わずかな一歩
乾燥した繭をパリパリと砕いて、粉砕機の中へ流し込む。スイッチを入れると微かな振動と共に動き出す。
「レナちゃんの頼みなら、最優先で作ってやるよ」と言ったフェイドンは一週間後に箱を持ってきてくれた。繭がちょうど五個収まる大きさ。風の強さ、時間など工夫しながら、乾燥具合の違うものを五個作った。そのまま粉砕機に入れようとしたらグレンに睨まれたので、糸状にほぐしながら入れる。乾燥箱から漏れる風でここ数日の実験室はひんやり快適だった。粉砕機が止まりスイッチを切る。粉を取り出し、次の繭を流し込んでスイッチを入れる。フェイドンから聞いた「宣戦布告されたぞ」という言葉が頭から離れない。
「行ってくるよ。ハナ」
北の砦へ向かうオットーを送り出した日を思い出す。八月中旬の茹だるような暑さの中、ポロダン商会の前に商隊のホロを被った荷馬車がずらりと並んで、護衛騎士団まで待機していた。
「心配しないで。物資もウォードも武器も、最良のものを山のように届けるんだから」
「気をつけて。道中の安全を祈ってる。ヴァレンスにも、怪我しないでって、無事を祈ってるって伝えて」
と言って見送った。
頭を振って、最後の繭を流し込む。グレンはマルチインクの実証実験で今朝出て行ったきり戻ってこない。
不吉な考えを祓おうと手元の糸を見た。
「この感じ、何かに似てるんだよね」
パリパリした半透明の……。
「あ、春雨、いや、寒天だ!この太さ」
前世の寒天を思い浮かべる。
「食べたいなぁ……」
出来上がった粉を台に運び、マルチインク用の液を加えて湯煎にかける。絶え間なく混ぜながら、視線を泳がせた。やけに実験室が広い。
「……居たところで何も言わないのに」
ガラス容器の中は小さな泡が立ち始めた。火から下ろして静かに混ぜ続ける。しばらくすると、濁りのない白いインクが完成した。
「やった!」
思わず笑みが溢れる。5種類の粉はそれぞれ白の風合いが少しずつ違うインクに仕上がった。それでも、去年のドロドロの液体とは天と地ほど違う。
「よし」
回路ペンを取り出し、インクを流す。
「ふう」と気合を入れて、回路を引いた。
顔を上げて、実験室を見回す。椅子から立ち上がってウロウロと歩く。
――いけるか、いけないか。
「さっさとやれ!」
とグレンの声が頭に響いた。
クズウォードを取り出し、回路の起点に、置いた。
「……」
静寂の中に蝉の声だけがやけに大きく聞こえた。
「……ダメか……」
次のインク。回路を引く。クズウォードを置く。
「えっ!」
置いた瞬間ほんの少し、光った気がした。
「……気のせい?」
もう一度。微かな光と振動。溶けるように一瞬で消えた。記録をつける。
次のインク。反応なし。
――乾燥時間の差?なんだろう。
扉が開いて、グレンが姿を現した。
ぱっと笑顔を向けて声をかける。
「お帰りなさい。どうでした?」
グレンは微かに頷いただけで大股で近づいてきた。台に乗った器具と瓶に素早く目を走らせながら言った。
「インクになったのか?」
「ええ、でも……」
「やってみろ」
四つ目の回路を引く間、グレンは記録のメモを読んでいる。失敗。吐息を吐く間も無く顎をしゃくられて、五つ目を準備する。
――これが最後。
クズウォードを持つ手に力が入る。
「早くしろ」
息を吐いて静かに置く。
「……」
「……」
ガックリと肩の力が抜けて、台に突っ伏した。
「どうして!インクになったのに……!」
グレンは回路とインクを手に取って見比べている。それを横目で追いながら、顔を上げる気力が出ない。
しばらく丁寧に記録とインク、器具を検証していたグレンが呆れ声を出す。
「落ち込んでる暇があったら原因を考えろ。時間がもったいない」
ハイレーナはなんとか頭を持ち上げた。情けなくて、がっかりして、地面に潜りたい。
グレンが資料を片手に、インクの瓶を透かして見ながらポツリと言った。
「インクとしては成立しているが、成分が抜けてるんじゃないのか?」
「!?」
思わず、器具と乾燥機、繭の残りを見比べた。グレンが資料の束をハイレーナの前へどさりと置く。
「洗い直せ」
資料をトントンと指で叩く。
「次を考えろ」
それだけ言うとグレンが踵を返して、扉へ向かって歩いていく。ハイレーナはのろのろと手を伸ばして資料を手に取った。
――よし、最初から、見直す。
ノブに手をかけたグレンが一瞬止まった。振り返るとハイレーナをじっと見た。
「来週、耐久検査の最終日には、お前も立ち会え」
ドアがバタンと閉まった。




