晩餐
「論文を持ってまいりました。拝読いただければと」
十七時ぴったりにやってきたグレンは、髪こそいつものままだったけれど、無精髭は剃られ、パリッとしたシャツ姿だった。扉を開けたハイレーナには目もくれず、後ろに立つハロルドに深々と挨拶をした後、差し出したのは論文の束だった。
「うん、読ませてもらうよ」
ハロルドが受け取った時、奥からエルヴァがエプロンを外しながら現れた。じっとグレンから目を離さず近づくと、手を差し出す。
「エルヴァ・ロッシと申します。モンテス様、論文は拝読しております」
一歩引いたグレンに「エルヴァは王立図書館の司書ですよ」と言葉を添える。
「……ああ、グレンバルドです。グレンで」
と形ばかりに手を握った。
「モンテス?お前か、お嬢の世話係になったのは」
「トニスおじ様!」
「は……?」
慌てて振り返ったグレンを押し除けるようにトニスが入ってくる。
「彼はね、ハイレーナを高く評価してくれてるんだ!」
そう答えたハロルドに手を上げると、ハイレーナとエルヴァににっこりと笑みを向けた。
ハイレーナは天井を見上げたくなる気持ちを抑え、「さあ、みなさんお揃いですから、サロンへどうぞ」と指し示した。グレンが頭をぶるっと頭を振って付いてくる。その姿にチラリと目をやったトニスがハイレーナに近づいて小声で言った。
「どうしてこうなった?」
「一緒にいるところを見つかってしまって」
「はぁ。ま、ハロルドじゃ隠しきれんかったさ……」
二人のため息が重なった。
サロンへ落ち着き、食前酒が振る舞われ、色とりどりの野菜のフライがテーブルに並ぶ。グレンはチラチラとハロルドのそばに置かれた論文を見ながら、長い足を縮こめるように座っている。乾杯のグラスが触れ合って小気味の良い音を立てた。野菜スティックのフライにトニスが手を伸ばした。
「今日、坊主は来ないのか?」
「最近忙しいみたいで。ラナスに行きっぱなしなんです」
「ラナスで遺跡が見つかったとか。そのせいでしょうか?」
今日のエルヴァは薄化粧にひっつめ髪を下ろしていて綺麗だ。食前酒に上気した頬が赤い。しばらく見惚れて、ハロルドに視線を向ける。さっきから同じものばかり手に取っている。
「お父様、にんじんも食べてください!」
「あ、うん……」
にんじんスティックにソースをつけて、顔を背けるハロルドの目の前へ出す。その時、玄関の呼び鈴が鳴って、ハイレーナはハロルドの手にニンジンを預けると、いそいそ立ち上がった。
あっけに取られたグレンが目の端に入ったけれど、無視することに決めた。
――気にしていたら身がもたないもの。
玄関に出ると、ポロダン商会の使いから荷物を受け取る。
厨房に顔を出し、マーサと段取りを確認した後サロンに戻った。
「マーサ、今日も素晴らしく美味いぞ」
香ばしい匂いと人の声が食卓に満ちる。トニスが旺盛な食欲で前菜を平らげ、メインの肉にかぶりつく。赤ワインの瓶が次々と開いて、テーブルの上に並んだ。
「お嬢様が手伝ってくださいましたから」
「おじ様、じゃがいものグラタンは私ですよ!」グラタンのおかわりをトニスの皿に取り分ける。
「うん、ニンニクが効いていて美味い」
「野菜スープもですよ」
エルヴァがマーサに微笑んで、ソースの皿を受け取る。ハイレーナは胸を張りニヤリと笑ってハロルドを見た。
「お父様のために、ニンジンたっぷりです!」
「ぶっ」
食堂に笑い声がこだました。
お腹がはち切れんばかりに食べ、サロンへ移動する。グレンとハロルドが何やら話し込み、トニスが食後酒の丸いグラスを片手にソファーでくつろいでいるのを見ながら、ゆっくり窓へと向かった。キィと音を立てて窓を開け放つ。夜の湿気を含んだ風が部屋に流れ込んだ。キッチンからマーサとエルヴァの声が聞こえてくる。ふっとあかりが消えると静かなマーサの歌声が響いた。天使の誕生の歌だ。蝋燭の光が近づいて、ハロルドの前で止まった。
「お誕生日、おめでとうございます」
「……!」
大きなケーキに立てられた蝋燭に、ハロルドが何度も息を吹きかけやっと消す。明かりが灯るとハロルドは満面の笑みでみんなを見回した。その目が少し濡れている。ハイレーナは父の元へ行って頬にキスをし、抱きしめた。
「お父様、おめでとうございます」
しばらくして腕を離すと一際明るい声を上げた。
「さあ、みんなからお父様にプレゼントがあります!」
「では、わたくしから」
エルヴァの小箱の中には、見事な細工の施された栞。
「これは錫かい?素晴らしい細工だ。ありがとう」
トニスからは懐中時計。「時間厳守」と言うカード付き。ハイレーナは革製の筆記用具ケースを送った。
「そしてこれは、トニスおじ様とエルヴァに」包を渡す。
さっき届いたばかりのリュックサック。包をむしり取ったトニスが歓声を上げた。
「これ!お嬢!」
たくさんあるポケットを開け閉めして手を突っ込んでいる。エルヴァは立ち上がって両手を広げてハイレーナを抱きしめた。
「ハイレーナ!ありがとう!」
「こんなところにもポケットをつけるなんて、さすがお嬢だな」
トニスとも抱擁を交わす。二人の笑顔に釣られて笑い出す。そして最後に残った包をハロルドに手渡した。
「これはオットーと私から」
最後の平べったい包を開けたハロルドは口に手を当て、しばらく見入った。全員に見えるように、額に入ったそれをこちらに向けた。
「……これは?」
「これはね、ハイレーナが小さい時に描いた絵なんだ」
イレーネ、ハロルド、真ん中にハイレーナ。手を繋いで笑っている。イレーネとハロルドが取り合いになったのでもう一枚描いた、というもの。トニスが近づいて、じっと見入る。
「小さい時から絵が上手でね。もっとたくさんあるよ、見るかい?」
「お父様!」
「見たいです」
「エルヴァ!」
ハロルドが小走りで部屋を出た後、トニスとエルヴァのにやにや笑いが居たたまれず、食後酒を一舐めした。りんごの香りが広がったあとかっと喉が熱くなる。
紙束を抱えて戻ってきたハロルドが、テーブルの上に丁寧に置くと、ひとつずつ説明し始める。
「これはね、人を乗せて空を飛ぶ鳥。同じ絵をたくさん作る魔法の箱」
紙を受け取ったトニスはエルヴァに回す。
「髪を乾かす温風機、欲しくなりますわね」
エルヴァからグレンに回る。ハイレーナはグラスを抱えたまま、ソファーに沈み込んだ。
「お、これは何だ。初めて見るな」
「自分の足で回す車だよ」
「は?」
「あっ!」
――そうだ、自転車!




