休日
研究所の馬車を降りるとハイレーナは、肺いっぱいに我が家の匂いを吸い込んだ。ひと月半しか留守にしていないのに、懐かしい。新しく雇い入れた庭師のダグが、どこからともなく現れ、門を開けてくれた。御者とダグが黙礼を交わす。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、ダグ。変わりはない?」
一緒に馬車を見送ってから、玄関に向かって歩き出した。
「はい、旦那様のお帰りが少し遅くはなっていますが……」
「そう、ありがとう。よろしくね」
そういうと、ダグは帽子をスッと持ち上げ、庭の奥へ消えていった。ハイレーナは居住まいを正す。それから勝手に緩んでしまう頬を引き締めながら、呼び鈴を鳴らした。
「はいはい」とくぐもった声が聞こえ、足音が近づいて扉が開いた。
「マーサ!ただいま」
両手を広げてマーサに抱きつく。
「まあ!まぁ!」
しばらく固まったマーサはようやく腕を伸ばしてハイレーナを抱きしめた。
「お帰りなさいませ!」
「ふふ、急にお休みがもらえたの」
「おかしいと思いましたの。門の呼び鈴が鳴りませんでしたし、ダグも……」
マーサは体を離すと、じっくりとハイレーナを眺めた。
「お痩せになって……」
ハイレーナは視線を泳がすと、話題を変えた。
「あのね、早速なんだけど、ポロダンに使いをやって欲しいの」
鞄から手紙を取り出す。
「こちらはアメリア様に」
家の中へ歩みを進め、階段へ向かいながら説明する。
「四日間の休暇がもらえたの。で、その後フィールドワークに出るの」
驚くマーサににっこり微笑んだ。
「準備が必要でしょ?それに、せっかくだからアメリア様にもお会いしたいし」
階段の手すりに手をかけて、振り向いた。
「着替えたら、久しぶりに手伝うわ。お父様に美味しいもの、食べていただきましょう」
マーサに頷いて見せると、階段を駆け上った。
「やっぱり少し痩せたんじゃないのか?」
夕食の席でハロルドが心配そうにしている。少し遅めの時間に帰ってきた父を玄関で迎えると、父は飛び上がって喜んだ。
「言ってくれたらもっと早く帰って来たのに!」
と文句をいうハロルドをダイニングに座らせて、「私が作りました!」と鴨のローストと夏野菜のマリネをテーブルに運んだ。久しぶりにマーサも食卓へ誘って、三人で食事をしている。
「仕事が辛いなら、僕が……」
「お父様!楽しいのです。学ぶことがいっぱいで」
「そう……」
と、言いながらもハロルドの顔は少し寂しそうだ。
「そういえば、先日、回路メモを持ち出そうとして、叱られました」
「ああ、そうだね。未発表なものは内門の外には持っていけないからね」
「あの……でも、お父様は屋敷に研究室もあるし、最新機器も揃えてらっしゃる……」
疑問に思っていたことを聞いてみる。
「ああ、僕はね……」
と、少し遠い目をする。
「イレーネの病気が……ひどくなった時、『もう研究はしない』って言ったらね、特別に許してもらえたんだ」
「あの時は大変でございました。お偉い方々が何度もいらっしゃって」
「お義父やトニスも協力してくれて。だからここは、研究所扱いなんだよ。条件付きだけども」
とにっこり笑う父に言葉をなくす。父親の『凄さ』を無言で噛み締めた。
翌日はしっかりと寝坊して、ごろごろと本を読み、マーサと厨房に立った。窓から入ってくる風と木々のざわめきに気がつくとうたた寝してしまう。こわばっていた身体が溶け出してゆくような感覚だった。
その翌日はしっかり着飾って、シェルビニ公爵邸へ出かけた。
「お久しぶりです、アメリア様」
アメリアに会うのは一年ぶりだ。去年は二人目の出産のため、領地から戻って来られなかった。
テラスのお茶席に落ち着くと、早速おしゃべりが始まる。
「公爵様は待望の男の子でさぞお喜びでしょう?」
少しふくよかになって、雰囲気が和らいだアメリア様は扇子で口元を隠しながら笑った。
「寝ていても、必ず様子を見にいって、起こしてしまいますの。まだ早いというのに、馬具や剣など作らせて」
なんとも幸せそうな笑みに、ハイレーナもにっこりしてしまう。
「ダフニをご挨拶させますわ。いただいた鉛筆とノートを偉く気に入って」
お茶とお菓子を堪能し、可愛らしいダフニ様のカーテンシーを大いに褒め、話題はハイレーナに移る。
「まずは国家試験、おめでとう存じます。五年ぶりの女性合格者になられるとは。本当に成し遂げられましたのね」
「ありがとうございます」
「で、研究所の生活はいかがですの?」
「アメリア様、聞いてくださる?」
話がグレンの研究室に移った時だった。アメリア様が椅子から乗り出した。
「グレンといえば、グレンバルド・ディ・モンテスではありませんか?」
「そうなんですか?」
「モンテス公爵家の五男ですわ。神童と呼ばれ、学院在学中に国家試験を突破して研究所入りした偉才です。」
「公爵家……あの、ヒョロヒョロモジャモジャが?」
目を見張ったアメリアは口元を隠して、横を向いた。肩が小刻みに震えている。
「相変わらずお口の悪いこと」
「もう治りませんから、諦めてください。でも、グレンが優秀なのはわかります」
「わたくしたちが一年生の時、最終学年にいらっしゃいましたわ。覚えておられませんか?」
ハイレーナは首を傾げた。
――あの頃は攻略対象のことしか……。
必死で記憶を探るが思い出せなかった。アメリアが扇子をパンと閉じる。
「もう一つ思い出しましたわ!グレンバルド様は確か、ヴァロネス博士の熱烈なファンでしたわよ」
むせた。
「本当ですか?アメリア様、私をからかってません?」
「著書も論文も全て目を通したとか。在学中に国家試験を突破したのも、ヴァロネス博士にあやかってだと聞いていますわよ」
「なんですかそれ」
咳き込みながら答える。片眉を持ち上げたアメリアがメイドに水を持って来させた。水を飲んで、涙を拭ったところで、アメリアがハイレーナを覗き込んだ。
「グレンバルド様はあなたがヴァロネス博士のお嬢様だと、ご存知ですの?」
「まさか!名前が変わってますし……」
「……そうですわね。雰囲気も学院時代からずいぶん変わられましたもの」
「だいたいお父様の娘だと知っていたら、もう少し大事に扱っているでしょうから」
それからはグレンがいかに自分勝手で、イライラして、ハイレーナを怒鳴りつけたりするかと愚痴った。
最終日、ポロダン商会からオットーの腹心の部下が尋ねてきた。
「間に合いましたわね」
「以前よりご提案いただいておりましたので」
ハイレーナは品物を一つ一つ手にとって確かめた。
「こちらは防水布で作らせました。お話にあったように、背の部分と肩にあたる部分には綿を入れて補強しております」
「たくさんポケットも作ってくださったのね。これは思い描いていたものだわ。ありがとう」
「こちらの商品、いつものように、売り出させていただいても?」
「もちろん。いつものように」
丁重な礼が返ってきた。
ブーツを履き、服に袖を通し、レインコートも試して満足する。
「オットーは元気?」
「はい、ラナス、王都と飛び回っております」
「王都で時間のある時は、ぜひ会いたいと伝えてね」
「そのように申し伝えます」
ポロダンの馬車が走り去るのを見送りながら、ハイレーナは拳を握った。
「よし、これで準備は整った。王家の森でもフィールドワークでも――なんでも来いだわ」




