21 薬
アイリスが患者に治癒魔法を使っていると、後ろから声がかけられた。
「やぁ、我が天使アイリス。頑張っているな」
「!」
治癒魔法をかけながらそっと顔だけそちらを向くと、アデルがいつものように笑みを携えながらこちらへ向かって歩いてきた。
「あー、長い説教だったぞ!」
そう言って少し大袈裟に疲れたアピールをするアデルに、アイリスはクスクスと笑った。
それに満足そうにアデルは笑うと、ブレイドのいる休憩スペースに腰を下ろした。
「よろしかったらこちらをどうぞ。」
ブレイドの後方に立っていたルイスが、ティーカップに紅茶を注いでアデルの前に置いた。
「お、気が利くな!」
「もう間もなくアイリスお嬢様の治癒も終わられますので、先にご用意させていただきました。」
そう言いながら、ルイスはブレイドの前にもティーカップを置く。
「そうか、有能な執事だ」
アデルはそう言って小さく笑うと、すぐに右手でティーカップを持ち上げ口元へ運んだ。
ティーカップに口をつける直前、左手に隠し持っていた"何か"を口の中に入れて飲み込む。
そのまま、紅茶を一口飲んだ。
そして、ゆっくりと深く息を吐いた後、アデルは患者の治癒をしているアイリスへと視線を向けた。
「……」
ブレイドとルイスは、その様子を静かに見ていた。
アデル達がラドリス帝国に滞在して今日で三日。
ブレイドは、アデルを監視している鼠騎士たちから、とある報告を受けていた。
"アデル国王が、定期的に何か薬のようなものを服用している"と……。
それは、ディアロスの従者にも悟られぬよう、密かに服用しているらしかった。
今もアトロイの目を避けるために、ブレイドとルイスの影に隠れられるこの場所を敢えて選んだのだろう。
「(少し呼吸が荒いか……?)」
ブレイドは、アデルを観察しながら心の中で呟く。
些細な変化。
きっと普通の者ならば気付かない程度の乱れ。
薬らしきものを服用して数分経過すると、それは少しずつ安定していった。
ブレイドはルイスに目配せをすると、自身も同じように紅茶を口に運んだ。
患者の治癒が終わり、アイリスが治癒魔法を止めてゆっくり息を吐くと、後方に立っていたロナルドが口を開いた。
「アイリス、今日の治癒はこれで終わりにしようか」
「はい」
アイリスが振り返ってロナルドに微笑むと、ヘレナが顔を上げた。
「もうおしまい?」
小首を傾げながら言ったヘレナに、ロナルドの隣に立っていたエマが頷いた。
「はい。連日アイリス様への謁見が行われておりますので、アイリス様の負担軽減のために昨日と同じく急患のみの対応としております。」
淡々と答えたエマに、ヘレナが不機嫌そうに頬を膨らませた。
「……もっと見たかった」
「明日も見れると思いますが。」
「急患は明日も来るだろうからね」
エマとロナルドがそう言ったがヘレナは頬を膨らませたまま首を横に振った。
「でも、今見たかった。」
「あまり我儘を言うんじゃないぞ、ヘレナ」
アデルが苦笑しながら言った。
我儘を言えるようになるのはいいことかもしれない、と心の中で呟きながらヘレナの様子を見守る。
「むぅ。」
アデルに咎められたのが気に入らなかったのか、更に不機嫌そうに頬を膨らませたヘレナに、アイリスは小さく笑った。
「ふふっ、明日もまた治癒魔法を使いますから、その時にたくさん見てください」
あまり表情が変化しないヘレナの時節見せる可愛らしい表情に、クスクスと笑いながらヘレナの頭を撫でた。
アイリスの温かく優しい手の感触に、ヘレナはそっと目を細めると、アイリスに両手を伸ばして抱きついた。
そのままアイリスの肩に顔を埋める。
「! ……ヘレナさん?」
アイリスは突然の事に驚きながらも、ヘレナの背中に手を回し彼女の背中を優しく撫でた。
「ーー……」
ヘレナはゆっくりと息を吐いて肩の力を抜くと、静かに目を閉じてアイリスの温もりを感じた……。
ーーカタンッ、
窓が開く音がした。
それと同時に、医療棟内に風がふわりと入ってくる。
その風は、医療棟の中に立つ者たちの間をすり抜けていき、髪や服を揺らした。
「あら? 建て付けが悪くなったかしら?」
看護師の一人が、窓が開いたことに気付いて窓辺に立った。
アイリスはヘレナの頭を撫でながら、自身とヘレナの髪を揺らす風の心地よさに微笑んだ。
「ふふっ、空気の入れ替えに丁度良かったかもしれませんね」
