授賞式
「さあ、これでよろしいかと」
侍女の声に顔をあげる。王城の煌びやかな装飾が目に入る。差し出された鏡には入念に化粧を施された自分の顔が映っていた。
「お立ちになって、こちらへいらして」
アメリアの声に頷いて立ち上がる。久しぶりのハイヒールと、ボリュームのあるドレスに足を取られてよろめいた。侍女に支えられる。アメリアがくすくすと笑った。
「ハイレーナ様はもう、芯から研究者ですのね」
侍女に礼を言って姿勢を立て直すと深呼吸して、背筋を伸ばした。
「今日だけは、頑張ってみせますわ、アメリア様」
静々と足を踏み出してアメリアの正面へ立つ。アメリアがほうと声を漏らした。
「お美しいですわ。やはりハイレーナ様にはこのお色が似合うと思いましたの」
受賞の祝いとして、アメリアが選んだのはボルドーのドレスだった。金糸の刺繍が裾に向かって広がっている。デコルテからのぞく白い肌によく映えた。
「ありがとうございます。緊張してしまって……」
「堂々としていらしゃいまし。女性初のアルバード賞ですのよ。私たちの誇りなのですから」
コンコンとノックの音が聞こえ、侍女が扉に向かった。立っていたのはひときわ背の高い、青い目の男性だった。正装し、背筋が伸びて髪は後ろへなでつけてある。
「モンテス様」
アメリアの声に、グレンが胸に手を当て流れるような礼をする。アメリアは扇子を広げ口元を隠し、微笑みの滲んだ目でグレンとハイレーナへ交互に見やった。
「支度は済んでおりましてよ。どうぞ、ごゆっくり」
と、侍女たちを連れて部屋を出ていった。
ハイレーナはグレンから目が離せない。あらわになった額、すっと伸びる鼻筋、あらわになった顎の線。そして、深い海の青。グレンが近づいてくる。
「ハイレーナ」
あと三歩のところで立ち止まり、息を吸ってハイレーナの爪先から頭まで視線を送った。ほうっと息を吐く。
「……美しい」
カッと頬が熱くなる。心臓が飛び出しそうなほど鳴っている。
「グレン……」
差し出された手に手を重ねる。二歩近づいたグレンが反対の手で腕に導いた。ふわりとコロンが香る。グレンの体温を感じながら、顔を上げる。
「行こう」
頷いた。
大理石の床にボルドー色のドレスが広がる。金糸の刺繍の蔦が裾からはいのぼる。ハイレーナは深くひざまづいて国王の言葉を聞いていた。
「……国に多大なる貢献をした。その栄誉を受けよ」
ハイレーナは顔を上げ、国王の手から勲章を首にかけられた。手を取られて立ち上がると、国王と一緒に貴族たちの方へ向きを変える。拍手が起こった。真正面に勲章を下げたグレン、ハロルド、トニスが並び、エルヴァ、アメリアとシェルビニ侯爵の笑顔も見えた。王の手が離れ、グレンが近づいてくる。グレンにエスコートされ列に戻る。侍従長の声が響く。
「国王陛下ご臨席のもと、アルバード賞受賞者たちの栄誉を讃え祝賀会を開催いたします」
「——開宴!」
宣言を合図に音楽が鳴り響いた。わっと人々がハロルドとトニスに群がるのを横目で見ながら、話しかけようとする者たちをひと睨みで退けるグレンに連れられ、広間の人の少ない方へ歩みを進める。
「ハナ!」
その声に足が止まり振り向いた。向こうからひときわ背の高いがっしりした騎士服の男と、金髪で青い切長の貴族然とした男が手を振りながら近づいてくる。グレンが眉を顰めてハイレーナを見る。その視線よりも、男たちの姿に目を奪われた。
「エステヴァン!ヴァレンス!ヴァレンスなの?」
「ハナ、おめでとう!」
彼らが近づいてくる。
「学院時代の友達!」
慌ててグレンの袖を引っ張って囁いた。
悠々と歩いてくるエステヴァンは貫禄が増し、少し丸くなったけれど、端正な顔立ちは変わらない。頭ひとつ分大きい赤い短髪のヴァレンスは、肩や胸が以前の三倍ほど盛り上がっている。
エステヴァンが差し出した手を握る。そのまま持ち上げられて手の甲にキス。昔と同じ。その瞬間に隣のグレンから不穏な空気が流れてきた。エステヴァンは口付けた手を離す前に、グレンに笑いを含んだ視線を送った。
「モンテスどの。エステヴァン・ディ・ベドレイン伯爵です。ハナの古い友人として、お見知り置きを」
