誓い
会場を見回す。ホールにはたくさんのカップルが躍り出て、楽団が陽気な音楽を奏で、ところどころに談笑する人々の塊が見える。グレンの姿を探したけれど、多くの人に囲まれていて近づく勇気は出なかった。ふと、壁際に見慣れた姿を発見し、足を向けた。
「オットー!」
隣にヴァレンスとエステヴァンもいる。オットーは手にしたグラスをあげてニッと笑った。
「来てたの!」
「アドリアン補佐官の直々の招待を受けまして」
「お前もか!?」
ヴァレンスが目を剥いた。エステヴァンが笑っている。
「ハナの授賞式を同窓会にするなんて、あいつらしい」
「ふふふ」
「もう、新しいプロジェクトに関わってるんだって?」
「さすが、耳が早いわね」
「足蹴り板の試作品も見せてもらったからね」
「なんだその、足蹴り版ってのは?」
ヴァレンスの問いにオットーが不敵に笑って見せる。
「そのうち、ポロダン商会から売り出されますから、もう少しお待ちを」
ハイレーナに向き直り、芝居がかった礼をする。
「次もぜひ、我がポロダン商会へ」
ハイレーナは笑い転げた。エステヴァンの咳払いが聞こえて、目を上げるとそこにスラリとした黒髪の女性が立っていた。少し硬いその雰囲気にハイレーナも表情を引き締める。
エステヴァンが彼女の背に手を添え、引き寄せた。
「我が妻を紹介しよう。ナタリア・ディ・ベドレイン」
ヴァレンス、オットーと共に礼をする。
「ヴァレンスは北の砦の要だ。先の戦争の第一功労者でもある」
ナタリアが頷く。
オットーは礼の姿勢のまま「ナタリア様、ご無沙汰しております」と言った。
「ハイレーナ・ユルヴィナ。今日の功労者だ」
「お初にお目にかかれます。ベドレイン伯爵夫人」
「……女性の身で素晴らしい功績ですこと」
「皆、私の学院時代の友人だ」
ナタリアが小さく頷いた。薄い灰色の目がじっとハイレーナに注がれている。沈黙が少し重く感じたとき、明るい声が響いた。
「ハイレーナ様、ここにいらしたの?」
アメリアがシェルビニ公爵を伴って現れた。今度は全員で礼をとる。
「ベドレイン伯爵、ナタリア夫人、ヴァレンス卿、オットー・ポロダン。楽になさって」
扇子を持った手をひらひらとさせ、ハイレーナに話しかける。
「今夜の主役が、こんな壁際では勿体のうございますわ。楽しんでいただこうと、夫をけしかけてまいりましたのよ」
アメリアが、公爵の腕を押す。
「私と踊っていただけますか?」
差し出された手を取って、ハイレーナはほっと息を吐いた。
ホールに向かいながら、公爵に囁く。
「助かりました」
公爵は「ははは」と声をあげて笑った。アメリアが扇子の陰からウインクするのが見えた。
公爵の腕から離れてホールを去る。グレンの後ろ姿が見えたけれど、女性たちに囲まれている。
——えっ!?……グレン……
その手前にハロルドとトニスの姿が飛び込んできた。エルヴァがこちらを見て手を振っている。小さく頷いてドレスの裾を摘み、歩みを早めた。エルヴァの視線でハイレーナを見つけたハロルドが、満面の笑みを浮かべて両手を広げる。
「ハイレーナ!僕の自慢の娘!」
一瞬にして、周囲のざわめきが静まる。そこへトニスの笑顔が目に入った。
——もう、気にすることなど、ないだろう?
そう言われた気がして、止まりかけた足を踏み出す。笑顔になった。
「もう、お父様ったら!」
そう言って久しぶりにその腕に飛び込んだ。
「そろそろ、返してもらえますか?」
手にしたグラスに影が落ちる。後ろから現れた長身の男の手がハイレーナからグラスを奪った。ハロルドが目を剥き、トニスの顔に苦笑が浮かぶ。エルヴァが微笑んでグラスを受け取った。手を取られホールの方へ引っ張られる。
「踊ろう」
「グレン、踊れるの?」
「これでも、公爵家の一員なんだが?」
グレンが動きをとめ、ハイレーナに向かい合う。胸に手を当て手を差し出した。
「ハイレーナ嬢、私と踊っていただけますか?」
流れるような所作に、一瞬ぽかんと口を開けた。
「なんだ、さっきは楽しそうに踊ってたじゃないか」
と睨まれる。笑いが込み上げて、くくくと肩を振るわせながら、手を重ねた。
「もちろんですわ。グレン様」
音楽に乗ってホールを滑ってゆく。意外なことにグレンのリードは心地よかった。
「こんなに上手だなんて」
「……別に好きではない」
「いやいや踊ってるの?」
「まさか」
にやりと口角が上がる。
「ちゃんと、知らしめないといけないからな」
「……自分だってさっきは、ずいぶんと女性方に囲まれてらっしゃって」
「そうだったか?」
ハイレーナはむっと頬を膨らませると、グレンの足の上に右足を踏み込んだ。足に触れる寸前にするっと避けられて、バランスを失った瞬間、背中に回った手に力が入って、ハイレーナを支えた。
「もう!」
と睨むと、声を出さずにグレンが笑う。胸が温かいもので満たされた。
二曲続けて踊ったあと、グレンがハイレーナを半ば抱き抱えるようにして歩き出す。人混みを抜け、気がつけば庭の小道を歩いていた。汗ばんだ肌に夜風が心地よい。
半月が照らす庭園の噴水。花の終わったバラのアーチが影を落とし、水音が反射する。遠くから微かに音楽と人々のざわめきが聞こえる。石造りのベンチにハイレーナを座らせると、グレンが跪いた。
「グレン?」
手を伸ばしてハイレーナの足首を捉える。持ち上げると、ヒールの靴を脱がせた。
「痛かったんだろ?」
もう片方も脱がせる。靴を揃えて自分の脇に置いた。
「……」
月と、ポツンと灯るウォード灯の明かりに淡く浮かび上がったグレンの顔。しばらく見つめ合った後、手を伸ばそうとした時、グレンが身じろぎをする。跪いたまま、ズボンのポケットから、箱を取り出した。蓋を取ると、そこには大きさの違う腕輪が二つ。ハイレーナに見えるように持ち上げ、ドレスの膝の上に置いた。両手がグレンの手に包み込まれる。熱い。水音もざわめきも消え、深い青に魅入られる。
「一緒にいられずとも、お前だけだ」
呼吸が止まった。涙が迫り上がってくる。
「受け取ってくれるか?」
深く息を吸い込むと、グレンから自分の手を静かに抜いた。不安そうに揺らぐ彼の瞳から目を逸らし、箱の中の大きい方の腕輪を取る。手を伸ばして、グレンの左手首にそっと嵌めた。グレンが右手で左の腕輪を確かめる。それからもう一つの腕輪をハイレーナの手首に嵌めた。ぽろりと一筋落ちた涙をグレンの指が優しく拭う。ハイレーナの隣に腰を移し、手を握り合って見つめ合う。微笑み合って、顔を近づけると額をこつんと合わせた。




