3 国王
宗教国家ディアロス 第三十八代国王 アデル。
その名前に、会場全体がどよめいた。
宗教国家ディアロスの国王は、これまでに一度も他国にその姿を見せたことがなかった。
いつも公の場には、国王の代わりに女神信教の高位聖職者であるアトロイ大司教が出ていたため、宗教国家ディアロスが鎖国しているということもあり、国王と謁見する機会も皆無の中で、"ディアロスに国王は実在するのか"と囁かれていたくらいだ。
「(この男が、宗教国家ディアロスの国王……)」
そして、女神信教の教祖ディアロスの血を受け継ぐ男……。
ブレイドは、アイリスの目の前に立つ男を見据えた。
炎のように鮮やかな紅い髪。
そして、黒水晶のように輝く黒い瞳。
年齢はブレイドやロナルドと同じくらいだろうか。
同じ男であるブレイドの目から見ても、容姿端麗だと感じるくらい、とても端正な顔立ちをしている。
アデルは、ブレイドから向けられる視線を気にすることなく、アイリスに向かって微笑みかけた。
その男らしくも妖艶さを帯びた笑みに、周囲の貴族たちから吐息が漏れた。
「……っ」
アイリスは、アデルからの熱い視線を一身に受けて、両手を握り締めた。
"女神様が唯一愛したと言われる男"
これは、ディアロスの残した女神信教の聖典に記されている内容だ。
ディアロスが天界にいた当時、女神と人族の長ディアロスは愛し合っていたとされている。
これに基づいて、"人族こそが女神様に最も愛されている種族"という思想に繋がっているのだ。
しかし、同じく当時天界にいたラドリス帝国の初代国王――ラドン。
彼が残している記録は、ディアロスの手記とは異なった内容だった。
"女神は、人も動物も区別することなく、皆平等に愛していた。そのため、人よりも弱い立場とされていた動物たちに魔力を分け与え、異種族を創ったのだ。"
そして、こうも記録されている。
"ある日を境に、女神の様子がおかしくなった"と……。
天界が混乱し、そして人と異種族の争いが起きた。
その争いを鎮めたのは、当時竜族の長であり初代黒竜とされる男――"アレクシス"だった。
異種族の中でも一番魔力を与えられていた黒竜アレクシスが力を振るい、争いを鎮めようと奮闘したが、女神から与えられた狂大な魔力を制御することができず、魔力暴走を起こして、人族と異種族の争いを鎮めると共にその命を落としたのだ……。
これが、黒竜の起こした最初の魔力暴走とされている。
しかし、ここもディアロスの聖典と内容が異なる。
ディアロスの聖典には、こう記されている。
"女神と愛し合うディアロスに対し、いきなり黒竜が牙を剝いた"
"天界で起きた争いと混乱の原因は、黒竜だ"と。
その言葉から、"厄災"そして"邪竜"という言葉が生まれた。
地上へと降り立った人族と異種族は、それぞれ国を作った。
それが、ラドリス帝国と、宗教国家ディアロスの始まり。
このラドリス帝国側の記録と、ディアロスの聖典の内容の食い違いが、長年両国が相容れない理由の一つでもあった。
アイリスが各国との謁見の際に話した内容は、ラドリス帝国寄りのもの。
それを宗教国家ディアロスの国王は どう受け止めるのか……、アイリスがアデルを見つめる中、彼は笑みを絶やすことなく、うっとりと金色の瞳を見つめていた。
そんな彼に、声がかけられた。
「アデル様、皆が驚いております。やはり人払いをして個別に金眼の天使様へご挨拶差し上げた方がよろしかったのではありませんか?」
そう言いながら険しい表情でこちらへ向かって歩いてきたのは、アトロイ大司教だった。
初めて彼に会った時と同じように、聖職者の服に身を包んでいるアトロイは、会場全体へ視線を走らせながら眉間に皺を寄せた。
「……特に、この国は異種族が多いですからな。野蛮な者たちに貴方様の高貴なお姿を晒すのは、あまり芳しくないでしょう。」
異種族への嫌悪を隠しもせずにそう言い放ったアトロイに、ブレイドとアイリスの表情が曇った。
