グレンと第二の研修
「どうですあの見習い?」
グレンは昼食のプレートを持ったまま、すれ違ったジベルト翁に声をかけた。
研修が始まってそろそろ三週間だ。その間一度も顔を見ていない。
振り返ったジベルトはニヤリと笑って言った。
「レナちゃんかい?……悪くないよ。まだ実力は見てないけどね」
――めずらしい。
ジベルトは柔らかい口調に隠れて、辛口の人物評価を下す。片眉をあげて念を押す。
「問題は起こしてませんか?」
「いや、……どちらかというと助かってる」
――ん?
「あの新人、レナちゃんだっけか?」
背後から聞こえた野太い声は、メンテナンス部長のアリスティッドだった。グレンと、ジベルトをテーブルに手招きしている。
「この前、フェイドンが貰った鉛筆とやら、えらい自慢してたぞ」
綺麗に食べ尽くした皿を前に頬杖をついて、グレンとジベルトが座るのを待っていた。
「あれ、使いやすいよ。折れないし」
と腰掛けるとジベルトがポケットから『鉛筆』を取り出してみせた。
グレンは目の前の肉の皿を食べ始める。目だけは『鉛筆』を観察する。
今まで目にしたことのない形。
アリスティッドはプレートを横にずらし、鉛筆の試し書きをしている。
「ほぉ。持ちやすい。細い線も書けるな」
「ポロダンから売り出されるそうだよ」
――発売前の新商品を手にする新人?貴族でもないのにか?
グレンはプレートの肉を口に運びながら、アリスティッドを見る。
――面白い。試しがいがありそうだな。
自分のひらめきに口角が上がる。
「あの新人、ジベルト翁のところがそろそろ三週間になるんで、次はメンテナンス部で引き受けてもらえませんかね」
「はぁ?……俺んところ?」
『鉛筆』をジベルトに返しながらグレンに鋭い視線を投げる。
「……お前、潰す気か?」
「いや、別に」
「容赦はできないぞ。若い女なんだろ?大丈夫か?」
「折れるようなら、どの道使い物にはなりません」
「……折れるなら早い方がいいってか?」
呆れ声で言う。
グレンはひたすら肉を噛む。
「案外、大丈夫だと思うがなぁ」
ジベルトの、のんびりした声にアリスティッドが顔を向ける。グレンの眉が上がった。
「ほぉ、ジベ爺がそう言うなら、面白そうだな。見せてもらおうか」
アリスティッドが身を乗り出した。
食後のお茶を悠々とすすったジベルトが、グレンに体を寄せて、ささやいた。
「僕んところでもらってもいいぞ」
グレンの手が止まった。
「今年の合格者は三人。一人は女だと」
全く興味は動かなかった。どうせ女は誓約書を見て諦めると思っていた。
ドラゼッリ所長に呼び出され「世話係」を拝命して、初めて名前を知った。
「ハイレーナ・ユルヴィナ」
「ハイレーナ」という名に聞き覚えがあった。
――まさか、な。ヴァロネスじゃねえし。どのみち俺には関係ない。問題さえ起こしてくれなきゃいい。
今まで研究以外のことは極力避けて来たツケが回ったか。一番の厄介ごとを押し付けやがった。
――「女」とはねぇ。適当にあしらって、退散してもらおうか。
厄介者が集まる、辛口ジベルト翁のチームに入れることを決めた。
「お世話になりました」
ハイレーナは頭を下げた。今日で第四研究室チームは最後だ。ジベルトが肩をポンと叩く。
「また、そのうち」
「はい」
ラザロが下から見上げるようにして、頷いた。
フェイドンが後ろで笑顔で手を振ってくれる。
最後にレカを見た。そっぽを向いたまま腕組みをしてぶつぶつ言っている。
「……やっと余計なのがいなくなって、せいせいする……」
じろりとハイレーナを睨むと唇を歪めた。
「メンテナンス部だって?」
ふふふ、と笑う。
「小手先は使えないからな。せいぜい可愛がってもらえよ」
昨夜、第四研究室に現れたグレンは、ハイレーナを見つけると唐突に宣言した。
「明日からメンテナンス部だ。午後からでいい」
そのまま背を向け、誰とも挨拶を交わさず帰っていった。
早めの昼食を終えると、メンテナンス部の部屋へ向かう。ノックをして扉を開ける。薄暗い部屋にいたのは小間使いの制服を着た青年だった。
「あの、ここに配属になったハイレーナ・ユルヴィナですが……」
青年は不審そうな表情を隠さない。
「皆さんもう出られましたよ」
「え……?」
息を飲んだ。
「内門の前にまだいるかもしれませんが」
そう聞いた瞬間、走り出した。
――あいつ!午後からでいいって言ったじゃない!
