王城
「これが高濃度用のインクだ。伝達物質を組み換えてある」
「はい」
アリスティッドは居間の送風機も持って来させ、同じように分解した。ハイレーナが回路を削っている間に、回路ペンを新しいインクで満たしていく。
「いくぞ」
複雑な回路を書き進める、その確かな手つきにため息が漏れた。一本目の回路ペンが終わり、次の回路ペンを取り上げたアリスティッドがハイレーナを見た。一瞬のち、回路ペンが差し出された。
「書いてみろ」
ゆっくりと回路ペンに手を伸ばした。指先が微かに震える。回路ペンの冷たさ。深呼吸する。心臓の音に耳をすませ、整えていく。頭の中の映像に集中する。
――できる。
そして、ペンを盤面に乗せた。
「……いいぞ。接合部に気をつけろ」
ゆっくりでいい。確実に書く。
「よし、そこまで」
手を離すと、一気に息を吐いた。首元がぐっしょり濡れている。回路ペンを置いて汗を拭いている間に、アリスティッドは仕上げを終えていた。
送風機を組み立て動作確認をする。無事に動き出した時には胸を撫で下ろした。初めて制作に携わった製品が動いている。愛おしくなって、送風機を撫でた。
片付けをしていると、近衛が二人扉の前に立って踵を鳴らした。瞬時に空気が張り詰める。ハイレーナとアリスティッドは立ち上がって、深い礼をとった。数人の侍女を従えて王太子妃が入ってきた。光が差し込んだように部屋が明るくなった。
「早々の対応、ご苦労であった。かまわぬ、顔をあげよ」
低くハリのある声が響く。
「はっ」
アリスティッドにならって深いカーテンシーから身体を起こす。アリスティッドがチラとこちらに視線を投げたのに気がついた。
「どうだ、直ったのか。原因は?」
「は。回路が摩耗しておりました。こちらは、高濃度ウォードに入れ替えられましたか?」
「マティルダ」
アリスティッドの問いに、王太子妃が侍女の一人を見やる。
「はい、新しいウォードが良いと伺いましたので、入れ替えさせました」
頷いた王太子妃がアリスティッドに視線を戻す。
「恐れながら、殿下。高濃度ウォードは回路に負担がかかります。ゆえに、対応した回路が必要でございます」
「ほう。そうであったか」
王太子妃はマティルダを見る。侍女たちに緊張が走った。ゆっくりアリスティッドに向き直ると扇子を口にあて、言った。
「それは難儀なこと。我が祖国では使い慣れていないゆえ、短慮であったか」
「滅相もございません」
アリスティッドは礼をして、直したばかりの送風機を示す。
「こちらのものは書き換えましたので、安心してお使いいただけます」
王太子妃は扇子をパンと鳴らして閉じた。
「手間を取らせた。礼を言う」
再び礼をとったアリスティッドに倣ってハイレーナもカーテンシーをする。
「おや、お前は」
王太子妃の視線がハイレーナに落ちた。
「覚えておるぞ」
王太子妃が近づいてくる。扇子をハイレーナの顎に当て、上を向かせる。
「確か、五年ぶりの女性合格者であったな」
「ふむ。女ゆえの苦労もあろうが、目にもの見せてやれ。期待しているぞ」
と目を覗き込んでニヤリと笑った。ハイレーナは扇子が顎から外れると同時に頭を深く下げた。
――心臓に悪い……。
その姿勢のまま、王太子妃が退出するのを待った。その姿をアリスティッドが注視しているのには気が付かなかった。
午後は大広間に場所を移し、シャンデリアの点検が始まった。数が多い。アリスティッドが使用人たちに指図をして、一機ずつ下に下ろす。それを丁寧に見て回った。
迎えの馬車に乗り込んだ時はとっぷり日が暮れていた。
座席に腰をおろすとどかりと背もたれに身を預けたアリスティッドが「ふううう」と大きなため息を吐いた。
「王城は肩が凝る」
馬車が動き出す。ハイレーナの頭の中は、今日の作業のことでいっぱいだった。シャンデリアの回路、伝達物質の組み替え――。
「レナ」
アリスティッドの声で意識が呼び戻される。
「お前――平民か?」
どきりと鼓動が鳴る。答えあぐねて、膝に乗せた手に力が入った。
「作法も礼も、付け焼き刃とは思えない」
指がモゾモゾと動く。
「……友人に、教わりました……」
――嘘はついてない。
視線はハイレーナに注がれたまま。手に汗が滲んできた時、やっとアリスティッドの目が逸れた。
「――まあ、それぞれ事情があるからな」
呟くように言って、明るい声で続ける。
「腹減っただろう、昼を食いっぱぐれたからな。食堂寄って行くか?」
「いえ、今日は早く宿舎に帰って、レポートを書きたいと思います」
腹は鳴っている。でも、まずは緊張で固まった身体をほぐしたい。
「おい!」
大きな声に身体が張り付いた。
アリスティッドが身を乗り出している。
「回路のメモは持ち出し禁止だぞ!」
ハイレーナは目を見張る。言葉の意味が浸透すると同時に、顔から血の気が引いてゆく。
「レポートは研究室で書け。一切持ち出すことはならん」
アリスティッドが呆れたように腕を組んだ。
「なんだ、そんなことも知らんのか」
「グレンのやつ……」




