウトサイドヒッターらしく、すでに足取りが軽い。
ネット際でボールをくるくる回しているのは、落ち着いた雰囲気の鶴田ほのか。
セッターとして全体をよく見ている目だ。
さらに、ストレッチをしながら周囲を観察している内藤みゆ。
リベロらしい、低い重心が印象的だった。
「よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げたのは、引き締まった目つきの坂口はづき。
オポジットらしい鋭さがある。
「小倉さん、うわさは聞いてます」
「園長先生で、初練習から体育館を爆笑させたって」
「そこだけ先に広まっとるの!?」
笑いが起きる。
さらに、明るい声で近づいてきたのが藤崎まどか。
「私、あの“筋肉の会議”の話、めっちゃ好きです!」
「好きにならんでよ、あんなもん!」
そして最後に、落ち着いた大人っぽい雰囲気の江上さよりが穏やかに笑った。
「でも、ああいう空気にしてくれる人がいると、チームは助かるんですよ」
「緊張、ほぐれますし」
その言葉に、美鈴は少し目を丸くした。
「……ありがとうございます」
真理子が手を叩く。
「よし、せっかくやし、今日ここで改めて紹介しとこうか!」
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博多ドンタクス メンバー紹介
真理子がコート中央で大きな声を出す。
「はい注目ー! 改めて、うちのチームの今のメンバーば確認しとくよ!」
そして、一人ずつ紹介が始まった。
•小倉美鈴 … キャプテン。元バレー好きの園長先生。まだ本人は“見習い復帰勢”のつもりだが、すでに存在感がある。
•古賀真理子 … セッター。気配り上手で、チームの実務と空気を回すまとめ役。
•高山由紀 … リベロ。声が大きく、全体を盛り上げるムードメーカー。
•森本さやか … アウトサイドヒッター。天然気味だが明るく、笑顔の供給源。
•中原志穂 … オポジット。冷静沈着、ツッコミが鋭い。
•井上明美 … ディグスペシャリスト。おしゃべり好きで、場をなごませる名人。
•城戸里香 … ミドルブロッカー。パワーと安定感が持ち味。
•相良千景 … アウトサイドヒッター。走力と切り替えが速い。
•鶴田ほのか … セッター。視野が広く、丁寧なトスが武器。
•内藤みゆ … リベロ。低い姿勢と粘り強い守備が持ち味。
•坂口はづき … オポジット。決めに行く気持ちの強さが魅力。
•藤崎まどか … アウトサイドヒッター。明るさと突破力がある。
•江上さより … ミドルブロッカー。落ち着いた判断と安定感が光る。
紹介が終わると、拍手が起きた。
美鈴はちょっと照れくさそうに頭を下げる。
「こんな立派に紹介されると、急に強そうな人みたいで緊張するっちゃん」
志穂がすかさず返す。
「安心してください。まだ“動けん園長先生”の印象もちゃんと残ってます」
「いらん情報!」
⸻
練習が始まった。
まずはアップ。
前回よりも足が軽い。
肩を回す。
膝を曲げる。
横移動する。
「……あれ」
美鈴がぽつりと呟く。
真理子が振り向く。
「どうしました?」
「前回より、体が言うこと聞く」
「今日はまだ、誰も会議しとらん」
高山が吹き出す。
「会議前提で話すな!」
だが本当に、感覚が違っていた。
前回は、頭ではわかっていても体がついてこなかった。
今日は、少しずつではあるが、昔の感覚が戻ってきている。
対人パスに入る。
相手は内藤みゆ。
リベロらしく、受ける姿勢がとにかく低くて安定している。
「小倉さん、少しテンポ上げても大丈夫ですか?」
「うん、お願い」
ぽん、ぽん、ぽん。
前回より続く。
三本、四本、五本。