初日に遅れるとは許されない。全力疾走で内門の前に走る。やっと門が見え、その前に二台の馬車が止まっているのに気がついた。
「遅い!」
傍に立つ、背の高い男から叱責が落ちる。
「すみません!」
「乗れ」
馬車の方に歩み寄ると、すぐに怒声が飛んだ。
「そっちじゃない。お前はあっちだ」
指を指された方は荷馬車だった。見慣れない箱形で窓がない。戸惑ったまま、立ちすくんでいると再び怒鳴り声が響く。
「早くしろ!扉の開け方も知らんのか!」
ブルっと震えると、扉に手をかけ、中によじ登る。機材や道具が山とつまれた中に小さな居場所を見つけると、膝を抱えて座り、内側から扉を閉めた。真っ暗闇の中、御者の掛け声が響いた。
「降りろ」
の声と同時に扉が開いた。暗闇から解放され、瞬きをする。ハイレーナは硬くなった膝を伸ばしながら外へ出た。その途端に酸えた匂いが鼻腔を襲った。微かに糞尿の匂いも混ざっている。
「うっ」
思わず鼻を抑え、呼吸を止める。足元には剥き出しの土。埃が舞い、ゴミが散乱している。蟹のような男が目の前に立っていた。
「ほら、どいたどいた」
顔を上げると同時に押し除けられる。よろめいて護衛に腕を取られた。
「ごめんなさい」
「ぐずぐずするな!」
工具箱を押し付けたのは、さっきハイレーナを怒鳴りつけた背の高い男。もう一人、目の離れた爬虫類のような男が、馬車の中から次々と道具を出してくる。ハイレーナの手には工具箱、その上にインク箱が積み上がった。
「行くぞ」
歩みを進めた先は公共の風呂場だった。煤けた入り口を入り、通路を進んで機械室の扉へ。鍵を開けると巨大なウォード給湯器が鎮座している。
無言のまま、男たちが作業を始める。一つずつ丁重に部品を外し、大きなウォード結晶を取り出す。回路部分を露出させると、点検が始まった。
「摩耗部分発見」
「よし、ここから、ここまで削って書き直すぞ」
ハイレーナはメモも忘れて見入った。こんな大きな回路組織を目にするのは初めてだ。爬虫類男が機械の中に手を捩じ込むようにして、素早く回路を削り取ると、回路ペンで書き始めた。複雑な回路に不自然な体勢。その仕上げの速さ。同時にウォード残量の計測、部品のメンテナンスが進む。男たちの動きは無駄がない。ポンと放り投げられた空の回路ペンが足元に落ちてきた。
「よし、終わりだ」
最後の部品を取り付けた蟹男が宣言すると、ハイレーナは息を吐いた。動作確認を終える。
「引き上げるぞ」
工具やインクを片付けていた背の高い男がさっと立ち上がった。
慌てて、持てる荷物を手に彼らのあとを追う。
外に出る。夕闇が迫っている。足を前に踏み出した瞬間、何かに引っ張られてバランスを崩した。足を踏ん張って体勢を立て直し振り向く。ハイレーナのスカートを掴んでいる小さな手が目に入った。薄汚れて、腕は針金のように細い。ぼろを纏った少女。掴まれている手を振り解けず、少女から目が離せない。土埃が上がった。次の瞬間、目の前に突き出された冷たく光る刃に悲鳴をあげた。
刃は少女に向けられ、ハイレーナは後ろへ引っ張られる。少女の手が離れ、転がるのが見えた。
「だめ!」
と叫んで手を伸ばす。大きな背中がハイレーナの視界を遮る。護衛の一人だった。
「早く、馬車へ」
「だめ、殺してはだめ!お願い!」
暴れるハイレーナを囲い背中を押され、荷馬車の中に押し込まれる。護衛は扉を閉めながら
「殺しはしません」と低い声で言った。外では怒号が響き、鞭が鳴って馬車が走り出す。振動に体を振り回されながら、涙が溢れ出た。




