プロローグ
「ハナ、僕と婚約してくれませんか?」
ハナは目の前に跪いたウイレムを見た。その手には婚約腕輪の箱が載っている。
「ウイレム……」
――ああ、やっと。やっとだわ!
ハナは自分も膝を折ってウイレムの手を握った。
「嬉しい!ありがとう。本当に、ありがとう!」
その途端、会場に悲鳴とどよめきが溢れた。
「いやぁぁ、ウイレム王子様が!」
「うおお、信じられん!」
まるでそんな声など聞こえないように、ウイレムが立ち上がってハナを抱きしめ、腕輪をはめてくれた。楽団が弓を構え、二曲目の演奏が始まる。舞踏会で二曲続けて踊るのは夫婦か婚約者のみ。ウイレムがハナの手を取ってステップを踏み始めた。
最後の和音に合わせて礼をすると、ウイレムに手を取られてダンスホールを退く。あちこちから視線が降り注ぎ、ヒソヒソ声が聞こえる。その度にウイレムが振り返って睨みつけた。視線が逸らされる。ハナはウイレムの手をポンと叩き「大丈夫」と声に出さずに伝えた。庇うように腕が回され、ビュッフェのテーブルに近づくと、四人の男たちが、二人を視線から守るように取り囲んだ。
「やったな、ウイレム」
「おめでとうハナ!」
制服姿のオットーが冷たい果実水を手渡してくれる。
「気にしないで。みんな妬いているだけだから」
「ありがとう」と頷いて受け取った。カラカラに乾いていた喉を甘い果実水が滑り落ちていく。
――気になんかならない。だって……。
腕輪を見ると、満面の笑みでみんなを見回した。
「全く、いつ言い出すのかヤキモキしたよ。言わないなら僕がハナを口説こうかと」
とエステヴァンがハナに腕を回す。ウイレムが睨みつけ、エステヴァンの腕からハナを取り戻した。
「何度も予行練習させられたんですよ、我々。ただでさえ……いや、おめでとう」
アドリアンをとっておきの笑顔で抱擁する。ウイレムの手がハナのドレスの端を掴んで離れない。
「王子様には敵わないからな。全く悔しい限り」
ヴァレンスが腕組みをして、見下ろした。ウイレムが少し不機嫌な顔をむける。
「……だが、ウイレムなら安心して、ハナを託せるよ」と笑った。
ヴァレンスにも抱きついた。
――大丈夫、みんな仲良し。誰も闇堕ちしていない。
ダンスホールでは着飾った卒業生たちが踊っている。音楽は絶え間なく鳴り響き、熱気が籠る。こちらを伺って交わされる囁きは感じるけれど、そんなことはどうでもいい。
ハナは腕輪に何度も触れて確かめた。
――本当に、これで間違い無いよね。きっと大丈夫よね。
一歩外に出ると、夜風が剥き出しの肩に冷たく感じた。蝉の声が間遠く聞こえる。四人に囲まれ、ウイレムに手を引かれて歩く。
「全く、今日がこうしてみんな揃って過ごす最後だなんて、信じられない」
「思えば、長くて短い学院生活だった」
吐息と共にウイレムが言う。
「ああ、そうだな。特別な時間だった。充実していて、みんな変わった」
オットーが頷く。そしてハナを見た。
「僕とハナはあと一年ありますから」
首を振りそうになるのを抑え、目を逸らした。
「くそ、俺も留年すればよかった」
「親父さんに勘当されて、終わりですよ!」
女子寮の明かりが近づいてくる。手前の木立の陰に立ち止まった。
「今度ウイレムに会う時は『殿下』ですね。王城で顔を合わせる機会があるかどうか」
「二人きりの時は今まで通りで頼む」
「仰せの通りに。殿下」
気取った口調に笑いが起こる。
「僕は、一ヶ月後に領地に向かいます。しばらくは会えないけれど、手紙を書きます。ハナに会えないのが一番辛い」エステヴァンから手の甲にキス。
「私も……みんなと一緒にいられなくなるの、寂しい」
「……ハナ」
ウイレムがハナの正面に向き直って手を取る。
「正式な申し込みはまだ先になる。必ず父上も兄上も説得する。ヴァロネス博士の娘なら、きっと問題がないはずだ。待っていてくれるかい?」
――ごめんね。きっと待ってはいられない。
「……はい」
唇が近づいてきて目を閉じた。
「おやすみハナ」
「おやすみなさい」
寮の扉に身を滑らせる。最後にみんなに手を振って、扉を閉めた。そして、踵を返すと靴を脱いで階段を駆け上った。
部屋の鍵を取り出すのももどかしく、中へ。
「神様、神様」
「お願い!」
灯もつけず窓辺に駆け寄った。月の光の中へ跪く。
「どうか。帰して!帰してください!」
――五年間長かった。寂しくても、辛くても我慢したんだから。
「お願い。戻りたい!」
読んでくださってありがとうございます。初めて公開した時から、大幅に改稿しました。
どうか、楽しんでくださいますように。




