遠い空
座席が跳ね上がって、アリスティッドは目を開けた。いつの間にか眠っていたらしかった。凝り固まった肩をほぐし、窓の外を見る。早朝に研究所を出てからずいぶん長く馬車に乗っている。雪こそ降っていないが、寂しそうな木々が風に揺れている。
「そろそろだな」
首を回しながら、新年から二ヶ月の忙しさを思い出してため息をついた。生物部が発足してからというもの、人手不足に悩まされ、連日二人分の仕事をこなすハメになった。思っていたより多くの人材が生物部に移動を願い出たせいだ。
「伝達物質のやつら、素材研究ができてウハウハだろうよ」
もう一度ため息をついた所で御者の声がして、馬車が止まる。
「身が持たねえ……」
そんな忙しさの中、半日をかけてここまで来たのには理由がある。馬車を降りて工具箱とインク箱を下ろしながら、期待に胸が高鳴った。
「アリスティッド・ディ・ダジェント侯爵」
「オマリー伯爵」
「何、今は前伯爵じゃよ」
「私もとうの昔にアリスティッド研究員ですから」
と笑いながら握手を交わした相手は、白髪を丁寧になでつけた細身の老人。
「わざわざすまないね」
「いえ、こちらこそ、楽しみにして参りました」
古い屋敷のホールを抜けて、厨房近くから地下へ降りる。
「着いて早々で申し訳ないが、頼めるかね」
と言いながら、開いた扉の向こうには巨大な空間が広がっていた。床は大理石。円形の部屋の真ん中に設られた機械。
「先々代から大事に使ってきたものでね」
「……これは!ウォード初期のものではありませんか。初めて実際に目にしました!」
「六十年、いや七十年もの……」
「騙し騙し使って、今でも暖房はこれに頼っている。流石にその辺の修理師ではもう直せないと言われてね」
機械の表面には凝った細工が施され、機械であるのに美術品のような風格がある。
「美術館に収めるような代物ですよ」
アリスティッドはその細工に手を這わせた。オマリー前伯爵は満足そうに顎を撫でている。
「直るかね」
「見てみないことにはなんとも。できる限りのことはやってみます」
「よろしく頼むよ。君がダメだったら他の誰にも直せないからね。そうなったら本当に美術館行きだ!」
と言って、前伯爵は部屋を出て行った。
アリスティッドは舌なめずりするような興奮の中、腕まくりをして工具箱を開けた。
「どうだい?」
穏やかな声にハッと顔をあげる。地下空間ではどのくらい時間が経ったのか、見当もつかない。頭を振って振り返ると入り口に立っているオマリー前伯爵に返事を返す。
「明日の午前中には、なんとか」
「そうか!それはよかった!」
満面の笑みを浮かべたオマリーが「さすがだ」と何度も頷いた。
「ささやかな晩餐を用意した。支度をしてくるがいい。案内させよう」
と言って去っていった。
工具を片付け、客間に案内してもらう。窓の外はすでに真っ暗だった。手と顔を洗い、衣服をあらためて食堂へ降りた。ワインを開け乾杯する。
「いや、嬉しいよ。半分諦めていたからね」
上機嫌のオマリーにならってワインを喉に流し込む。
「動作確認をしなければ、直ったとはいえませんから」
「いや、君が言うなら、大丈夫だ」
アリスティッドは苦笑しながら前菜を口に運んだ。
「最近、研究所はどうかね?」
「はあ、忙しくしております」
「そういえば女性が入ったと聞いたが、どうかね?」
――さすがは元貴族院の実力者……。情報網は健在らしい。
研究材料を使い果たしたと落ち込んでいたレナを思い浮かべた。
「はい、なかなか見どころのある娘ですよ」
「ほう、そうかい。最近の女はたくましいね」
オマリーはそう言ってからわざとらしく口元を押さえた。
「お、失礼、君の奥方も、職業婦人、お医者様だったね」