美鈴の腕の角度が少しずつ整っていく。
ボールが変な方向へ飛ばなくなってきた。
「おおっ」
美鈴が自分でびっくりする。
みゆがにこっと笑う。
「今の、かなりよかったですよ」
「ほんと?」
「はい。ちゃんと面ができてます」
そこへ高山の声が飛ぶ。
「小倉さん! 今のよかったよー!」
「今日はちゃんとバレー選手やん!」
美鈴は思わず返す。
「じゃあ前回は何やったと!」
志穂が即答する。
「爆笑付き体験入部」
体育館が笑いに包まれた。
⸻
続いてレシーブ練習。
コーチ役が少し強めのボールを打ってくる。
前回は反応するだけで精一杯だった。
だが今日は違った。
一球目。
やや左。
美鈴が一歩動く。
腕を出す。
ぱしっ。
きれいに上がる。
「ナイス!」
二球目。
今度はやや短い。
前へ出る。
落とさない。
「おおーっ!」
三球目。
少し速い。
体勢は崩れたが、なんとか触る。
ボールは高く上がって、つながった。
真理子が目を見開く。
「小倉さん、今の拾った!?」
美鈴自身が一番驚いていた。
「……拾えた」
その声に、チームみんなが反応した。
「拾えた!」
「やったやん!」
「ナイス園長!」
森本さやかが両手を上げる。
「動けん園長先生、卒業やん!」
すると美鈴、息を切らしながらも即座に返した。
「いや、まだ仮免許たい!」
「仮免許て!」
笑いが起きる。
だがその笑いの奥に、確かな手応えがあった。
一本拾えた。
偶然じゃない。
ちゃんと動いて、ちゃんと間に合って、ちゃんと上がった。
あの瞬間、美鈴の中で何かが少し変わった。
⸻
休憩時間。
みんなで水を飲みながら、壁際に座る。
今日は美鈴も比較的すんなり座れた。
その様子を見て、明美がにやにやする。
「今日は着陸時間、二十秒くらいやったね」
「記録更新やね」
「やめてくれる?」
真理子が笑いながら水筒を置いた。
「でもほんと、小倉さん、前回より全然違う」
「動きにキレが出てきた」
里香も頷く。
「うん。特に一歩目がよくなってる」
「もともと感覚、体に残っとったんやろね」
千景も笑う。
「あと声がいいです」
“よし!”とか“来い!”とか、自然に出る人は強いです」
はづきが少し真面目な顔で言った。
「それに、小倉さんって、一本拾った後に自分だけで終わらんですよね」
「“つないで!”とか“いける!”とか、次の人をちゃんと前向きにする声が出る」
美鈴は少し驚いたように目を瞬かせた。
そんなふうに見られていたとは思っていなかった。
江上さよりがやわらかく続ける。
「キャプテン向きなんですよ、たぶん」
「ただ上手いだけやなくて、周りが安心するタイプ」
美鈴は照れたように笑う。
「いやいや、私はまだそんな……」
そこで志穂が静かに言う。
「でも、そういう人って大事です」
「うちらママさんバレーやけん、仕事も家のことも抱えとる人ばっかりやし」
「しんどい日もあるし、調子悪い日もあるし」
「そういう時に、“失敗しても笑って次いこ”って空気にできる人は、ほんとありがたい」
その言葉に、周りも静かに頷いた。
美鈴はふっと視線を落とした。
園長として、母として、家族を支えてきた時間。
事故のあと、それでも前に進んできた時間。
その全部が、今ここで少し違う形になって生きている気がした。
「……ありがとう」
「なんか、うれしか」
⸻
後半はミニゲーム。
今日は前回よりもラリーの中に入れている。
サーブカットも一回返せた。
後衛でのカバーも間に合う場面が増えた。
そして、ある一本。
相手のスパイクがコースを変えて飛んでくる。
美鈴は反応した。
横へ一歩、踏み込む。
腕を入れる。
ぱしん。
ボールが上がった。
しかもかなりきれいに。
「ナイスレシーブ!」
