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乙女ゲームは終了したのに帰れません〜ハッピーエンドの後に、ひとりぼっちになったヒロインですが、自分の力で生きていきます〜  作者: 国枝 彩乃
修行編

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観劇

 その日、ハイレーナの支度を手伝いながら、マーサの口数は少なかった。丈を直す必要のなくなったお母様のドレスに袖を通す。髪を結い上げ薄化粧にイヤリング。劇場行きの装いが出来上がった時、初めてマーサが口を開いた。

「ハイレーナ様、お美しゅうございます」

「……マーサ」

「いつの間にか大人になられて。思えば、イレーネ様がハロルド様に嫁がれたのと同じお歳」

「……」


 玄関口に現れたマレシュは白い手袋の手を胸に当てて一礼し、ハイレーナの手を取りながら、マーサに声をかけた。

「お預かりいたします」

 マーサはひたとマレシュを見た後、視線を外さず静かに一言だけ返す。

「行ってらっしゃいませ」

 後ろ髪を引かれる思いのまま、ハイレーナは手を引かれ馬車に乗り込んだ。いつもよりキツいコルセットを意識しながら、背筋を伸ばして顔を上げた。馬車がゆっくりと走り出す。

「ハイレーナ様」

 マレシュの手が伸びてきて、ハイレーナの手をとらえた。ゆっくりと持ち上げ、手の甲に唇が近づいてくる。ちゅっと小さな音を立てて、キスをされた。手を引っ込めたい衝動と、そのままに温もりを感じていたい思いとで手が動かない。

「あなたはいつも、私の予想を上回る」

 低い声がハイレーナの耳に響く。

 マレシュの目がハイレーナを捉えている。

「図書館では勉強家で努力を惜しまない愛らしいお嬢様。今日は美しいレディ」

 マレシュは静かに手を離した。

「先日も……あのような製品を生み出されるなどと」

 温もりを名残惜しく思いながら、手を膝の上に戻す。

「旦那様、大通りが大変混雑しておりますので、外回りで行きますが、よろしいですか?」

 と御者の声が割って入った。

「ああ、そうしてくれ」

 マレシュが御者を振り返り声を返した隙に、窓に視線を逃す。確かに大通りは人通りが多く、それを縫うように馬車が通って行く。

「私の故郷では」

 ハイレーナの視線がマレシュに戻された。

「20年ほど前、大きな水害に見舞われました。バルゴの両親もその時農地を失って、アルバードに流れてきたのです」

 ハイレーナはニキビの青年を思い浮かべた。

「農民の生活は厳しい。朝から晩まで身を粉にして働いて、長雨ひとつで全てを失う」

 マレシュは苦しげに眉を顰めた。

「私の夢は彼らの生活を楽にすること。例えば、ハイレーナ様のように、庶民の生活を変えてしまうような物を売りたい」

 そして、苦い笑みを浮かべた。

「例えば、貴族たちが独占しているウォード製品。あれを少しでも庶民のために開発できれば――若造の理想郷だと笑われますがね」

「そんなこと、ありません!」

 ハイレーナは勢い込んで続けた。

「私も同じです。ウォードが庶民の生活に浸透してこそだと思っています」

「しかし、庶民の買えるウォード製品など、現実的ではありません」

 ハイレーナは息を吸い込んだ。目が落ち着きをなくす。

「確かに、ウォード製品を作るには手間も時間も、繊細な技術も必要で」

 ――それは、自分でやってみて実感している。だからこそ。

「だから高額になる」

 ……マレシュならわかってくれるかもしれない。

 膝の両手を握りしめた。

「――クズウォードをご存知ですか?」

「クズ……あの、大量廃棄されている?――確かベトランタも少し引き受けたと聞いています」

「ええ、それです。あれを使って――何かを作れないかと考えています」

 マレシュの目が大きく見開かれた。きらりと目が光る。先を促すように少しだけ前に乗り出した。

「何か、とは?」

 すぐに答えないハイレーナを見て、付け足した。

「具体的に考えがあるのですね?頭の中では出来上がっているとか?」

 ハイレーナは苦笑した。この人にはどうして、わかってしまうのだろう。

「はい。小さな炎を出す器具を考えています」

 マレシュが首を傾げた。

「小さな?何に使うのですか?……いや、まてよ。火をつける?……火おこしですか?」

「火種になりますでしょう?炭火を絶やさないように気をつけなくても、すぐに火が使えるとしたら?」

 マレシュは考え込むように拳を唇に当て、身を引いた。

「……それならクズウォードで事足りるのですか?しかし、製品となると庶民が買うのには……」

「小さな炎ですもの、伝達物質は1種類。回路も単純。高度な技術はいりません」

 胸を張って答える。

 マレシュの口元から笑みが消えた。

「それは、大量生産可能という……」

「旦那様。劇場の前にお付けします!」

 マレシュの声は御者に遮られた。


 ハイレーナは乗り出していた身体を椅子の背に寄せ、ドレスの裾を直した。少し赤くなりながら、髪に手をやって整える。得意げにしゃべって、呆れられなかっただろうか。口の中がほんの少し苦い。

 停まった馬車の扉が開くと、マレシュが先に降り、ハイレーナに手を差し出す。

「レディ」と言いながら、とびきりの微笑みが浮かんでいる。吸い込まれそうなその目から無理やり視線を逸らすと、目の前の建物を見上げた。

 丸い大きな屋根、クーポールの先が晴天に向かって伸びている。王城と同じ白。煌びやかな窓が並び、大階段を上る、着飾った男女。マレシュに手を取られ、ハイレーナも足を踏み出した。

 


 二階席に登り、赤いビロードの席に落ち着くと、ハイレーナは身を乗り出して、あたりを見渡した。上階のボックス席には上位貴族の煌びやかな姿が見え、ため息が漏れる。一階の客席にも装いを凝らした男女が開演前のおしゃべりに興じている。ざわめきが耳に心地よい。隣のマレシュは椅子の背に身を預けてゆったりとくつろいでいる。

「慣れていらっしゃるのですね」

「観劇は好きでしてね。ベトランタでも何度か。さあ、始まりますよ」

 開演ベルとともに暗転した。


 幕がスルスルと開くとそこにはティアラを被った王女が佇む。彼女が深く息を吸い込み、最初の音が漏れ出た瞬間から、ハイレーナはその声に覆い尽くされた。暗闇の中で天井から降ってくるようなその声に、包まれて時が経つのを忘れた。

 

 マレシュの差し出したハンカチを受け取って、目元に当てながらハイレーナは「ふう」と息を吐いた。明かりの灯った観客席から少しずつ人がはけていく。マレシュがハイレーナを覗き込んで「全くあなたという人は――」と笑った。

 ハンカチを握りしめて立ち上がる。ロビーで飲み物を片手に歓談する人々の間を抜け、エスコートされながら、大階段を降りる。まだ舞台の中にいるような気分でマレシュを見上げた。目が合う。

「夢中になっておられましたね」

 瞬きしながら頷く。口元は緩んで、柔らかい声が出た。

「素晴らしかったのですもの。あの歌声……!」

 歌声はまだハイレーナの頭の中で鳴っている。

「ハイレーナ様。もう少し、あなたと話がしたい」

 エスコートのため重ねられた手にもう一方の手が乗って、ぎゅっと力が込められた。心臓が跳ね上がって、歌声が消えた。

「広場の向こうのカフェで、続きを」

 頷いていた。

 

 

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