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乙女ゲームは終了したのに帰れません〜ハッピーエンドの後に、ひとりぼっちになったヒロインですが、自分の力で生きていきます〜  作者: 国枝 彩乃
研究所編

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雪の夜

 グレンは手袋をはめて、流しのザルに残った繭を持ち上げた。背中でパタンと扉の閉まる音が聞こえた。

 ——大丈夫なのか?

 繭の状態をじっくり観察する。凍結乾燥したものは、ほぼ溶けることなく元に近い状態まで戻る。

 ——生物部で何かあったのか?それとも……思うようにいかず落ち込んでいるのか。何か泣くほどの……。

 弾力も元に近いが、刃は入る。

 ——戻す温度を調べる必要があるな。砕いて戻すほうも試すか。

 少しでも出口が見つかるといい。

「5月まで……か」

 グレンの頭に午前中の会話が浮かんだ。


 雪は十一時ごろ降り出した。シュテファンと共に所長室に呼び出された頃だった。ドラゼッリとその後ろに従うセラードと向かい合うようにソファーに座ると、正面の大きな窓から、チラチラと白いものが降り始めているのが見えた。ハイレーナは朝から生物部に行っている。凍結乾燥の具合を調節すると言ってた。

 お茶が振る舞われ、ドラゼッリがカップを持ち上げる。咳払いをしたセラードが、シュテファンとグレンを見据えて、口を開いた。

「ラナスに研究所ができるのはご存知ですね?」

 シュテファンが大きく頷く。

「急ピッチで建設しているとか。始動は来年以降と伺っています」

「ええ、現地にいるジベルト研究員が所長を務めることが決まっています」

 セラードの言葉を聞くともなしに、ドラゼッリがお茶を音を立てて啜った。セラードが続ける。

「こちらからも一人派遣するのですが、モンテス研究員、あなたに行ってもらいたい」

 隣でシュテファンが息を呑んだ。

「ジベルト研究員もあなたを是非と」

 かちとカップを置いたドラゼッリがグレンに鋭い視線を向ける。

「あちらのウォード鉱石は、伝達インクがうまく機能しないんだ。マルチインクも試したが、満足のいく結果が出なかった」

 その一言にむくりと好奇心が動いた。

「どうやら、現地の素材で新しく開発する必要がありそうなんだよ」

 興味を惹かれて頭が前へ出る。

「いちから、ですか?」

 こっくりと頷いたドラゼッリの口角が上がる。

「どうだい?面白そうだろう?」

 後ろからセラードがシュテファンに話しかける。

「あなたも同行するでしょう?」

「もちろんモンテス研究員が行かれるのでしたら」

 シュテファンの声と気遣う視線を感じる。セラードとドラゼッリの視線を避けて窓を見上げた。雪は激しさを増し、少しずつ木々に積もり始めている。

 ——あまり激しくならないと良いが……。

 ゆっくりとドラゼッリに視線を戻すとしっかりとした声で答えた。

「今、取り掛かっているものもありますので、即答はしかねます」

 セラードの眉がピクッと持ち上がった。ドラゼッリが両手を組んでソファーに沈み込む。口角は上がったままだ。

「もちろん、君もいろいろあるだろう。すぐに返事しろとは言わない」

「そう長くは待てませんよ」

 鋭い声でセラードが割ってはいる。

「いつまでにお返事すれば?」

 シュテファンが身を乗り出してセラードに問うた。勢い込んで話そうとするセラードをドラゼッリが手で止めた。

「5月。それまでに色々整理して、返事をちょうだい」

「わかりました。それまでに必ず」

 無言のグレンをちらっと見てシュテファンが答えた。



 パタンと扉の音がして、現実に引き戻される。

「ハイレーナ?」

 反射的に名前を呼んでいた。

「はい、ただいま戻りました」

 声が近づいてくる。振り向くと、眉尻を下げ、はにかむように微笑むハイレーナと目が合った。左手の白い包帯に目が吸い寄せられる。

「どうだった?」

 と聞くと、彼女は左手を持ち上げ前に出す。

「薬をつけてもらいました。今日1日はこのままだそうです」

「そうか」

 涙の跡が消えたのを確認して、ハイレーナに付いてこいと合図する。

「あっちは大方片付いた。これから全面的に繭に協力する」

 実験室に向かい、繭の資料と紙を揃えていつもの場所に陣取った。室内はもう暗い。ウォードランプを灯す。窓からは降り積もる雪が見えた。ハイレーナがすぐ側に腰を下ろすのを待って続ける。

「まずは凍結乾燥繭でわかっていること、これから試すべきことをまとめる。いいな」

 と紙を押しやった。

「はい!」

 満面の笑みが返ってきたことに満足して、資料を手に取った。降り積もる雪の静けさが、部屋にまで入り込んだようだった。資料を見て問題点を洗い出し、実験内容を精査する。ハイレーナが書き出している間にインクを作る準備をするため席を立った。戻ってくると、ハイレーナが座ったまま目を閉じていた。目の下に黒いクマが浮いている。

「眠いか?」

「大丈夫です……」

 ハッと目を覚ますと、こちらを見ずに返事が返ってくる。しかし緑の目はすぐに半分閉じそうになる。

「会議室で休め。この雪だ、帰るよりここで眠ろ」

 ハイレーナは頷くと、ふらふらと立ち上がって、会議室に消えた。



 シュテファンが研究室に顔を出したのは夜も更けてからだった。大雪で、帰宅を見合わせ、まだ残っているだろうグレンの様子を見ようと、扉を開ける。

「グレン様?」

 実験台の明かりはついたままだが姿が見えず、辺りを見回す。そうっと入って、会議室へ近づいた。空いている扉の影から覗くと、ソファーに眠るハイレーナに毛布をかけているグレンが目に入った。顔を上げたグレンが人差し指を唇に当てた。シュテファンは漏れそうになるため息を押さえる。

 ——もうこれは……。


 足音を忍ばせ会議室から離れると、実験台のいつもの席へ座るグレンに小声で話しかけた。

「ラナス行きの話、どうなさるおつもりですか?」

 インク精製の器具を用意し始めたグレンは答えない。細かく潰した素材と液を入れ、火にかける。シューシューという音が響く。静かに泡立つ液をかき混ぜながら、ようやく呟くような声が聞こえた。

「……とにかく繭だ」

 

 

 二週間後、ラナス研究所発足の知らせが公表された。




 

 

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