その声と同時に、ほのかがトスを上げ、千景が決めた。
一点。
「よっしゃあ!」
自然に、美鈴の口から声が出る。
高山が飛びつくように近づいてくる。
「小倉さん、今のすごかったやん!」
森本も両手をばたばたさせる。
「いやもう完全に“少し拾える園長先生”やん!」
美鈴は笑って息を整えながら言う。
「“少し”はつけるとね!?」
志穂が真顔で言う。
「まだ全部は拾えんけん」
「そこは優しさで省いてよ!」
また爆笑だった。
⸻
練習後。
片付けをしながら、美鈴はふとネットの向こうを見つめた。
久しぶりに体育館の匂いが心地よい。
汗をかいた腕も、少し張った脚も、今日は嫌じゃない。
真理子が隣に立つ。
「どうです? 二回目」
美鈴は少し考えてから、笑った。
「……嬉しか」
「前回は“戻ってきた”って感じやったけど」
「今日は“ここでまたやっていけるかもしれん”って思えた」
真理子がうなずく。
「それならもう十分たい」
そこへ由紀が後ろから声をかける。
「しかも小倉さん、もうチームの空気になじみすぎやもん」
明美も言う。
「最初からおったみたい」
さやかが笑う。
「たぶん前世からおったとよ」
「スケールでかいな!」
美鈴が笑い、みんなも笑う。
その輪の中に、自分が自然にいる。
それが何よりうれしかった。
帰り際、みゆがぺこりと頭を下げた。
「小倉さん、また次も一緒に守備やりましょう」
「うん、ぜひ」
里香も声をかける。
「今度、ブロックとの連携もやりましょう」
「守りやすい位置、合わせていけたらもっと拾えます」
「お願いします」
さよりが静かに笑う。
「次は“かなり拾える園長先生”ですね」
美鈴は思わず吹き出した。
「段階表現で育成されよる私!」
⸻
帰宅後。
リビングでは、優馬と春介と春海が待っていた。
テレビには、徳島支部のリモート画面も映っている。
優馬がすぐに美鈴の顔を見る。
「……その顔、今日はよかったな」
美鈴はバッグを置いて、ふっと笑った。
「うん」
「今日は、ちゃんと拾えた」
「しかも何本か、ほんとに自分で“今のよかった”って思えるのがあった」
春介がにやっとする。
「お、ついに“動けん園長先生”卒業?」
春海も続く。
「今日は“少し拾える園長先生”?」
美鈴は笑って頷く。
「そう、それ」
「今日まさにそれ言われた」
徳島支部の向こうで、せきちゃん閣下が元気よく叫ぶ。
「ひろえる! えんちょう!」
せいちゃん姫も落ち着いた声で言う。
「次は着陸時間の短縮やね」
あわまるがすぐ乗る。
「三秒切ったら本物やね」
「そこ、競技種目にせんでくれる!?」
小倉家と徳島支部、両方で笑いが起きる。
その笑いの中で、美鈴は静かに思った。
ああ、私は今、ちゃんと新しい一歩を踏み出している。
昔に戻るんじゃない。
今の自分で、もう一度ここから始めるんだ。
それは、若い頃とは違うスタートだった。
痛みもある。
不安もある。
でも、それ以上に、支えてくれる人がいて、笑ってくれる仲間がいて、自分自身も前を向けている。
美鈴は湯のみを手にして、やわらかく笑った。
「……次はもっと拾うけん」
優馬がうなずく。
「よかやん」
「そのうち“博多南の鉄壁園長”って呼ばれるかもな」
春介がすかさず言う。
「いや、まずは“着席成功率九割”からやろ」
春海も真顔で続ける。
「まだソファとの勝負、五分五分やし」
「孫たち、そこだけずっと覚えとるやん!」
家中に笑い声が広がる。
そうして、美鈴の二回目の練習は終わった。
それはただの練習ではなかった。
“動けん園長先生”が、“少し拾える園長先生”へ進んだ日。
そして、博多ドンタクスの仲間たちと、本当の意味でつながり始めた日だった。




