入所
ハイレーナは宿舎の窓を開けた。大きく深呼吸して、高鳴る鼓動を押さえた。テーブルに置いてあった身分証に手を伸ばし、もう一度読む。
「ハイレーナ・ユルヴィナ。第二研究所員」
思わず頬が緩んでしまう。
コンコン
と扉を叩く音が響く。
「ユルヴィナ研究員。お迎えにあがりました」
と扉の外で声がして、ハイレーナは急いで鞄に身分証をしまった。
外へ出ると制服を着た白髪混じりの男性が立っていた。襟元のバッジには「第二・秘書官」の文字。
「ユルヴィナ研究員の担当になりました、セラードと申します。お見知り置きを。第二研究所までご案内します」
と、無表情のまま言った。
「よろしくお願いします。セラード様」
「セラードと呼び捨てで」
「……はい」
抑揚のない声で言われ、思わず首をすくめた。
セラードのうしろについて、内門へ向かう。
「外部との接触は外門内で。許可が必要な場合は私に。研究所所属のものは内門外には持ち出せません」
早足で歩きながら淡々と説明を受ける。
内門の検問では身分証の提示と、鞄の中の検問を受けた。
「毎回ですから、慣れてください」
「……はい」
石畳の道は広い。キョロキョロと見回す。誰もがせかせかと急ぎ足で行き交う。女性の姿は――見当たらなかった。カラカラと音に振り返ると、独特の形をした大きな荷馬車が脇を掠めるように通ってゆく。ハイレーナは慌てて飛び下がった。セラードは振り返りもしない。遠ざかっていく背を小走りで追った。
広大な敷地に点在する建物をいくつも超えて、ようやく第二研究所の建物に辿り着く。重厚な扉をくぐるとすぐ目の前で所長が待ち構えていた。
「ハイレーナ・ヴァ、――ユルヴィナ君」
ドラゼッリ所長が皺だらけの手を差し出す。
「所長、おはようございます。今日からよろしくお願いします」
と硬い声で手を握り、頭を下げた。
萎んだ容姿に騙されてはいけない。回路と伝達物質のスペシャリスト。図書館で読んだ彼の著書の数々が頭をよぎる。トニスの曰く「食えない爺さん」なのだ。
「セラード君ご苦労だったね」
「とんでもございません」
セラードが口元を緩めて四十五度の礼を所長に返す。
「もうすぐグレン君が降りてくるはずだから。セラード君は戻っていいよ」
「は。ありがとうございます」
再びにこやかに礼をして秘書室に入ってゆくセラードを眺めた。
「所長」
階段の上から声がかかる。ヒョロ長いシルエットが降りてきた。長い手足が、よれよれの白衣から突き出ている。
癖のある髪はボサボサ。目元は隠れ、無精髭。全身から「面倒臭い」が溢れ出ている。
「彼がハイレーナ君の世話係だよ」
「グレンバルドだ。グレンでいい」
「ハイレーナ・ユルヴィナです。よろしくお願いします」
一歩近づいて上から見下ろされる。
「……ふ〜ん。見てのお楽しみだ。ついてこい。建物を案内する」
グレンは踵を返すと大股で歩き出す。苛立ちを呼吸で流しながら、小走りで追いかけた。もじゃもじゃ頭を前に向けたまま、グレンの声が降ってくる。
「まず、数週間単位で研修してもらう。期間は三ヶ月だ。そのあと行きたい研究室を選ぶ。受け入れる側の意見もあるから思い通りになるとは限らない」
「はい」
「今現在八つのチーム。それと単独で研究している俺で九。お前さんは二階の第四研究室にまず入ってもらう」
「はい」
四階の廊下に沿って一番奥の扉の前で止まる。
「ここがお前の研究室だ」
ぽんと投げられた鍵をなんとか掴む。
「中は好きに使え。鍵は必ずかけろ」
「はい」
「お嬢さんにどれだけ務まるかは知らんがビービー泣くのだけは勘弁な」
吐き捨てるように言われ、大股で去ってゆくグレンに向かって声を張り上げた。
「グレンさんの研究室はどこですか?」
舌打ちとともに振り返って睨まれる。
「三階だ。いちいち来るなよ」
――何よあれ!頼まれたって行くもんですか。
怒りは鍵を開けて部屋へ入った途端消え去った。
小ぶりな部屋は埃の匂いがする。本棚と棚。ウォードコンロまである。窓の手前に大きな机。鞄を置いて、身を乗り出して窓を開け放った。王家の森が見渡せる。
――これが、私の……研究室!
小躍りしながら部屋中を歩く。六歩も歩けば壁に届くけれど、それでも自分専用の研究室。壁際のくたびれたソファー。前の使用者が置いていったものかもしれない。片方の肘掛けだけ擦り切れていて、頭をのせて寝そべる姿が浮かんで笑った。
「ここに置きたいもの、リストアップしなきゃ」
とワクワク想像を巡らせながら、本棚の埃を拭った。
「でも、その前に」
と、窓を閉めて鞄を手に取る。
「二階の第四研究室へ」
深呼吸する。
――ここからが、勝負。
二階の第四研究室はすぐ見つかった。扉の前で呼吸を整え、ノックする。返事がない。もう一度大きめに扉を叩きながら押し開けた。同時に声を張りあげる。
「ここに配属された新人のハイレーナ・ユルヴィナです。よろしくお願いします」
実験台の周りに集まっていた四人の男たちが一斉に振り向いた。
一瞬沈黙が落ちる。
半分禿げ上がった白髪の男が、メガネを押し下げてハイレーナに向き直った。
「……ああ、そうだった。……私が責任者のジベルトです」
それだけ言って実験台に屈みこんだ。
隣にいた灰色の男は目をあげずに「ラザロ」とだけ叫んだ。
「へえ〜、可愛いねえ。五年ぶりの女性合格者だっていうから、不細工でガリ勉タイプかと思ったよ」
と笑顔で近づいてきた青年はハイレーナを上から下まで舐めるように見て、名乗った。
「僕はレカ」
「あっちのがフェイドン」
奥にいた大柄な男が小さく手を上げた。
レカがそれを確かめてハイレーナに向き直る。片方の口元だけが引き上がって、皮肉な笑みに様変わりする。
「で、なんだっけ、レナちゃん?ま、ゆっくりしてってよ。僕ら忙しいから、時々お茶でも入れてくれる?」
ウインクすると実験台に戻っていった。
――そういう、扱い……?
まるでハイレーナなど存在しないように、実験が続いている。足が動かない。鞄を握りしめた。さっきまでの高揚感が冷たい汗に変わってゆく。
――わかった。それなら……。
鞄を入り口近くの椅子に置いて、ノートを手に取り、実験台へ一歩踏み出した。
いよいよ書きたかった3部へ突入しました。
引き続き、ハイレーナの頑張りを見に来てくださると嬉しいです。
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