初めての嘘
机の上に突っ伏して、窓からの光を浴びている。昨日までの雨が嘘のようにあがってよく晴れた。
机の端に飾った「大切なもの」。手を伸ばして撫でる。
お母様の最後の日記。
初めて作った伝達物質のインク。光に反射して三色がプリズムのように机に模様を作っている。
最後に、街で買ったブローチを手に取った。赤い実を小鳥が啄むデザイン。
エルヴァがいて、マレシュが反対側に立っていて。無邪気に楽しんでいた自分。
部屋に篭りきりのハイレーナに、マーサはなにも言わない。食事だけ部屋に運んでくれる。ため息と共に目を閉じた。
ノックの音が響く。
「お嬢様」
「……はい」
と返事をしながら身体を起こした。
「お届け物が」
と言ってマーサが入ってきた。後ろには男衆が大きな箱をいくつも抱えている。
「ラディック商会から、ご注文の品が届きました」と箱を床の上へ積み上げた。
ハイレーナの手からブローチが滑り落ちた。
マーサと箱を一つ一つ開ける。
あの時、注文したエメラルドグリーンのドレスが現れた。
――ベトランタの緑はハイレーナ様の瞳に映える――と言った声。髪を結ってくれた柔らかい手つき。
別の箱を開けていたマーサは、ため息をついてハイレーナを見るともなしに言った。
「心配しておりましたが、良い買い物をなさいました。どれも素敵です」
「……ありがとう」
「お召しになりますか?」
「ううん、いいの。片付けておいて」
頷いてマーサは立ち上がった。
中身が空になった箱の底から、シトラスウッドの香りがして覗きこむ。そこにあったのは一枚の小さなカードだった。
「また、お目にかかる日まで――マレシュ・ラディック」
グンと心臓が跳ねた。
――マレシュ!
マーサがクローゼットから戻ってくる。慌ててカードをポケットに滑り込ませた。
「お夕食はどうなさいますか?」
「今日はマーサと厨房で食べるわ」
マーサの顔が綻んだ。
「承知しました」
箱を片付けさせたマーサが退出するとハイレーナはベッドに腰を下ろした。
手にしたカードの香りを吸い込む。
――確かめたい。
何を?
――わからない。
会ってどうするの?
――わからない。
正直にどういうつもりだか教えてくれるとでも?
――思わない。でも!このままなんて、嫌だ。
夕食の時間までぐるぐると考え続けた。
厨房に降りて久しぶりに食事の支度を手伝い、二人で小さなテーブルを囲んで食事をする。
庭木の話、御用聞の話、旬の野菜。身の回りのたわいない話。
大事な話には触れないように。
表面は薙いだ水面のように穏やかに。
食後のお茶を飲みながら、ハイレーナは言った。
「明日から、図書館に行くわ」
虚をつかれたマーサは一瞬動きを止め、それから口元を緩めて頷いた。
「承知しました」
翌朝、お昼の入ったバスケット受け取って門を出たハイレーナは、いつもと同じ方向に歩き始めた。屋敷が見えなくなったところから、左に外れて城門を目指す。馬車溜まりで辻馬車を拾うつもりだ。この前のエルヴァがやったように。
「ハナも危険」
「護衛がついている」
――護衛がついているなら、きっと大丈夫。
そう思いながら、チラチラと周囲に目をやる。それらしい姿はもちろん見つからない。指先が冷えている。城門を抜けて、馬車溜まりで辻馬車に乗る。行き先を告げて座席に座った。屋敷を出てから、心臓は早いリズムを刻んだままだ。
冷えた指を窓枠にかけ、外を覗く。ウイレム王太子とレグステラ王女の結婚式は無事終わり、祭典もあと数日残すのみ。赤と青の国旗は相変わらず街を彩っているけれど、行き交う人々は少々くたびれて見える。
――夢から覚めたみたいだわ。
祭りの終わり。疲れの残る気だるさの中で、残されたゴミが風に舞う。後始末が残っている――。
瞬いて連想を断ち切る。
――まだ終わりじゃない。自分の目で確かめる。
高級ブティック街の入り口で馬車が止まる。
「ここで、間違いねえですか?」
御者の声に「ええ、ありがとう」と答えて運賃を払い、降りた。目の前のブティックは、以前となんら変わりない佇まいなのに、何故か違和感にかられて見回す。深い緑のファサード、金文字の……。
ラディック商会の金文字が消えてる!よく見ると深緑のペンキで上から荒々しく塗りつぶしてあった。
ハイレーナは振り返って、出発しようとしていた辻馬車を呼び止めた。
「申し訳ないけど、少し待っていてくれない?用事が終わったら、中央門へ行って欲しいの」
声が震える。
「へぇ、わかりやした」
御者の返事を確かめると、小走りでブティックのガラス扉まで近づいて行った。扉には鍵がかかり、内側は薄暗い。ホールに紙が散乱しているのがうっすら見えた。くるりと周囲を歩いてみる。横っ腹の小窓から乱雑に置かれた裸のトルソーが見えた。
「そこで何してる!」
突然呼び咎められて、ハイレーナはビクッと肩を震わせた。振り返ると憲兵二人が立って険しい顔でこちらを見ていた。年若い青年と口髭の憲兵に礼をする間に考えを回す。
「こんにちは、憲兵様。実は……昨日、このブティックから品物が送られてきたのですが、あの、手違いがあったようで……それで訪ねてきたのです。ところが……閉まっているし、店名も消えていて……何か手掛かりがないかと……」
一生懸命言葉を繋ぐ。
「そうでしたか。それはお気の毒に」
ハイレーナの丁重な礼が効いたのか、憲兵の口調が柔らかくなる。
若い憲兵の方が、気の毒そうに答えてくれる。
「この店主は急に店を畳んで、故郷に引き上げたそうですよ。二、三日前ですかね」
「そんな急に?」
急に日差しが陰ったように思えた。手足が冷えてゆく。
「そうですね。なかなか人気の店だったんですが。ベトランタ人でしたから」
口髭の憲兵がハイレーナに近づいて、じろりと周りを見回した。
「それにしても、年若いお嬢さんがお一人では……危ない」
「……大丈夫です。表に馬車を待たせておりますから」
無理矢理頬をあげ、笑顔を作る。
「ありがとうございました」
もう一度丁重な礼をして、踵を返した。
馬車にとって返す間も心臓の音がうるさい。ドクンドクンと鳴り続ける。
――帰った?……ベトランタに?
後ろからついてくる憲兵たちを気にしながら、馬車に乗り込む。
「中央門にお願いします」
と御者に声をかけ、窓から憲兵に頭を下げた。
馬車が走り出すと、体を守るように腕を組んだ。
「あっ」
――そうだ、バルゴ!
親の代から知っていると言っていた。何か聞き出せるかもしれない。
早く図書館へ着きたくて馬車の中で身をのりだした。




