10 距離感
「ねぇ。」
アイリスの手を握っているヘレナが、寄り添い合っているブレイドとアイリスに声をかけた。
「なんで私にベシッてならないの?」
「「……ん?」」
一体何のことだろう、とブレイドとアイリスは首を傾げる。
アイリスは少し思考を巡らせて、そして自分にかけられている守護魔法のことを言っているのだと気付いた。
「さっき、アデル国王陛下がぶつかった守護魔法の魔法陣のことですか?」
「うん、そう。」
こくこく、と頷いたヘレナの顔は期待に満ち溢れている。
そういえば、アデルが「ヘレナは異種族との接点が皆無だった」と言っていたことを思い出す。
それに、ヘスス族は金眼の天使と同じで、一つの魔法しか使えない。
自身の使う魔法以外のものを見るのがはじめてなのだろう。
ブレイドは、アイリスの手を握るヘレナを見た。
「守護魔法は、"悪意があるもの"に反応して出現する。お前はアイリスに対して"悪意がない"と判断したんだろう。だから現れなかった。」
ブレイドの言葉に、ヘレナの隣に立っていたアデルが眉間に皺を寄せた。
「俺も悪意はなかったぞ?」
「お前は存在自体が悪意だ。」
「あ゛ぁん!?」
また睨み合いを始めたブレイドとアデル。
その隣でヘレナはアイリスの手をギューッと握りしめた。
「あくいー!」
「何この可愛い生き物……」
一生懸命悪意を込めてアイリスの手を握り締めるヘレナに、アイリスは思わず口元を覆った。
必死に守護魔法を発動させようとしているヘレナに、アデルと睨み合っていたブレイドが気付いて、隣に立つアイリスを見た。
「……アイリス。」
「ん?」
「念のため確認するが、……もう"あんな事"は考えてねぇよな?」
ブレイドが探るようにアイリスを見て言った。
"あんな事"とは、ヘレナとブレイドを恋人同士にしよう、ということ。
アイリスは、暫しの沈黙の後、頷いた。
「……うん、もう考えてない。」
正直後ろ髪は引かれているが、ブレイドは私しか見ていないのだ。
可能性がないのに、ブレイドをこれ以上傷つけてしまうようなことはしたくない。
「昨日はごめんなさい、ブレイド……」
アイリスが申し訳なさそうに顔を俯かせて謝ると、ブレイドは一度深く息を吐いた後アイリスの頭に手を乗せた。
「もう謝らなくていい。お前が俺のためにと考えてした行動だってことは分かっているからな。……だが、もう二度とするなよ。」
「……はい。」
アイリスが頷くと、ブレイドはアイリスの頭に乗せていた手を頬にするりと滑らせた後、そっと手を離してヘレナを見た。
「……なら、帝国にいる間だけ、コイツも守ってやる。」
ブレイドはそう言うと、ヘレナに向かって右手を向けた。
パァッ、とヘレナの前に魔法陣が浮かび上がる。
「!」
その綺麗な円に、ヘレナは目を輝かせた。
そっと手を伸ばすと、ヘレナがその魔法陣に触れるよりも先に、それはシュン、と音を立てて消えた。
「……消えちゃった。」
「お前にとって害になるものが近くに来たら発動する。」
ブレイドの言葉に、ヘレナは こくん、と頷いた。
「なら、ちょっと行ってくる。」
「おいこら、行くな馬鹿。」
貴族達の中に突っ込んで行こうとするヘレナに、ブレイドは彼女の首を鷲掴みして引き留めた。
「何やってんだよ。」
「ベシッてなるのが見たい。」
「だからってわざわざ突っ込んでいくな。隣に悪意の塊がいるだろ。」
「それ絶対俺のことだよな……っ!!」
アデルは拳を振るわせた。
そして、アデルはヘレナに向き合うと、彼女に向かって両手を広げた。
「俺は悪意の塊なんかじゃない! ヘレナ! 俺の元へ来いっ!」
「!」
ヘレナは頷くとアデルに向かって同じように両手を広げた。
そして二人でギュッと抱き締め合う。
守護魔法が発動しないことに気付いたアデルは、ヘレナの肩に埋めていた顔を嬉々として上げた。
「へへーん! どうだ、黒竜! 発動しないだろー!」
「ベシッてならない。アデル嫌い。」
「何言ってんだ、ならない方がいいだろ。黒竜! 俺を悪意の塊だと言ったことを訂正しろー!」
「俺は一体何を見せられてるんだ……」
「あはは……」
