初めての街歩き その1
城門の一歩先は活気に満ち溢れていた。街全体が浮き足立っている。
アルバードとレグステラの国旗が付いになって上がり、鮮やかな赤と青がはためく。
馬車たまりで辻馬車を拾う間も、人々が忙しなく行き交う。
エルヴァと連れ立って東の一の門をくぐるまで引きずっていた嫌な気分が、ぱあっと晴れた。
「服を新調しなければとは申しましたけれども」
ハイレーナの支度を手伝いながら、マーサは不機嫌を隠さなかった。ポロダンのブティックではないことも、知らない男の経営する店であることも不満らしい。エルヴァが到着するまで小言は止まなかった。
エルヴァと向かいあって座る間も惜しむように、ハイレーナは窓に張り付いた。
御者の掛け声と共に、馬車は街の中心に向かって動き出す。カラコロと車輪の音が響き、石畳の振動に体が揺れる。
道端に人が集まっている。近づくと仮設の舞台の上でダモーレを演奏しているのが目に飛び込んできた。踊る女性のスカートが翻る。赤と青。花飾り。
「何をしたいですか?」
静かなエルヴァの問いに勢い込んで答える。
「歩きたいです。あの人々の中を歩きたい。パン屋に行きたいです!」
広場に屋台が並んでいる。湯気が上がり、人が行き交う。
「そうですね。菓子店もありますし、屋台も出ています。私のお気に入りは古本屋ですけれど」
笑みを含んだエルヴァの声に、勢いよく振り返った。
「ああぜひ!古本屋に行ってみたいです。それから屋台で買い物も!美味しいものも食べたいです」
古本屋、どんなだろう。
窓の方へ向き直りながら、埃とカビの匂いのする店を想像した。
車が止まったのは、高級ブティック街の入り口だった。
「約束の時間に間に合いましたね」
エルヴァが料金を支払っている間も待ちきれず、扉に手をかける。
並木が風に揺れて、石畳に影を落としている。ステップを降りて辺りを見回すと、大通りの両側に高級店が並んで、紋章入りの馬車が通りの先まで連なって止まっている。
目の前には深い緑に金文字で『ラディック』と入ったファサード。ガラス扉からカランいう音とともに、マレシュが現れた。錦糸の刺繍を施したベストに白いシャツ。光を反射して眩しい。その姿を目にした途端、街路樹のざわめきも、遠ざかる馬車の車輪の音も消えた。耳に心臓の音だけが響く。
マレシュは白い手袋を胸に当ててハイレーナとエルヴァに一礼した。
「我がブティックにようこそ。レディ。いらしていただけて、光栄です。どうぞ中へ」
差し出された手にゆっくりと手を重ねる。そのままエスコートされ、ブティックのガラスの扉をくぐった。
間口は狭かったのに、奥には空間が広がっていた。トルソーの並ぶホールから奥へ進み、広い部屋へ通される。ベトランタの緑が差し色に使われた室内は、洗練の中に落ち着きがある。ソファーへ導かれて、エルヴァと共に腰掛ける。銀食器で紅茶と菓子が運ばれてきた。向かいに腰を落ち着けたマレシュが、エルヴァに微笑みかける。
「改めまして、マレシュ・ラディックと申します。王立図書館で何度かお目にかかっておりますね」
「はい。司書をしております、エルヴァ・ロッシと申します。本日はお供を仰せつかりました。若いお嬢様ですから」
エルヴァも軽い微笑みを返して挨拶をする。
「もちろんです。ロッシ様がいてくださって、安心いたしました。本日はどうぞ、ロッシ様もお楽しみくださいますよう」
エルヴァとマレシュを交互に見る。マレシュも、エルヴァも、ハイレーナには向けない表情だ。
喉の渇きを覚えて、テーブルのお茶に手を伸ばす。
マレシュがポンポンと手を叩いた。
「おこがましいとは思いましたが、ハイレーナ様に合いそうなものを、何着か選んでみました」
十着ほどのトルソーが運び込まれる。
テーブルの上には生地見本とカタログが並んだ。
目にするもの全てが新しい。今まで服はマーサが選んでいたから、カタログすら目にするのは初めてだ。
立ち上がったマレシュはエメラルドグリーンの足首ドレスを指し示した。
「ベトランタの緑は、ハイレーナ様の瞳に映える、と思いまして」
胸元に切り替えのある、柔らかい生地でふんわり包んだような、最近流行りのデザイン。
気後れするハイレーナを衝立の後ろへ導き、女性店員に着替えを手伝わせる。
ウエストを締め付けないドレスはとても着心地が良かった。
衝立からおずおずと出ると、腕組みをして見ていたマレシュが近づいてくる。
「失礼」
と言って後ろへ回ると、一つに束ねていた髪のリボンを解いた。手が首筋に触れ、ぞわりとした感覚が這い上がる。頬が朱に染まる。ふわりとした紅茶色の髪を両側に三つ編みを入れ、後ろで柔らかくシニョンにまとめた。
「どうぞ」
と鏡の前へ連れてゆかれる。
そこに映ったのは普段より甘く、それでいて少し大人びた自分だった。
右へ左へ体を捻り、後ろまで映してみる。
「今の季節でしたら、朝、晩などケープをお召しになるとよろしいかと」
とマレシュは、若草色のケープをハイレーナの肩に着せかける。触れそうなほど近い。するすると後ろへ引いて、ハイレーナを上から下まで眺め、満足げに頷いた。
「よくお似合いです」
ハイレーナはエルヴァに体を向けた。
ソファーに背筋を伸ばして座り、見守っていたエルヴァはハイレーナと目を合わせると頷いた。
口元に笑みを浮かべてマレシュに向き直る。
「大変気に入りました」
マレシュが破顔した。
マレシュが選んだ服はどれも、ハイレーナによく似合った。小物まで合わせて三着分の購入を決めた。
直しのための採寸を終えると、ぐったりとエルヴァの隣へ腰を下ろす。入れ替えてもらったお茶をゆっくり味わった。不思議な充実感に満ちていた。
「良い買い物ができました」
「一週間後にはお屋敷にお届けいたします」
お針子や店員が下がってゆくと、マレシュが膝を叩いた。
「さて、ではこれから街をご案内したいと思いますが、お疲れではありませんか?」
ハイレーナはソファーから身を起こして、満面の笑みを浮かべた。
「まさか!楽しみにしておりましたの。それに、お腹が空きました」
とお腹を抑えてみせる。
マレシュはクックと笑ってから、エルヴァに向けて言った。
「エルヴァ様もお疲れではありませんか?」
「私は慣れておりますから」
ブティックの裏口から外へ出る。
「広場に向かうには、こちらが近道なのですよ」
とマレシュがエルヴァに言う。ハイレーナにはウインクをよこした。
裏通りをすいすい抜けるようにして、歩く。
裏窓から漏れる人々の声が反射して響く。料理の匂い、かすかな異臭が混じり合ってハイレーナの鼻腔を刺激する。息を止めて足を早めた。
ありがとうございます。
次回は4月28日(火)19時になります。
ゴールデンウィーク近づいてきましたね。楽しい時間が過ごせますように!




