路地裏の本屋
エルヴァに続いて扉をくぐると、ツンとカビ臭い古い本の匂いが鼻についた。そびえ立つ本棚に無秩序に本が並んでいる。古いもの、新しいもの、革表紙、紙。書架と書架の間にも本が積んであって、埃をかぶっている。
「こんにちは」エルヴァが珍しく大きな声で挨拶をした。
店の奥、暗がりでよく見えなかったところで何かがモゾモゾと動いた。
「ああ、あんたか、ロッシ。久しぶりだな」
目を凝らすと、髭面の山高帽を被った男が本に埋もれて座っていた。顎を引いて、鼻に引っ掛けたメガネの上から睨みつけるようにこちらを見ている。しゃがれた声は大きくないのに、よく響いた。
「今日はなんだ、キラキラしたのを連れてるじゃないか」
エルヴァは声を出してククと笑った。
「お久しぶりです、ダレンさん。本好きのキラキラですよ!」
キラキラ呼ばわりされたハイレーナは、入り口から踏みこめずにエルヴァを見た。
エルヴァの表情が動いて、生き生きしている。いつものエルヴァと別人のようで、声まで違って聞こえた。
「ほう、あんな表情もなさるのですね」
耳元でマレシュが囁く。
「なかなか魅力的ではありませんか」
――本当に、と答えようとして、言葉が喉に引っかかったまま出てこない。首まで頷くのを拒否した。
「おい、キラキラども、入り口につっ立ってんじゃねえよ。本を見にきたんだろう!」
しゃがれ声の叱責が飛んできて、ハイレーナは肩を震わせた。エルヴァに笑顔で頷かれ、せっかくきたのだから、と手前の書架から歩き始めた。マレシュも少し奥の方から本棚をのぞいている。
首をちょっとだけ横にして、表紙の文字を端から順に追ってゆく。
――あ!言葉だ。
無秩序に思えた書架の並びが、一つのテーマで括られているのに気がついた。
『街』なら街に関した本。歴史、地図、小説、論文。ジャンルは様々だけれど、『街』
これ、面白い。
どうやら、本棚に収まりきらない同じ『言葉』の本が床に積んであるらしい。夢中になってタイトルを追う。どんなテーマで括られているのか推理するのも面白い。
ウォード関係とか伝達物質とか、ないかな。
あ、ここ、発明品だ。
ハロルドの本があった。引っ張り出そうとして、隣にトニスの本があるのに気がつく。
――おじさま、「書くのは苦手だ」って言ってたのに。
途中で、床にしゃがみ込んでいるエルヴァと行き合う。積んである本をひっくり返しているエルヴァを避けて続きを追う。タイトルをなぞっていた指が止まった。
「ウォード博士の日記」
「古代遺跡の謎」
引っ張り出す。
古い表記のタイトルに、黄ばんだページ。古語に近い古い表記で書かれた本は、嘘か本当か、ウォード博士の毎日が綴られていた。
これ欲しい。
そして、もう一つの本。
ウォードが発見された場所。今は王家の森に隠されて、王族か研究者でもない限り入ることができない場所。
「おい。ロッシ、面白いもん手に入れたんだが、見るか?確かこの辺りに――」
店主の声がして、エルヴァが腰を上げ、奥の方へ呼ばれていく。それを目の片隅で追って開いたページに目を落とした。
「ハイレーナ様」
耳元でマレシュの囁き声がして本を取り落としそうになった。こんなに近くにいるのに全く気が付かなかった。考える隙も与えられず、マレシュに書架の奥に引っ張られる。二冊の本を持ったまま、心音がどくどく速くなる。
壁に押し付けられるように立ち、マレシュが目の前にいる。背をかがめて息がかかりそうなほど近づいて、ハイレーナの耳元で囁く。
「祭典の特別公演にお誘いしたい。明後日」
顔を少しだけ離して、ハイレーナの瞳を覗き込む。
マレシュの茶色い目に金の光が混ざっている。
「ハイレーナ様ともっと話がしたいのです。二人だけで」
その目にとらわれて、目が離せない。
マレシュが近づいてくる。ハイレーナはなんとか目を逸らした。
耳元に息を吹きかけるようにマレシュの声が入ってくる。
「明後日、昼過ぎにお迎えに参ります」
抗えない力で頷いていた。
それだけ言ってマレシュの姿は遠ざかっていた。
二冊の本を抱えたまま、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
明後日、昼過ぎ……私、頷いた?
シトラスウッドの香りが耳元に残っている気がして、本を胸に抱く。
どうしよう、どうしよう――
鼓動がうるさいくらいどくどく鳴って、顔が熱い。呼吸が止まっていたのに気がついて、音を立てないように何度も息を吐いた。
いけない、エルヴァが戻ってくる。
知られちゃいけない。
――知られたくない!?
目を閉じて呼吸を整え口角を上げてみる。本を抱え直して奥の書架に向かった。
家まで送るというエルヴァを説得して、大通りで拾った辻馬車に乗り込む。座ったハイレーナにマレシュが身を乗り出して、パンの包を渡してくれる。一瞬目を覗き込まれて、微かに頷いたのが見えた。スッと身体を引くと笑顔で
「お気をつけて」と言いながら扉を閉めた。
ハイレーナは瞬きをして、窓から身を乗り出すと、エルヴァとマレシュに手を振った。
「今日はありがとう!」
雲の上を歩いているような感覚で、屋敷にたどり着く。
心配顔のマーサに田舎パンとリンゴのブリオッシュを渡す。
厨房でお茶を入れながら今日の出来事を喋る。
自分でも驚くくらい、平静に言葉が出てくることに驚いた。
ブリオッシュは甘くて、酸味が利いていて、時間をかけて味わった。
部屋に戻る前にふと思い出したように、口にした。
「そうそう、マレシュ様が、特別公演のチケットがあるそうで、誘ってくださったの。明後日、行ってくるわ」
マーサが息を吸い込むのが聞こえた。
その時には踵を返して階段を登り始めた。