「はい」
――このジジイ。
苦々しい思いは次の言葉で断ち切られた。
「私の娘はラナスに嫁いでね」
話の繋がりが見えない。
「もう、あちらの方が長いのに、よく手紙をくれる」
そう言いながら、ワインのグラスを置いた。
「修理の礼と言ってはなんだが……」
アリスティッドの顔に鋭い視線を向けた。
「ラナスの鉱山で古代遺跡が見つかったのは知っているね」
――コイツがこんな顔をする時は、並のことじゃない……。
「半年前、ウォードに似た鉱石が見つかったそうだ」
飲んでもいないはずのワインが喉に詰まった。オマリーはアリスティッドの表情に満足げな笑みを浮かべ、ナイフとフォークを取った。
「幸い、鉱山はポロダン商会の持ち物でね。大騒ぎになる前に情報を押さえた」
アリスティッドの頭は高速で考えを巡らす。
――とはいえ、ラナス王家に隠し立てするわけにはいかない。その前にアルバードに情報を流したか。
「ポロダンの末息子が任されているそうだが、なかなか上手く立ち回ったようだよ」
「オットヴァルド、とか言いましたか」
オマリーが頷く。鹿肉を口に運びながら、アリスティッドに食事を勧める。
「ポロダンは良い後継者を持ったようで羨ましい限りだ。それに比べてうちの息子達ときたら……」
老人の愚痴を聞きながら、柔らかい鹿肉をいつまでも咀嚼していた。
寝台に疲れた体を横たえ、頭では先ほどのオマリーの言葉を反芻している。
「やりて政治家の顔は健在ってところか」
侯爵時代に何度かぶつかった、食えないオマリーの顔を思い出した。
――俺に話すってことは、水面下で根回しは終わってると思っていい。
「やけに急ぐと思ったら」
生物部の立ち上げもきっと、その一環だろう。
「何がウォード以外の用途だよ」
――今まで独占してきたウォードがラナスに出たんだからな。
「ペトリ、あいつもグルだな」
寝返りを打つ。目を閉じたが眠気は来ない。レナの顔が浮かんだ。
――噂になったのは年末だったか。
レナがポロダンの馬車で研究所に乗り付け、ポロダンの息子にエスコートされて、研究室に家具を運び込んだと噂が広まった。『二人は婚約している』だとか、『だから売り出し前の鉛筆を持っていた』だとか。面白くなさそうに食堂の席をたったグレンの顔が浮かんで、にやけた。
「あいつ、相当……」
クククと笑ってから、気を引き締める。
「年末にはラナスに話をつけていた……」
オットヴァルドが戻っていたなら、そういうことだろう。体の疲れが静かに眠りを呼んでくる。もう一度目を閉じた。
「まずは目の前の仕事を……」意識が途切れた。
翌朝早くから地下で作業をし、動作確認を終えたのは昼ちょっと前。用意された昼食を大急ぎで胃におさめ、馬車に乗り込む。見送りに出てきたオマリーとあらためて握手を交わす。
「礼と土産を積み込ませた」と馬車を指した。
「ありがとうございます」
乗り込んだ馬車の扉が閉まり、最後の会釈をしようと窓を開けると、厳しい表情のオマリーが近づいてきた。
「いろいろと動くぞ。覚悟しておいた方がいい」
御者の声がかかり、馬車が動き出す。アリスティッドは窓を閉めて座席に沈み込んだ。グレンとレナ、仲間達の顔が浮かぶ。なんだかとても疲れた。しばらく車輪の音に身を預けていたが、ふっと体を起こすとつぶやいた。
「まあ、俺は目の前のことをやるだけだ」
読んでくださってありがとうございます。アリスティッド視点の章になりました。実はお気に入りのキャラの一人です。色々過去があるのですが、それはまたの機会に。
この章で出てくる、オットーとハイレーナの家具運び込みエピソードは、番外編集の『特別な休日』で公開しています。どうぞお楽しみください。




