花火
自室へ戻る。
コップに水を注ぐと、一気に飲み干した。
顔を洗って、夜着に着替え、ノートを取り出すと机に向かった。
――絶対、作る。
クズウォードを使った、単一回路の着火器具。
庶民でも買えるウォード製品を作って、見返してやる。
思いつく限りメモしていく。
クズウォードのエネルギー含有量、そうだ、小さな炎を作るための回路も考えなくちゃ。最適なインクの配合も……。
「庶民の何を知っているの?」
集中しようとするのに、オットーの声が浮かぶ。
机に肘をついて両手で顔を覆った。自分の呼吸の音だけが響く。
――オットーに責められたこと一度もなかった。
ハイレーナは立ち上がって、部屋の中を歩き始めた。
学院で一人ぼっちだった時も、ううん、その前から。
「屋敷へ帰りたくないの」と涙目で打ち明けると、迷うことなく「なら、ポロダンの別荘に来ればいいよ」と誘ってくれた。あの時はまだ十二歳だった。
ラナスへ旅立つ直前。学院の裏庭で上目遣いに真剣な表情のオットー。「辛いなら、僕と一緒に来るかい?」断ったのに「気が変わったらいつでもおいで」と。
マレシュのこと、隠したから?
ベッドの端に腰掛ける。
だって、マレシュのことは誰にも話したくない!
枕を抱いて顔を埋めた。
大切な秘密なんだ。今はまだ。
あの、艶やかなベトランタ訛りも、白い手袋も、長い指と熱い手のひらも自分だけの……。
息が苦しくなって、顔をあげ、ため息をついた。
「パンの値段」
オットーの声。
「ちゃんとそこまで考えろ」
トニスの言葉。
立ち上がって机の前へ。
開いたノートのページを捲る。
自分の書いた文字をなぞりながら、目に浮かぶのはオットーの悲しそうな顔。
――ああ、そうか。途中で遮られたから。
「応援するよ」
「いいね、それ、面白そうだ」と言って欲しかった。
馬鹿だ……独りよがり……。
その時、窓一面が大きく光った。
パパパーン。
と大きな音が続き、そして、また光る。
「花火だ。ウイレムの祭典のだ」
窓辺に近寄って、空を見る。
音と光は届くのに、ハイレーナの部屋の窓からでは、花火が見えない。
それでも、青や赤に光る空を見上げながら、思った。
オットーは一番最初にできた『友達』
今でも一番近しい『友達』
もうダメかもしれない。
どどーん。バーン。
光が先、音が後から届く。
――街へ行こう。そして、着火装置を作ろう。
翌朝は身支度に時間をかけた。
「おはようマーサ」
と声をかけると、忙しく朝食を運んでいたマーサが手を止め、振り返る。
ほっとした表情を浮かべ「おはようございます」とだけ返事が返ってきた。
食堂には焼けたパンの香りが漂っている。
「お父様、おはようございます」
と声をかけてハロルドの向かいの席へ座る。ハロルドは読んでいた資料から目をあげた。
「ハイレーナ、おはよう。体調はもういいのかい?」
「はい、ゆっくり眠りましたから。ご心配をおかけして」
目の前に入れたての紅茶が置かれ、パンとスープの皿が置かれる。湯気のたつカップを手に取って、一口。
ハロルドの視線は資料に戻っているのを確かめて、本題に入る。
「昨日、オットーがお金を持ってきてくれました」
「うん」
「それで、服を新調したいのですけれど。背が伸びたようで、皆丈が短くなってしまって」
「そうか」
ちらとハイレーナに視線が来るが、ハロルドの興味はさほど動いていない。
「近々、街へ出てもよろしいですか?」
「ああ、そうだね。マーサと相談して決めるといい」
ハロルドの視線は資料に向いたままだ。
――よし。
ハイレーナはテーブルの下でナプキンを握っていた手を離した。
安堵したのか、急に空腹が襲ってきた。
スープの香りが鼻に飛び込んでくる。スプーンを手に取り、具沢山のそれを口に運んだ。
しばらく、食堂にはカトラリーの音だけが響く。
ようやく資料をテーブルの端においたハロルドが、パンに手を伸ばしながら、口を開いた。
「僕は来週からフィールドワークに出かけるよ。トニスも一緒だから、2週間ほど実習はお休みだ」
「来週からですか?」
「祭典で騒がしいだろう?仕事も動きが少ないから、出かけるにはちょうど良くてね。祭典が終わる頃に戻ってくるよ」
果物の皿をテーブルに置いたマーサが驚いた。
「まあ、それでは支度をいたしませんと!」
「今年はポロダンから防水布が届いていてね。新商品を試したいからと……」
会話を片耳で聞きながら、ハイレーナの頭は目まぐるしく回転する。
お父様のいない2週間!
いつ、どうやって実行に移す?
乗合馬車?街中まで行く路線があったはず。
大聖堂の広場まで出られれば、あとは歩くだけ。
今日は王都の地図を探してみよう。
図書館で――と思った瞬間、マレシュの顔が浮かび、強く瞬きをした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
次の投稿は4月24日(金)19時です。
マレシュが動き出すかもです。