アイリスがそう言うと、また ふわりと風が吹いた。
その風が、アイリスとヘレナの頭を撫でるように掠めていき、ヘレナはアイリスの肩に埋めていた顔を上げた。
「……優しい風。」
「そうですね……」
ヘレナがポツリと呟いた言葉に同意するように、アイリスも微笑みながら小さく頷いた。
* * * *
「金眼の天使アイリス様、お会いできて光栄でございます。」
「ありがとうございます。」
昨日に引き続き行われた謁見。
小国の使者を捕らえたこと、そしてアデル国王の発言により、特に大きなトラブルもなく進められていた。
しかし、ヘレナとブレイドに向けられる視線は、少しずつ冷たいものへと戻っていく。
その原因は、アトロイ大司教が謁見に同席したことにあった。
アイリスは、そっと視線を上げて会場の端の方を見た。
「……」
アトロイが、会場の端で睨むようにヘレナとブレイドを見据えている。
アデル国王の発言に困惑していた女神信教徒たちは、そんなアトロイ大司教の様子を見て安堵し、聖典の思想を優先することを選択していったのだ。
それでも、昨日のように陰口を叩いたり罵声を浴びせたりしないのは、教祖ディアロスの血を引くアデル国王の発言も尊重しなければならぬという考えがあるからだろう。
アイリスはそっと、隣に立つブレイドを見た。
「ブレイド、大丈夫?」
「あぁ、問題ない。大丈夫だ」
ブレイドはアイリスを安心させるように微笑みながらアイリスの頬を撫でた。
すると、昨日と同じように女神信教徒達から非難する鋭い視線が向けられる。
やはり黒竜であるブレイドに対する態度に大きな変化は見られない。
アイリスが口を結びながらその様子を眺めていると、それに気付いたブレイドがアイリスの耳にそっと顔を寄せた。
「今度は目の前でキスでもしてみるか?」
低い声で甘く囁かられ、アイリスの頬が一瞬にして赤く染まった。
驚いてブレイドを見ると、ブレイドはイタズラが成功したというように口角を上げていた。
「昨日のお返し」
そう言って満足そうに笑うブレイドに、アイリスも頬を染めたまま嬉しそうに笑った。
「まーたイチャついてるな。」
アデルはその様子を不機嫌そうに眺めながら、湧き上がる苛立ちを抑えるように息を吐いた。
それでも、アイリスに触れたいという衝動が沸き起こってきて自然と眉間に皺が寄る。
「(薬の効果が切れるのが早くやってきたな……)」
アデルは、無意識にアイリスを目で追ってしまう自身の目を片手で覆いながら、また深く息を吐く。
アデルの服用している薬ーー精神安定剤。
女神を愛するディアロスの血を受け継ぐ国王たちはみな、本能で女神を求める。
宗教国家ディアロスには、女神の祀られた教会が身近にあり、常に女神の存在を感じることができるため、歴代の国王たちは"国外へ行かない"という選択をすることにより、薬の服用を最小限に抑えて心身の安定を保ってきた。
しかし、ここは竜族の治める多種族国家ラドリス帝国。
教会なんてものが身近にあるわけがない。
それだけでも不安定になるというのに、
目の前に喉から手が出るほど欲しい"金眼天使アイリス"がいるのだ。
アイリスの姿を見る度に、"彼女に触れたい"、"愛したい"という衝動に駆られてしまう。
それを抑制するために、アデルはここ数日、頻繁にこの薬を服用していた。
「(あまり薬を多用するべきではないことはわかっているが、アイリスを傷つけるようなことはしたくない。)」
黒竜と愛し合っているアイリス。
せめて、計画を失敗に終わらせてから……。
アデルは胸ポケットに手を入れ、そっと薬を取り出した。
そしてそれを口元へ運んだと同時に、唐突に頭の中に声が流れてきた。
【その薬を服用すれば、我らに対する反逆行為とみなし、即時、口封じの印を発動させるぞ。】
「!!」
聞こえてきた声に、アデルはすぐに動きを止めた。
そして、手に持っていた薬をそっと床に転がし、ゆっくりと会場を見渡す。
姿は、ない。
しかし、確実に見られている。
また、声が響いた。
【今後少しでも不審な動きを見せたら容赦はしない。我々の指示に従い、計画を遂行せよ。】
「……」
【貴殿の働きを期待しているぞ、アデル国王陛下。】
フッ、と声が止んだ。
背中に、嫌な汗が流れている。
アデルは深く息を吐くと、足元に視線を落とした……。