多くの貴族たちが見ている前で抱き合っているアデルとヘレナを見て、ブレイドは片手で頭を抱えて溜息をつき、アイリスは苦笑した。
「アデル国王がヘレナ嬢と抱き合っている……?」
「ブレイド殿下はアイリス様と寄り添っているし、婚約破棄もない……?」
ヒソヒソと話している貴族達の声がブレイドの耳を掠めた。
きっと昨日の舞踏会の話が広まっていたのだろう。
しかし、野次馬として来た者たちの目にする光景は、聞いていたものとは別のもの。
宗教国家ディアロスの国王アデルと、異種族と人族の混血であるヘレナの親しげな様子に戸惑っている者もいる。
「……!」
ブレイドは、野次馬の中に"黒竜様の尊さを布教し隊"隊長のフローラの姿があることに気付いた。
彼女は、ブレイドとアイリスが寄り添う姿を見て安堵しながらアデルやヘレナ、そしてブレイドとアイリスを撮影している。
きっとまた彼女が記事を書いて"婚約破棄はない"などの話を広げてくれるだろう。
「(婚約の件は放っておいてもアデル国王が勝手に自滅してくれそうだな。)」
予想以上に何も考えていなさそうなアデル。
あの会議中の、何か企んでいるような、賢そうな顔は彼が美形が故にそう見えただけかもしれない。
「(問題は、あっちか……)」
ブレイドは、こちらを睨んでいる女神信教徒数名に、そっと視線を向けた。
そして、アデルの後方に控えている、ディアロスから来た従者達。
ゼインがアトロイに、"従者を置いていくべきだ"と言ったのは、アトロイの助け舟やアデルのためだけではない。
密かに感じる、黒魔術の気配……。
そして、ドレイクがロナルドの心眼を弾いた時に一瞬ブレイドの肌に感じたものも、同じだった。
どこからか漂ってくる黒魔術の宝玉を宗教国家ディアロスの従者が持っているならば、草原でアイリスを襲ったことも含めてディアロスに優位に賠償を求め、交渉を進めることができる。
もし、ディアロスと関係のない者の仕業であったとしても、やる事は同じ。
捕まえて、罪を問い、アイリスに迫る危険を取り除いていくだけ。
「…………」
ブレイドは、ゆっくりと息を吐くと、足元で姿を消している鼠騎士団長に念話を繋いだ。
【……昨夜は、変わった動きはあったか?】
【ございません。昨夜はアデル国王もヘレナ嬢と共に宮廷で休まれております。ドレイク皇弟殿下も自室に入られたきりでございます。】
【分かった。そのまま監視を続けてくれ。】
【はっ!】
ブレイドは念話を切ると、目の前で騒ぐアデルを見た。
アデルは、彼の腕の中で不機嫌そうに頬を膨らませているヘレナと言い合いをしている。
「アデル、もっと悪い感じを出して。」
「だから魔法陣が出ない方がいいって言ってるだろ!」
異種族との混血であるヘレナと言い合う姿は、異種族差別をしている国の王には見えない。
演技なのか、
それともこれがアデルの素の性格なのか。
「ブレイド様、アイリスお嬢様、お待たせ致しました。」
横から声をかけられ、ブレイドとアイリスがそちらを見ると、ルイスとエマがこちらに向かって頭を下げていた。
ルイスは近衛騎士団と、エマは宮廷使用人達と情報共有、引き継ぎをして戻ってきたのだ。
二人はアデルとヘレナ、そして周囲の貴族達を見渡してなんとなく状況が分かったのか、アデルとヘレナが言い合いをしているのを特に気にしている様子もなく、ブレイドと同様自然を装った。
「……アイリス、いくぞ。」
ブレイドは、アイリスの腰に回している手でそっと彼女を押し、医療棟へ向かって歩き出した。
それに気付いたアデルは、ハッと顔を上げるとヘレナから身体を離した。
「おい!勝手に行くな!」
「来るなら勝手について来い。」
ブレイドは、アイリスをエスコートするように歩きながら言った。
宗教国家ディアロスの国王であり、ラドリス帝国の客人であるアデルに対する扱いが段々と粗雑になっている。
「黒竜っ……!」
怒りに震えるアデルから、ブレイドはそっと視線を逸らした。
自由に動いて、早く本性を表せ。
諸悪の根源を炙り出すために。
ヘレナは年上ですが、身長はアイリスよりも少し低いイメージです。




