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乙女ゲームは終了したのに帰れません〜ハッピーエンドの後に、ひとりぼっちになったヒロインですが、自分の力で生きていきます〜  作者: 国枝 彩乃
修行編

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マレシュの誘いとエルヴァ

 ハイレーナは早足で歩く。

 編み上げブーツの踵を鳴らしながら前へ進む。


 街へ出たら何をする?

 パン屋、パン屋へ行く。

 

 通学の電車を一駅前で降りて、商店街を歩いてクレープ屋に寄り道。

 もう遠い日の日常が頭を掠めていく。

 

 街へ出たら……パンを買う……。

 そんなことが……と苦笑が漏れた。


 

「ヴァロネス様!」

 門兵に許可証を見せ、前庭を突っ切っていると後ろから呼び止められた。

 振り向くと衛兵小屋から、誰かがかけてくる。

 その衛兵が近づいてくるのを待った。

 見覚えのある、ベトランタ語の衛兵だった。

 突き出した右手に手紙が握られている。封蝋の赤が目に飛び込んできた。

 数歩の距離で止まった彼はハイレーナの前に手紙を差し出した。

「マレシュ・ラディック様より、お手紙を預かっております」

 

 強く握られて、少しよれた白い封筒をまじまじと見て、受け取った。

「ハイレーナ・デ・ヴァロネス様」

 強い筆跡の端正な文字が並んでいる。

 裏返してみる。差出人の署名はない。

 シトラスウッドの香りが浮かんで消えた。

 

「お返事は僕に。夕方から門番をしておりますので」

 と頭を下げた彼の頬にはニキビの痕があった。

 ハイレーナは青年のニキビの痕と手紙を見比べて、頷いた。

 

 では、と踵を返しかけた青年に、声をかける。

「あなたのお名前は?」

 ビクッと立ち止まり、目を伏せたまま言った。

「バルゴ、と申します」

「失礼ですけれど、マレシュ様とはどのような?」

「親の代から、お世話になっています――」

 顎を引いて口ごもりながら、答える青年。

 いまにも後退りしそうな姿をじっと見て、小さく息を吐く。

「そう、ではバルゴ様、後ほど」

「はい」

 と小さく返事をして青年は走り去っていった。

 受け取った手紙をしばらく眺めたあと、鞄へしまい、白い離宮に向かって歩きだす。

 はやる足をわざとゆっくり、一歩一歩進めた。

 

 受付台にはくたびれた様子の司書が一人。エルヴァの姿が見当たらない。許可証を出しながら尋ねた。

「今日、ロッシ司書はいらっしゃいます?」

「ロッシなら、書架にいるはずです」

「ありがとうございます。探してみます」

 

 いつもの場所に荷物を落ち着け、資料集めがてら書架の間を覗き込む。くるっと一回り探しては見たものの、エルヴァの姿を見つけることはできなかった。

 机に戻り、資料をテーブルに広げる。鞄からノートと筆記用具、そして手紙を取り出した。

 まず読まないと、何も手につかない。

 ハイレーナは周囲を見回してから、慎重に封蝋を切った。

 

    ハイレーナ・デ・ヴァロネス様

    

    あの雨の日にお話ししたとおり、私の営むブティックにご招待申し上げます。街は祭典で賑やかです。

    屋台もたくさん出ていて、ぜひ、ご案内したい。

    もし、承諾いただけるのならば、次の休館日、ご自宅へお迎えに参上致します。



                           マレシュ・ラディック



 次の休館日は、……四日後。お父様が出かけた後だわ。

 手紙を一度閉じて傍へ置き、もう一度手に取って広げた。

 一文字一文字追う。

 

 迎えにくる?マーサがなんて言うかしら。

 オットーは……。

 手紙を持つ指先に力が籠る。


「ハイレーナ様」

 密やかなエルヴァの声がした。顔を近づけるよう腰を屈めてエルヴァが立っていた。

 左手で手紙をたたみ、体ごとエルヴァの方へ向ける。

 見られた?引きつる口元から無理やり微笑みを作る。

「エルヴァ様」

 そう言ってハイレーナも立ち上がった。エルヴァの視線を遠ざける。

「お探しと、聞きまして」

「ああ、今日もマーサから預かり物がありますの」

 エルヴァは無言のまま、ハイレーナの手元から視線を上げて顔を見つめた。

 

「ありがとうございます。では、後ほど」

 静かな声で言って、素早く仕事に戻って行った。




「余計なこととは存じますが……」

 包から出した、ダークチェリーのタルトを前に、感嘆のため息をついたエルヴァは、「お茶を入れ直しましょう」と言って席を立った。ハイレーナはテーブルの上に頬杖をついて、ぼんやりと窓から外を眺める。初夏の日差し。手紙とパン屋とオットーとマーサ。新調する服と留守にする父。思いが交錯して……。

 半分目を閉じたハイレーナに、湯気のたつカップを差し出しながら、エルヴァが話しかけた。

「何かあったのですか?今日のハイレーナ様は様子がおかしい」

 ハイレーナはゆっくりと視線を戻し、カップを見つめてため息をついた。

「……友人と喧嘩をいたしました」

 エルヴァは何も言わずお茶を飲む。カップを持つ手が降りてきて、音をさせずに置いた。

 静かな目がハイレーナを包む。自然と言葉が滑り出た。

「私が、世間知らずで、パンの値段も知らないと。……正しいことを言われると腹が立つものなのですね」

「貴族のお嬢様ですもの。それが当然ではありませんか」

「でも、それでは不十分なのです。人々の役に立つ物作りをしたいと願いながら、人々のことをあまりに知らなすぎる。友人が言ったことは正しいのです」

 エルヴァはタルトにスプーンを差し込んだ。ゆっくり口元へ運んで、一口。味わって目を細める。

 ハイレーナもタルトを引き寄せた。スプーンを手に取り、タルトの周りを突いて崩した。

 

「それで、街へ出たいと?」

 視線が揺れる。

「ごめんなさい。さっき、見えてしまいました」

「違うんです!あれは……」

 首を振った。

 

「――私はお止めしませんよ」


 驚いて、エルヴァの顔を見る。

 

「見たいのならば、見ればいいのです」

「ただ……」

 

「周りの方々が納得なさるように、やり方を考えなさいませ」

 くっと息を飲み込んだ。

 

「でも、一人で城壁の外へ行くことは許してはもらえません」


 エルヴァの視線がハイレーナを観察している。

 

「――ハイレーナ様は分かっておられるはず」

「周りの信頼を得られるかどうか」


 ハイレーナはがっくり肩を落として考え込んだ。エルヴァはタルトを一口ずつ味わう。最後の一切れを名残惜しそうに食べ終えると、お茶をこくりと飲んだ。ほっと満足の吐息をついて、ハイレーナに優しい目を向けた。


「どうしても街へ出たいのであれば――」

 

「私が同行いたしましょう」

 

読んでくださってありがとうございます。

次の更新は4月26日(日)19時です。


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