20 アデルの話
会議室を出て、アデルとヘレナは宮廷の広い廊下を二人で歩いていた。
その後ろを従者達とアトロイ大司教がついていく。
ふと、アデルが宮廷の窓から外を見ると、庭園で楽しげに話している貴族達の姿が見えた。
種族関係なく話しているその姿は、この帝国そのものを表している光景だった。
* * * *
俺の世界は、女神信教とその教祖ディアロスを中心に回っていた。
女神信教を主軸とした世界が当たり前だったから、人族は女神に最も愛された種族だと思っていたし、異種族は野蛮な存在だと思っていた。
「私たちは女神信教の偉大なる教祖ディアロス様の血を引く唯一の一族だ。その名に恥じぬ振る舞いをしなければならないよ。」
「はい、父上!」
宗教国家ディアロス、第三十七代国王――エリス
それが、父の名前。
王宮に併設されている、女神像の祀られた教会に、毎日欠かすことなく祈りを捧げていた父。
その背中を見て育った俺も、毎日父の隣で祈りを捧げていた。
国民のみんなが、父と俺の存在を崇めてくれる。
生きているだけで、みんな笑ってくれる。
幸せだった。
この国の異様さに気付くまでは……。
陽の光が一切入らない地下牢。
「これが異種族だよ、アデル。」
そう言って見せられたのは、世界から断絶したとされていた異種族。
ヘスス族だった。
怯えた表情でこちらを見る女性。
彼女の身体には無数の鞭の跡があった。
「さぁ、やりなさい。これでお前も一人前になれるぞ。」
そう言って父から渡された鞭。
眩暈がした。
人族の姿をしているその女性。
一体自分たちと何が違うと言うのだろう。
牢の隅に座り込んでいる、無表情の少女。
彼女の瞳は虚空を見つめていた……。
それから、俺の世界は一変した。
この国のすべてが異様に思えた。
実在するかもわからない女神様を崇め敬い、
事実かもわからない教えが書かれた聖典に従って生きていく。
その異様さに気付いていながらも、「おかしいんじゃないか」なんて声を上げることはできなかった。
何が正しくて何が間違っているのか、分からなかった。
ヘスス族の女性の遺体が地下牢から運び出された。
きっとあの薄暗い牢の中で、あの少女はまだ虚空を見つめているのだろうと思うと、吐き気がするほどの罪悪感に襲われた。
それでも、彼女に会いに行くことはできなかった。
真実から目を逸らすことに必死だった。
今いるこの世界が正しいのだと、無理矢理信じ込ませていた。
しかし、それは突然崩壊した。
十歳になったばかりの頃。
朝起きてすぐ、身体の違和感に気付いた。
「(あつい……っ)」
無性に身体が熱かった。
熱が出た時のような火照りがあった。
「(なんだ、これは……っ)」
荒い呼吸を必死に整えると、少しずつ思考がはっきりとしてきた。
それと同時に、"女神様に会いたい"という想いが湧き上がってきて、胸が苦しくなった。
恋焦がれる、というのはこの事を言うのだろう。
頭の中がぼんやりとする中、廊下の壁に手をついて体を支えながら教会へ行った。
すると、そこには先客がいた。
「ああっ、女神様!! ディアロス様っ!! 何故私をお見捨てになられたのですかっ!!」
女神像の足元に蹲って泣き叫ぶ父。
その姿を見て、ようやく気付いた。
ディアロスの血を引く者が受け継ぐ神聖力。
それが、俺に受け継がれたのだと……。
それから父と俺の関係は、親子では無くなった。
俺は父にとって「女神様と自身の絆を切り裂いた悪者」となったのだ。
事あるごとに俺を殺そうと目論む父に、頭を抱えた。
その度に、アトロイ大司教から宥められた。
「お父上を責めてはなりませんぞ。それだけ信仰心のお強いという証なのですから、貴方様はお父上を誇りに思わねばなりませぬ。……時が来ればいずれお父上も受け入れることができますでしょう。」
「……」
そんな日が、来るようには思えなかった。
そんな日が来ても、俺が父を受け入れることができないだろう、と思った。
宗教国家ディアロスの国王となった俺。
国王となったことで、鎖国していたはずの我が国が"とある者たち"と繋がっている事を知った。
そして、先代が密かに行なっていた事と、
ヘスス族を地下に幽閉していた理由も、知った……。
真っ先に頭に浮かんだのは、地下牢に閉じ込められている少女。
俺はアトロイ大司教の元へ行った。
「地下牢の少女は、まだ生きているのか?」
「! はい、生きております。……ご存じだったのですね。」
「あぁ。」
俺は地下牢へ行き、少女と向き合った。
ボロボロの少女は、昔と変わらず虚空を見つめていた。
静かな地下牢に俺の声が響く。
「……今日からお前は、俺のペットだ。」
「……」
「名前は"ヘレナ"だ。
俺の言う事を聞けよ、ヘレナ。」
そう言いながら、細い体を抱き上げた。
