ことの始まり
十二歳のあの日。目覚めた時から何かがおかしかった。身体がなんだか馴染まない。他人のものみたいで変だ。あれ?こんなに足もても小さかったっけ?床に足を下ろしてペタペタと歩き鏡台の前に立つ。鏡を覗き込んで呼吸が止まった。
「なに……これ?」
真正面で見返していたのは緑の目。幼い顔。紅茶色の髪。
「……ハイレーナ……ハイレーナ・デ・ヴァロネス……」
自分の顔に手をやったまま、部屋を歩き回る。
――知ってる、この部屋……。
「……転移?」
「嘘でしょ?マジで?どうなってんの?」
――なんでこんな白いネグリジェみたいの着てんの?あたしのTシャツどこいったん?
もう一度鏡の前に戻った。やっぱり覗き込んでいるのは、画面で見慣れたヒロインの姿。
がっくりと首を落として頭を振った。
……どうしよう。どうしたらいいの?
コンコン。
扉を誰かが叩いてる。
「やば、どう……しよう」
コンコン。
恐る恐る近づいて小さく扉を開けた。
「ああ、ハイレーナ嬢。起きていましたか?」
隙間から見えたのは、中世っぽいドレスを纏った中年の女性。
「朝食に降りてこないから、心配しました。初日から遅刻では困りますよ。早くお着替えなさい」
と頷いて去っていった。
――もし、私がハイレーナ・デ・ヴァロネスだとしたら、ここはアルバード王立学院よね。初日って言ってた?
クローゼットを開けて中の服をあさった。
「やっぱり!」制服だ。
――これ、着るんだ。
ネグリジェを脱いで、制服の袖を通す。
「どうやって着るのこれ?」
ファスナーがない。ゴムもない。ブラウスにスカート。ボタンをなんとかとめて、編み上げブーツを履いた。胸元のリボンの色は新入生の赤。
――入学式が終わった翌日……だよね、きっと。
ハイレーナが昨夜用意していたらしい鞄を手に、おっかなびっくり廊下へ出た。
西洋風の重厚な建物にが珍しくて、周りをキョロキョロ見回していると、同じ赤いリボンをつけた、女の子に声をかけられた。
――うわ、美人!って、アメリア……だよね。
ピンと伸びた背筋。扇子を片手に持っている。
「あなた、お迷いになったの?新入生はあちらですわよ」
アメリアは顔を近づけて、リボンを確認した。
「二組でしたらB棟の一階二つ目の教室ですわ」
――まつ毛なっが!さすが悪役令嬢。
「ご親切に、ありがとうございます……」
ぴょこんとお辞儀する。
「お急ぎなさいませ」
扇子で口元を隠すと片眉をあげて、さっさと先へ行ってしまった。
教室へ入ると、一番前の席を見た。
――やっぱり、居た!
そこだけ周りに座る生徒がいなくて、ぽっかり穴が空いている。たたたっと近づいて椅子を引くと、とんと腰を下ろした。驚いた表情でこちらを向く少年。
――むちゃくちゃ可愛い!さすが!このほっぺた、触りたい!
「あの、僕の隣でよろしいのですか?」
――やっぱり、このセリフだ。
「どなたか、ここ、来るんですか?」
「いえ、そういうわけでは……。あの、僕は平民ですし……」
「ええと、迷惑じゃなければ、仲良くしてください」
うろ覚えのセリフを返す。
――もう少し、令嬢言葉だったような……。
にっかり笑って手を差し出した。
「ハイレーナと言います。よろしくね」
「あ、オットヴァルドです。よろしくお願いします」
おずおずと握られた手をしっかり掴んでぶんぶん振った。その時ふっと口から言葉が滑り出た。
「ハナと呼んでくれたら、嬉しいな」
――ハナ、……あたしの名前だ。小堀……華。
ほっとしたような、圧倒されたような顔の少年が、ふわりと笑った。
「じゃあ、僕はオットーで」
食堂で付け合わせのニンジンを口に入れようとして手が止まる。
――あれ?
「そうか」
ハイレーナはニンジンが嫌いだった。でも、華は普通に食べていたはず。その途端、マンションで食卓を囲んだ母の顔が浮かぶ。
『にんじんはお肌にいいのよ。綺麗になりたかったら好き嫌いしないで食べなさい』
――お母さん……。
滲んだ涙をごまかそうと、無理やりフォークを口に入れ、苦味に顔をしかめる。
「きらい……」
と言いながら一生懸命咀嚼して飲み込んだ。
歴史の授業を受けている時だった。
「こうして発見されたウォードによって、我が国は大きく変わる。さらに……」
――ウォード。
ブルっと身体が震え、寒気がしてペンを離した。
「ヴァロネス博士の発明によって……」
せり上がってくる吐き気を抑えようと胸元を両手で押さえる。
「大丈夫?真っ青だよ」
オットーが覗き込む。
「大丈夫……」
――大丈夫、私はハイレーナじゃない。
「ヴァロネス博士ってハナのお父さんだよね」
その途端、顔が歪んで口元を抑えた。
――お父様なんて、大っ嫌い!
頭の中でハイレーナの声が響く。きつく目を閉じたまま、机に倒れ込んだ。
額に乗せられた温かい手に呼び起こされて、意識が戻る。
――お母さん?
「目が覚めましたか?」
――お母さんじゃない……。
もぞもぞ身体を動かして起き上がる。
白衣を着た女性がコップを差し出してくれた。
「授業中に倒れたのですよ。熱はないようですので、緊張のせいでしょう」
こくりと水を飲む。
「新しいことがいっぱいですものね。無理をせず今日は寮に帰っておやすみなさい」
「……はい」
――そうだ。ハイレーナはお父さんが嫌い。
――私をひとりぼっちでほっておいたもの。お父様も、研究所も大嫌い!
ひときわ大きな声が響いて頭を抑えた。
――大丈夫。私は華。小堀華だから。
廊下で立ち止まって、深呼吸を何度も繰り返し、落ち着かせる。
――こんなのもうやだ。帰りたい!
玄関で心配そうな顔をするお母さんの声。
『忘れ物は?携帯持ったの?ちゃんと毎日連絡よこしなさいよ』
「……連絡できないよ……」
涙が溢れて、その場にしゃがみ込んだ。
「おや、大丈夫かい?……泣いているの?」
声に驚いて、顔を上げると、端正な顔立ちの青年が覗き込んでいた。
――エステヴァン!
「新入生だね。可愛いな」
――……攻略しろってことだよね。……そしたら、帰れる!?
「さあ、泣かないで。最初は辛いかもしれないけど、慣れるよ。楽しいこともいっぱいあるからね」
目を見開いてエステヴァンの瞳をじっと見つめた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
まだ始まったばかり。長くお付き合いくださると嬉しいです。