グレンがくっと顎を引く。微かに頷いた。
「エステヴァンったら、本物の伯爵様みたい!あ、本物なんだけど!」
「体型のこと言ってる?ふふふ」
目を合わせて笑う。そしてエステヴァンの隣を見上げた。ヴァレンスは二歩後ろで目を泳がせたまま、距離を取っている。ハイレーナの視線をたどったエステヴァンがヴァレンスの背中をどやした。
「ヴァレンス、どうした」
「いや、ハナが……立派になっちまって……」
と横を向く。耳が赤い。ハイレーナはくすくすと笑った。
「ヴァレンス、私は変わらないよ」
「何を言う。こんなに綺麗になって、すごい賞まで!」
「ヴァレンスだって、こんなに立派になって、勲章いっぱいつけてるじゃない」
とヴァレンスに手を伸ばすとグレンが腕をくっと引き留めた。ヴァレンスが一瞬グレンの手を見ると、表情が一変し、鋭い視線でぐっと体を寄せる。同じくらいの身長の二人に挟まれて、ハイレーナは視界が塞がった。
「ちょっと、グレン、ヴァレンス!」
「お二人とも、祝いの席ですよ」
懐かしい声が聞こえて二人の間に手がすっと割って入った。
「アドリアン!」
メガネの奥から頷いてみせ、アドリアンはグレンを見上げる。
「モンテス研究員、公爵ご夫婦がお呼びですよ」
「チッ」
グレンの舌打ちが聞こえ、ハイレーナは首をすくめた。グレンは振り向いて何かを確認すると、少し屈んでハイレーナの耳元に「行ってくる」と囁く。他の男たちをひと睨みすると大股で立ち去っていった。
「なんだあいつ……」
ヴァレンスの呟きに苦笑がもれる。アドリアンが手を差し出す。
「おめでとう、ハナ」
握り返した彼の手は少し冷たい。なかなか笑うことのないアドリアンの目が優しく微笑んでいる。
「やっぱりハナは私の思ったとおりだった」
「?」
「覚えていませんか?本気を出せば、研究者だって夢じゃないって言ったこと」
図書館での会話が蘇る。唇が上がって、俯いた。
「……たまたま運が良かったの。それに、助けてくれる人がいたから……」
「ハナは本当にあいつでいいのか?」
ヴァレンスが一歩踏み出して顔を近づける。灰色の目を覗き込んで、しっかりと頷く。
「あの人が、いいの」
その瞬間音楽が鳴りやんだ。最初のダンスが終わったようだった。ハイレーナは中央のホールに目をやる。その真ん中から、一人、煌びやかな装いの男が静かにこちらへ歩いてくる。アドリアンをはじめ、全員がこうべを垂れた。
「ウイレム殿下」
その人はハイレーナの正面で止まる。
「頭を上げよ」
顔をあげウイレムを見る。何度か会う機会はあったけれど、久しぶりに目を合わせた。輪郭ががっしりして、大人の顔に変わっている。
「ハイレーナ・ユルヴィナ。本当に素晴らしい研究結果だった。おめでとう」
「ありがとうございます。殿下」
再び膝を折る。姿勢を戻したハイレーナのまえにウイレムの手のひらが差し出される。
「今夜の最も輝ける功績をもたらした女性と踊る栄誉を」
ウイレムの空色の目を見上げる。軽く微笑みを湛えた瞳は、なんの含みもなく真っ直ぐハイレーナを見ている。口角をあげ、静かにその手を取った。
「光栄にございます、殿下」
エスコートされてホールに出る。手を組んだところで、待っていたように音楽が鳴り響いた。すっと足が滑り出す。この人と踊るのは何年ぶりだろう。
——以前とは何もかも違う。
背中に回った腕のホールドは優しい。ふと視線をあげると、ウイレムの表情がふわっと緩んだ。奥から以前のウイレムが顔を出す。心からの微笑みがハイレーナに注がれた。
「ハナ、本当におめでとう」
ステップを踏む。
「君は素晴らしい研究者になったんだね。凛として、自信に満ちて、自分の道を進んでいる。尊敬するよ」
「殿下……」
ふと喉が締め付けられ、目元が熱くなった。
あの時、帰れなかったから今がある。
ふわりと体が回され、もう一度ウイレムにホールドされたところで、最後の和音が鳴った。手を離す寸前にきゅっと力を込めて握った。
「ありがとう、ウイレム」
ウイレムの目がきゅっと縮んで、一瞬白い歯がのぞいた。
ホールドを解いて礼をする。目を合わせて最後の笑みを交わすと、エスコートをされながらホールから退いた。