地下牢から出してやると、アトロイ大司教達から戸惑いの声が上がったが、愛玩動物だと言って黙らせた。
自分への戒め。
懺悔。
そのために少女を利用した。
政務官達から冷めた目を向けられても、これ以上父に鞭を打たれることのないよう彼女を傍に置き続けた。
それから数年後。
我が国と同じ大国であるラドリス帝国から"金眼の天使が現れた"、と公表された。
胸が高鳴った。
金眼の天使なんて、会ったことも見たこともない存在なのに、会いたくてたまらなくなった。
ディアロスの血が、そうさせているのかもしれない。
そして、同じくディアロスの血を引く父の瞳にも光が宿った。
「天使様が私に会いに来てくれた!!」
舞い上がる父に近寄ってきた、黒いローブを着た男達。
彼らは父に囁いた。
「天使様とアデル陛下がご婚約なされたら、さぞ素晴らしいことでしょう」
「女神様もきっと、それを望んでおられるはずですよ」
その言葉で、何年かぶりに父は威厳のある姿で俺の前に立った。
「アデルよ。彼らと協力し、邪竜から天使様をお救いするのだ。
それがお前に与えられた宿命。
……失敗すればどうなるか、わかるな?」
昔と変わらない姿のはずなのに、その瞳は狂った人そのものだった。
どうなるか、なんて分かりきっている。
何度も貴方に殺されかけたのだから。
だから、計画通りに動いて天使様と婚姻したとしても、天使様と愛し合う俺の姿を見て嫉妬に狂った父に殺される未来も容易に想像できた。
命令に従っても、従わなくても、俺の未来は同じ。
だから、
厄災、邪竜と言われて蔑んできた黒竜の姿を見て、自身の結末を決めたかった。
金眼の天使誕生祭、初日の舞踏会。
「ーーー……金眼の天使、アイリス。」
その金色の瞳を見て、高揚した。
ディアロスの血がそうさせているのだと理解していながらも、どうしようもなく心が惹かれた。
黒紫色の綺麗な髪。
まだあどけなさの残る顔。
それでいて、女性らしく曲線のある体つき。
すぐにでも抱き締めたい。
愛したい。
俺のものにしたい。
そんな感情が駆け巡り、自分でも自覚するくらいうっとりと彼女を見つめてしまっていた。
しかし、その金色の瞳に映っているのは、
黒竜。
黒竜もまた、天使を愛していた。
俺のように、血が勝手にそうさせているのでは無く、
純粋に"アイリス"という存在を、愛していた。
「黒竜……っ」
腹が立った。
これが、嫉妬というものだろう。
ディアロスの血が、怒っている。
そう感じた。
そして俺自身も、黒竜に嫉妬していた。
俺よりも酷な運命を生きてきた男。
世界から嫌悪されてきた男。
なのに、
この男は、
父親から愛されていた。
* * * *
「(だから、余計にムカつくんだよな。)」
アデルは、医療棟で治癒魔法を使うアイリスを眺めているブレイドを見ながら心の中で呟いた。
「キラキラ……」
ヘレナが駆け寄ってアイリスに声を掛けると、アイリスが微笑んでヘレナに魔法が見えるように体を避けてあげた。
白く輝く美しい魔法を眺めているヘレナ。
ブレイドの瞳がヘレナを写して、そしてまたアイリスへと戻された。
あからさまにヘレナを避けている行動に、目を細める。
本当は、黒竜もわかっている筈だ。
ゼイン皇帝陛下が、本当はヘレナを帝国に引き入れたいと思っていると。
それなのに、そのことに気付かないふりをして我を貫き通す黒竜。
「……本当、腹立つな。」
ポツリと呟くと、ブレイドの視線がこちらへと向けられた。
相変わらず警戒するような眼差しに湧き上がる苛立ち。
それを抑えるために、爽やかな笑顔をプレゼントしてやると、ブレイドがあからさまに嫌そうな顔をした。
「アデル様……」
アトロイがアデルを咎めるように名前を呼んだ。
それに肩をすくめると、アデルはアイリスとヘレナへ向かって歩き出した。
アトロイは、アデルの後ろ姿を眺めた。
「(早くしなければアデル様が奴らに殺されてしまう。)」
息子アデルが死んで喜んでいる父エリス前国王の姿など見たくない、という自身の勝手な思い。
手段など、選んでいる暇などない。
なんとしてでも、アデル様には生きてもらわなければ。
そのためには……。
アトロイがヘレナを見ると、ヘレナの視線がこちらへと向けられた。
「……」
アトロイに睨むように見据えられ、ヘレナも無表情のままアトロイを見た。
そして、ヘレナはまた視線をアイリスの手元へ戻すと、ポツリと呟いた。
「……ごめんね」
「えっ?」
アイリスが顔を上げてヘレナを見ると、ヘレナの視線は治癒魔法のキラキラに注がれたままだった。
何を言ったのか聞こえなかったのか、首を傾げているアイリスを見上げる。
優しくて、純粋で、綺麗なアイリス。
「……なんでもない。」
ヘレナはそう呟いて綺麗な金色の瞳から視線を逸らした。




