背中を押して
「出力停止!」
トニスの大きな声が倉庫に響いた。大きな機械がうねりを停止する。天窓からの光が無骨な木組みの天井を浮かび上がらせていた。ハイレーナが立っているのは倉庫実験所の中だ。微細な振動が完全に止まるまで全員その場で立って待つ。両隣はグレンと、ドラゼッリ所長。反対側にトニス。その奥にハロルドの姿がある。ハロルドがゆっくり機械に近づいて、直方体ウォードを取り出し、トニスは機械を開けて、回路部分を露出させた。ドラゼッリとグレンが近づいていく。ハイレーナも後に従った。
トニスとハロルドが回路を覗き込んでいる。
「いいんじゃないのか?」
「あの高出力で剥離も劣化もないな」
「うん、今までにない強度だね」
ドラゼッリは何度も頷く。一歩下がると三人で顔を突き合わせて話し出した。
「高圧縮でもその前のウォードでも効率が上がっていたし、安定している」
今度はグレンが進み出て回路の状態をくまなくチェックした。機械の止まった倉庫は少し埃っぽい。
ドラゼッリがグレンを振り返って手を差し出した。
「おめでとう。認定だ」
グレンが口角をわずかに上げて、ドラゼッリの手を握り返す。
「これで、インク制作がずいぶん楽になる」
「回路師もな」
ドラゼッリの言葉にトニスが被せる。
「あとは論文書いて、発表するだけだねえ」
グレンが頷く。ハイレーナは一歩下がって見ながら、吐息をついた。
ウォードの歴史を変えてきた三人の研究者たち。そこにグレンも混ざった。
「論文はどのくらいで書けそうか?」
「発表をいつにするかだな。」
四人が日程を決めている間、ハイレーナは今日も乾燥箱に入れた繭に思いを馳せた。
――道は遠いな……。
ふと顔を上げると、ハロルドが、チラチラとハイレーナを見ている。
――お父様ったら、だめだめ。
小さく頭を横にふる。しゅんとした表情で会話に混ざるけれど、また視線がこちらを向く。トニスが目ざとくハロルドとハイレーナを見た。日程調整が終わり、全員が顔を上げたところで、トニスがハロルドの背を叩く。
「いいんじゃないのか?ここにいる全員わけ知りだろ?」
「そうなの?」
と、声を上げたのはドラゼッリ所長。驚いた顔でグレンを見上げる。肩をすくめて一歩下がるグレン。満面の笑みを浮かべたハロルドはハイレーナに向かって両手を広げた。
「ハイレーナ!」
と両腕を広げた。
「お父様!」
いつもの屋敷で見る父の表情にふわっと緊張が解けた。腕の中に飛び込んでぎゅっと抱き閉める。父の匂いにほっと息を吐いた。
最近ずっと会っていなかった。研究所で顔を合わせることはあっても、親子として話をしたのはいつだろう。
「こいつ、お嬢不足で弊害が出てるんだ」
トニスがハロルドの頭ごしにウインクをくれる。
「見送りの時も『せっかく顔が見れたのに無視された』って半日落ち込んで」
面白おかしくドラゼッリに話す。
「そうなの?」
「元気なのかい?大丈夫なのかい?」
「お父様だって、少しお痩せになりました?」
抱擁を解いても、ハロルドはハイレーナの手を掴んだまま。屋敷の様子やマーサの話が尽きない。
「おやまあ。ハー坊がこんなに親バ……んん……甘々になるなんてねぇ」
ドラゼッリの呟きも耳に入らない。
三歩ほど下がって見ていたグレンにトニスがにじり寄る。耳元にささやいた。
「……お嬢と一緒にいるなら、慣れるしかねえな……」
しばらく親子の時間を過ごしたあと、倉庫の呼び鈴が鳴って、セラードとシュテファンが姿を現した。ハイレーナは急いでハロルドと距離を取る。
「どうでしたか?」
「認定だよ」
シュテファンの問いにドラゼッリが答える。セラードはハロルドに慇懃に礼をすると「ヴァロネス博士、終わったら速やかにお戻りいただくよう、秘書の方からことづかっております」と言った。
「そうか、そうだったね」
ハロルドは名残惜しそうにチラとハイレーナを見ると、表情を引き締めた。
「では、ドラゼッリ所長、トニス。お先に失礼します。グレン君、素晴らしい研究成果だった」
「君、」
とグレンの後ろにいたハイレーナに呼びかける。
「君も頑張りなさい」
と言って出て行った。
――お父様……!
事務的な手続きを終えたあとは帰るだけ。トニスは倉庫の入り口で立ち止まった。
「ドラゼッリ所長。俺はここで後片付けをしますので」
「ああ、ご苦労様でした。ペトリ君。よろしく頼むね」
トニスがグレンに向かって「モンテス、いい出来だった。おめでとう」と声をかけ、握手を交わす。
ハイレーナたちが秘書と共に第二研究所の方向へ歩き出した時、トニスが声を張り上げた。
「おい、お前!」
全員が振り返る。トニスはハイレーナを手招きしている。
「これ、お前のじゃないか?」
と紙束を振っていた。
「あ、はい!」
と答えてトニスの元へ駆け戻る。他の面々はそのまま歩を進めて遠ざかってゆく。白い紙束を手渡しながら、トニスが顔を近づけてささやいた。
「フィラ蛾の巣使えそうだぞ。弾力性も耐久性もバッチリだ」
「じゃあ!」
「もうちょっと待ってろ。足蹴り板ぜったい作ってやるから。お前も粘れよ」
ハイレーナは笑みを浮かべると小さく頷き「ありがとうございました!」と頭を下げて、もじゃもじゃ頭の方へ駆け戻った。
研究室に戻ると、ハイレーナはグレンに頭を下げた。
「ありがとうございました。元気が出ました!」
「なんのことだ。俺は知らん」
とそっぽを向くグレンに「ふふふ」と笑う。
「そして、おめでとうございます」
「……まだ論文がある」
「はい」
返事をしながらお茶を入れにコンロへ向かった。
――もう一度ちゃんと検証し直す。次の一手、ちゃんと打てるようにする。
その夜、論文の準備を進めるグレンと別れ、宿舎に戻る。歩きながら、シャワーを浴びながら繭の資料に頭を巡らす。
試したこと、分かったこと、わからなかったこと。乾燥した繭……。
そして夜中。ハッと目を開けた。
「そうだ!」




