繭
廊下を曲がったところから、前を歩くもじゃもじゃ頭に気がついた。
――めずらしい。
いつもならハイレーナが到着する前からグレンは実験を始めている。奥の扉の前で鍵を回している手つきが、いつもより緩慢だ。
――寝不足?……まさかね。
「おはようございます」
「……」
振り向きもせず中へ入るグレンに後ろで思い切り顔を顰める。そのまま奥の貯蔵室に入っていくグレンを横目で追って、ウォードコンロへ向かった。出がけにマーサが野菜や加工肉とともに、茶葉を何種類か持たせてくれた。リュックの中を探って、疲労回復のハーブティーを取り出した。
――別に。私が飲みたいから、ついでに。
二つのカップに金色のハーブティーを注ぐ。香ばしい草の香りが立ち上った。
実験台のグレンの目の前にとん、と置く。グレンの頭が持ち上がって、ハイレーナに向く。しばらくしてカップを手に取った。
――ふーん、飲むんだ……。
ハイレーナもこくりと飲み込むと、カップを置いて尋ねる。
「今日は何を……」
グレンが顔を上げたと同時に扉が開いた。
「お待たせしました!」
書類を抱えたシュテファンと、その後ろに小間使いが箱を持って付き従っている。
「繭、十個で間違いないですね。ここにサインをお願いします」
「繭!?」
シュテファンを見る。そしてグレンの顔を覗き込む。
「なんだ、冷気をつくりたいんだろ?」
「高濃度用の伝達物質は?」
「冷気はお前がやれ」
――私?やっていいの?
「ユルヴィナ研究員、忙しくなりますね」シュテファンが笑顔を向けて頷いている。
「まずは1時間ごとに重量と温度を測って記録だ。幼虫が抜けた時期がわからんからな。5個設置しろ」
小間使いの手を借りて台の上に設置する。冷気が漂って、台の下がふわりと曇った。
――大丈夫、まだちゃんと冷たい。
重量計と温度計、時計を準備する。
「しばらくは持久戦ですね」
作業を見守っていたシュテファンがハイレーナに話しかける。
「できる時に体を休めて。勤務時間はしっかりセラード秘書官に報告しておきますから」
グレンが近付いてくる。
「冷気がどのくらい持つかだな。あと二つは乾燥。二つ切って内部の状態を確認。一つは煮てみるか」
「はい」
「グレン様、ちゃんと家に返してあげてくださいよ。誰もが、あなたのような体力お化けじゃ無いんですから」
「うるさい」
肩をすくめてシュテファンは出て行った。
グレンは実験台のいつもの場所へ。
ハイレーナは繭の計測に取り掛かる。五分ずつずらして、計測、記録。次を測って記録。残りの四十分で乾燥台に運び、トイレに行く。二度目の残り時間は繭を切ろうと、まな板とナイフを用意する。手袋で押さえて、刃を当てた。弾力があって、押し返される。ノコギリのように押し引きしてみるが刃が立たない。
「グレン!」
「なんだ」
「切れません」
「……割ってみるか」
グレンがトンカチを持ち振りかぶっておろす。ぼおんと跳ね返された。そこでベルが鳴る。
「計測!」
「はい!」
「切るのは保留だ。次は煮てみろ」
「はい」
計測を終え、鍋をコンロにかける。煮立ったところに繭を静かに入れた。
ボコっと音がして、気泡が現れる。
「きゃああ」
「どうした!」
「溶けました!」
「何?」
グレンが駆けつける。
「濾してみろ」
「はい」
布の上には何も残らない。跡形もなくなった。残りの透明な水の入ったビーカーを持ち上げた。
「このまま、冷えるまで待つぞ」
ベルが鳴る。計測、記録。
「今のうちに昼飯食ってこい」
「はい」
階段を駆け降りて食堂へ走り込む。足踏みをしながらプレートを受け取り席に向かう。スープをごくりと飲み込んで、熱さに目を白黒させながら、サラダとチキンを頬張る。最後に水を飲み干すとそのまま立ち上がった。
「あ、レナちゃん!」
「ジベ爺、後で!」とだけ言い捨てて、走りだす。
「ありゃ、グレンに使いまわされとるな」
と後ろで聞こえた。
階段を駆け上って扉を開けると同時にベルが鳴る。計測、記録。グレンが立ち上がって、のっそり出ていった。
「寝ておけ」
会議室に向かってあごをしゃくるグレン。会議室のソファーの上に、使い古しのよれた毛布が乗っている。
――仕方ない。寝ておかないと。
思い切って横になり毛布を被った。体が沈み込む。グレンの匂いがした。
夜中も同じリズムで過ぎてゆく。ベルに起こされ計測する。グレンに会議室の毛布を譲って、実験室で記録を続けた。繭の温度はほぼ変わりない。
「この子はフィ。そっちはラガ、で次の子がマーユ、私想像力なさすぎ?」
薄暗い研究室でひとり呟く。残りの繭をキラとラフィと名付けてスケッチをする。いつの間にか眠ってしまったようだった。
「おい」
眠っていないつもりだった目を開けると、無精髭が一段と濃くなったグレンが目の前に立っていた。
朝の光が差し込んで、繭の白が際立っている。
「交代する。今のうちに風呂……お前、女だったな……」
「……」
「もういい、帰れ」
「……では二時間ください」
グレンが頷くのを待って、宿舎に戻った。
宿舎に戻ると大きなため息が出た。ここまではベルが追ってこない。服を脱ぎ捨てると、熱いシャワーを浴びた。
「女だっていうだけで……」
共同浴場は内門の中。男なら五分もかからない。宿舎に戻るだけで二十分。こうしている間も時間が過ぎていく。
頭の中のベルの音を追い払い、体を拭いた。二時間もらうんだから有効に使おう。卵とベーコンを焼いて、サンドイッチにする。包丁を入れて、三角に切る。繭と違って、すんなり刃が通り、断面から卵の黄身がツヤツヤと今にも流れ出しそう。
――あ、もしかして……。
包丁を丁寧に洗い、サンドイッチを油紙に包んでリュックに入れる。眠気覚ましの茶葉と自分の毛布。着替えの下着を入れて、背負った。




