見送りと密談
ハイレーナは拡大鏡で繭を観察している。八月に入って今年初めての繭が運ばれてきた。生物部が幼虫が抜けた直後のものを採取してくれたのだ。去年の繭を使い切って、新しい繭を待つ間、ハイレーナはずっと考え続けていた、別のやり方を。
「繭なんだから、絹みたいに糸になるはず」
糸であれば抽出しやすいと、ピンセットを片手に拡大鏡で糸口を探している。目の前の繭から冷気がやんわりと漂ってくる。気がつけば、必要以上に顔が近づいていた。向かいの席ではグレンが汗を拭きながら、レジノス液の配合を繰り返し試している。ふと思い立って、予備の繭をウォード送風機の前に置くと、熱風に変わって冷たい風が流れてきた。風がもじゃもじゃの前髪を揺らす。グレンが顔を上げ、繭とハイレーナを見ると、口角をあげ、再び俯いた。ハイレーナは時計を確認して、立ち上がる。
「グレン、私、見送り行ってきます」
「ああ」
顔を上げることなく、返事が来たのを合図に研究室を後にした。
廊下を歩きながら、ため息が出た。
「やっぱりすごいなぁ」
新年からグレンはどんな出力にも耐えるマルチインクの研究を続けている。ハイレーナが一喜一憂する横で、淡々と、配合し、試し、記録をつける。その膨大な記録をもとに、完成が近づいていた。
ため息をつきながら、内門を越え、中央広場に向かった。
遠目でもわかるほど、人が集まっている。馬車三台に荷馬車が三台。近づいていくと、カマルとフェイドンが連れ立っているのが見えた。
「あ、レナちゃん、来たんだね」
「ええ、ジベ爺には挨拶したくって」
「ジベ爺ならあそこだ」
指さされた方向に第二研究所の研究員とドラゼッリ所長、セラードの姿が見えた。
「所長、セラード」と声をかけ、挨拶をしてから、ジベ爺に手を差し出す。
「ジベ爺、どうか気をつけて!」
ハイレーナに笑顔を向けたジベ爺は、くるっと後ろを向いて排れーなが贈ったリュックを見せた。
「これを貰ったから、ラナスの鉱山も何のそのだ」
「ジベ爺……」
「そろそろ」
とセラードが馬車を指し示した。第一や第三からも人が出ていて、トニスとハロルドの姿も見えた。できるだけ目を合わせないようにしながら、馬車に乗り込むジベ爺を見送る。研究所からは三人の研究者が、王城から使者が二名、馬車に乗り込んだ。騎士団が周りを固め、出発の合図が鳴る。人垣がサッと引けて騎士たちの馬が歩き出した。馬車がそれに続き、二頭立ての荷馬車が最後に動き出す。しんがりの騎士たちの姿が外門を通って、見えなくなるまで見送った。ハロルドとトニスは秘書と職員に囲まれて姿を消し、ハイレーナはフェイドンとカマルと連れ立って、内門へ戻る。
「羨ましいなぁ、俺も見てみたかったぜ、ラナスウォードをよ」
「まあ、仕方がないよ。独身者優先だったし。いつ戻ってこれるかわかんねえし」
「でも、ジベ爺が行くなんて意外でした」
「これが最後の機会だとか言って、張り切ってたぞ」
と言って三人で笑った。
「まあ、道中安全ってわけじゃないしな」
カマルの声が沈む。
「ラナスの件でボリステレスが動き出したって噂だ」
「ああ、北の国境がやばいってな」
「え?」
ヴァレンスの顔が浮かんで、思わず大きな声が出た。フェイドンは慌てたように両手を振った。
「いや、噂だから。ボリステレスが黙っちゃいないってのは、前から言われてただろう?誰か知り合いでもいるのか?」
「ええ、友達が……」
新年のカードには娘が生まれたと書いてあった。
「そうか。……今までだって跳ね返してきたんだ。大丈夫さ」
