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乙女ゲームは終了したのに帰れません〜ハッピーエンドの後に、ひとりぼっちになったヒロインですが、自分の力で生きていきます〜  作者: 国枝 彩乃
修行編

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実習と新たな宿題

 大丈夫。

 工程は全部頭の中に入ってる。


 丁寧に拭き取った花弁を乳鉢に入れ擦り潰す。

  ふにゃりと花弁が潰れる。

 初めての感覚に力加減がわからない。

 潰して、混ぜて。

 ――いったいどのくらいまでやればいいんだろう?

 チラリとハロルドを見るが、父の表情は変わらない。

 

 とにかくペースト状になったそれをガラス瓶に移し、酒精を注ぐ。

 どのくらいの量だったっけ……ランプに火を灯し湯煎にかける。

 ハロルドが小さくみじろぎする。

 ハイレーナは気を逸らさないよう鍋を見つめた。

 

 ――確か、沸騰させちゃダメだったはず。四、五十度って、どのくらいなんだろう。

 時間を見ておかなくちゃ。

 酒精の香りが立ち上る。

 

 あれ?

 取り出したガラス瓶の中が微かに濁っていた。

 濾過して見ると麻布の上に残ったものがさっきよりずっと多い。

 ――おかしい。

 ハロルドの視線が麻布の上に止まっている。

 ――でも、ここで止められない。

 

 濁った液を煮詰めている横で、膠を湯煎にかけ――。


 膠に気を取られた隙に、

 ――煮詰めすぎた!

 と火を止めた時にはどろりと重たい液状になってしまった。

 

 ――まだ大丈夫。松脂液で調整すればなんとかなる。

 

 火からおろして、手早く混ぜる。

 液体はどんどん濃くなって濁りを増してゆく。

 どんなに液を足しても、ハロルドのインクより重い。

 

 そして、ガラス瓶に移したそれは、ハロルドが作ったものと似ても似つかない、どろりと濁った赤黒い液体だった。二つの瓶を見比べて、唇を噛んだ。

 

 ――ひどい。……こんなにできないなんて。

 

 潰し具合、酒精の割合、湯煎の温度、膠の溶かし具合、煮詰めた後の粘着度。

 お父様の手元をしっかり見ていたはずなのに、どれひとつ記憶に残っていなかった。

 

 ――悔しい。

 どうして何も言ってくれないの?

 

 父を見る。

 眼を合わせず、ハロルドは立ち上がった。


「今日はここまでにしよう。洗って片付けて。その二つを持って下に行くよ」


 器具を棚に戻し、実験台を綺麗に拭きあげる間、一言も話さなかった。

 扉を閉めて、鍵をかけるハロルド。

 チラチラとハイレーナを伺っている視線。

 無言で階段を降りていくと、下にはトニスが片手をあげて、待っていた。

 

「今来たところだ。昼はまだか?」

「うん。今終わったばかりだから」

「じゃ、一緒に食おう」

「一緒に食おうじゃありませんよ。ご一緒なさるおつもりなら、事前におっしゃってくださいませ」

「悪い。しかし、マーサならなんとかしてくれるだろ?」

 わざとらしく大袈裟なため息をつくマーサに、かかかと笑ってトニスがハイレーナを見る。


「なんだお嬢、おとなしいな。さてはうまくいかなかったか」

 ハイレーナは二つのインク瓶をトニスの顔面に突き出した。

 トニスは手を伸ばし、ハイレーナが作った方を手に取ると、光に透かしながら、ニヤニヤ笑った。

「まあな――」



 ダイニングテーブルには料理が湯気を立てていた。

 マーサがとりわけている間も、ハロルドとトニスは「クズウォード問題」を話しあっている。

「今はいいが、廃棄するにも限界がある。方法を考えないと」

「高濃度を作ろうとすると増えるのをなんとかならないか」

 

 ひとり黙って黙々と食べた。

 絶品のはずの野菜のグラタンも、噛んで飲み込むだけだった。


 

 昼食を終え、研究所へ向かうハロルドを見送る。ハイレーナを見るハロルドに視線を合わせられなかった。


 綺麗に片付けられたダイニングでトニスと向かい合って座る。

 テーブルの上には二つの瓶がのっていた。

 トニスがテーブルをトントンと叩く。

「まず、すり潰しかたが不均等。濾過したとき、たくさん残ったろ」

 ハイレーナは頷くしかない。

「煮沸温度にムラがあった。これだけで相当濁ったはず」

「しかも煮詰めすぎ、膠多すぎ」

「薄めればいいと思って、松脂液を大量投入」

 見透かされた。椅子の上で小さくなることしかできない。


「お父様は何も言ってくれないから……」

 トニスがジロリとハイレーナを見る。

「俺が禁じたんだ」

 顔を上げる。

「あいつは天才だ。凡人には見えないものが見えてる。が、教育者としては失格だ」

 先ほど、質問した時の答えが頭をよぎる。確かに何も、わからないままだった。

「ただし、この国一の研究者だ。目の前で作って見せただろう。何を見ていた」

 じんと鼻の周りに熱が溜まる。拳を握って、涙を堪えた。

 

「甘えるな」

 

 トニスの低い声が降ってきた。

 ノートが目の前に突き出される。

「書いておけ。何が起こったか。記憶に刻め」

 ペンを取って、鼻を啜りながら書きはじめたハイレーナに止めの言葉が浴びせられる。


「二度と繰り返すな」


 ノートは二度、書き直させられた。

「もっと細かく。自分のやったことを余さず思い出せ」


 それが終わると、ハロルドのインクを使って回路を引く練習が始まった。

 本物のインクは美しい赤い線を引いた。


 ウォードランプが点るころ、帰り支度を始めたトニスが言った。

「これから実習を増やす」

 

 ハイレーナはしっかりと頷いた。

 二度と同じ間違いはしない。


 玄関を一歩出たトニスが振りむいた。

「お嬢に特別な課題を出す。自分の作りたいものを考えろ」


 ハイレーナの頬に生気が戻る。

 

「抽出、生成、回路がある程度できるようになったら、製品の企画書を書いてみろ」


お読みいただき、ありがとうございます。

次回更新は4月19日19時になります。

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