ハイレーナは頷いて二人に笑顔を向け、第二研究所の前で別れた。階段を登り研究室の扉を開けると、冷ややかな風と共に、グレンがさっきと全く同じ位置で同じ動きをしていた。
「ただいま帰りました」と言いながら、なぜかほっとしていた。
その夜、王城の廊下を歩くオットーの姿があった。王太子宮の廊下の奥にたどり着くと、扉を叩く。すっと扉を開けたのはアドリアンだった。
「謁見は?」
オットーを室内に招き入れながらアドリアンが尋ねる。
「つつがなく。ラナス王への使者に父が合流すると」
部屋へ入ると正面の執務机に座っていたウイレムが立ち上がって出迎えた。
ソファーに腰掛けると、アドリアンが蒸留酒の瓶とグラスをテーブルに並べる。早速ウイレムが口をひらく。
「ポロダンが行ってくれるのなら、ラナスの方は安心だ。父上は、ボリステレスは僕に一任するとおっしゃった」
アドリアンとオットーが頷く。早速オットーが紙束をテーブルの上に置いた。
「北の砦に納入する物品のリストです」
アドリアンが紙束を取り、入念に確認したあと、ウイレムに手渡す。しばらく紙をめくっていたウイレムが視線をオットーに戻した。
「これだけ用立ててくれるのか?」
「ベトランタから、穀物、野菜など買い占めてありますので」
口角が上がっている。アドリアンがグラスを避けて地図をテーブルに広げた。
「一方で、ボリステレスへは物資の値を上げます。食料をはじめ、紙、布など」
「兵糧攻めか。面白い」
「ルートを分けて、このように」
三人で地図を覗き込んだ。
「この辺り、護衛を増やしましょう」
アドリアンがメモを取る。腕組みをしてみていたウイレムが海を示した。
「レグステラは海軍を西の海岸線に派遣する」
オットーがはっとウイレムを見つめる。アドリアンは頷いた。
「大きな借りを作ったわけだ。ウォード船の開発を約束させられたよ」
とウイレムは苦笑する。それを横目で笑い、アドリアンは不敵な表情を浮かべる。
「私はあちらの王宮内部の人間を動かしましょう。幸いあちらは子沢山。王太子の交代劇などいかがですか?」
ウイレムは苦笑したまま顎を引いてアドリアンを見る。
「ほどほどにな。やりすぎると後々面倒になる。オットーお前もだ。無理はするな」
「ええ、でも潰しておきたい人物もおりますので」
アドリアンが身を乗り出しオットーを見た。
「……マレシュ・ラディックか?」
オットーは微笑みをたたえたまま答えない。
「ボリステレスに食い込んだらしいな。例の着火具を軍の常備品に捩じ込んだとか」
「ああ、クズウォードの価格以上の高値で売り込んだと」
オットーは二人の顔を交互に見ると視線を落として静かに言った。
「……そろそろ対価を支払っていただこうかと」
「そうだな」
「我が国とハナに手を出した罪は深い」
ウイレムの言葉を合図にアドリアンが蒸留酒をグラスに注ぐ。琥珀色の液体がテーブルに影を作った。
「あとは北の砦、ヴァレンス頼みだな」
「物資を納入がてら、顔を見てきます」
誰からともなくグラスを上げ、口に含む。強い酒の余韻に浸っていると、アドリアンがグラスを置いて、一枚の紙を取り出した。
「そういえば、面白いことがありましたよ」
「去年、研究所から上がってきた報告書を検討していたのですが」
「貧民街の共同風呂に関する提案?これがどうした」
紙にさらっと目を通したウイレムが首を傾げる。
「調べてみると、どうもハナが発案者らしい」
「え?」
「何だと?」
二人がもう一度紙を覗き込む。最後まで読むと二人の口元に笑みが浮かんだ。
「……ハナらしいな」