相変わらず、アトロイは異種族差別をしているようだ。
簡単に宗教思想を変えることはできない。
分かっていたことではあるが、それを他国で、しかも異種族の皇族、貴族を目の前にして差別的発言をする行為は、宗教上の理由があったとしても称賛されるべきものではない。
しかし、そんな彼を咎めたのは、他でもない、彼の上に立つアデル国王だった。
「……アトロイ大司教。天使様を前にしてその発言は無礼だ。今すぐ撤回しろ。」
「! ですが、アデル様……!」
「撤回しろ。」
アデルが、アトロイを睨んだ。
その鋭い視線に、アトロイは口をつぐむと、汗を流しながらアデルへ向かって頭を下げた。
「……申し訳、ありませんでした。」
深々と頭を下げるアトロイに、アイリスは目を見開いた。
そして、アイリスがアデルへ視線を戻すと、アデルはアイリスの視線に気付いてまた微笑んだ。
「…………」
ブレイドは、その様子を静かに見つめていた。
黒竜であるブレイドに対して敵意があるようには見えないが、興味もない、といった態度だ。
そんなアデルに、アイリスが少し戸惑っているのが分かる。
こんなに露骨にアイリスのことを"金眼の天使だ"と敬い称えるような熱い眼差しを向けられたことがなかったため余計にだろう。
「本当に美しいな……」
うっとりとアイリスを見つめるアデルに、アイリスは思わず一歩下がった。
「……っ、ありがとうございます……」
戸惑いながらも笑みを絶やさずに礼を言って、アイリスは頭を下げた。
さりげなく彼女の手がブレイドの服を握り締めたのが見えたのか、アデルの視線がようやくブレイドへと向けられた。
「! ……これは失礼。天使様に夢中になりすぎてお前に挨拶をするのをすっかり忘れていた。」
アデルはそう言うと、ブレイドの方に体を向けた。
「アトロイ大司教から、黒竜への考え方について天使様のありがたいお言葉を聞いているからな。お前に対しても対等に扱うつもりだ。よろしく頼むぞ?」
そう言って笑みを浮かべたアデル。
本人にそのつもりはないのかもしれないが、言葉の端々に女神信教の黒竜に対する思想が窺える。
アデルは国王なのだから、立場的にブレイドが下で間違いないのだが、信仰する宗教がそれなだけに皮肉めいた発言だと感じてしまう。
しかし今の言葉で、アイリスの発言"女神が黒竜を寵愛していたのでは"という意見も受け入れていることが分かり、アイリスが少し安堵したのが伝わってきた。
ブレイドは、アデルに向かって頭を下げた。
「……ラドリス帝国皇太子、ブレイド・アレクシアンと申します。貴殿にご挨拶できることを嬉しく思います。」
「あぁ。この顔を拝めたことを存分に誇れ。」
アデルは、ブレイドを見下すように顔を上げて言い放った。
優越感に浸るような笑みを浮かべているアデルに、ブレイドはそっと目を細めた。
張り詰めた空気が漂う。
そんな中、威厳のある声が会場に響いた。
「お前が、ディアロスの国王か。」
「!」
壇上から降りてこちらへ向かって歩いてきたゼインの声に、アデルの視線がゼインへと向けられた。
ゼインはアデルの前で立ち止まると、ドレイクとアトロイを横目で見た後、またアデルに視線を戻した。
アデルはゼインに向かって笑みを浮かべた。
「あぁ、そうだ。俺が宗教国家ディアロスの国王だ。……その者がラドリス帝国の皇帝かと思ったが、どうやらお前が皇帝だったようだな?」
アデルは一度ドレイクに視線を向けて、またゼインを見た。
アデルの言葉にゼインは目を細めながら彼を見据えると、いつものように威厳のある声を発した。
「……ゼイン・アレクシアンだ。今まで一度も外に出なかった貴殿が臨席するとは、誕生祭を行う価値を既に得られたようなものだな。」
今まで、本当に国王が実在するのだろうか、と噂されていたほどの人物。
それが、ブレイド達と大して年が変わらない青年だったとは思わなかった。
ゼインの言葉に、アデルは声を上げて笑った。
「それは俺には勿体ない言葉だ! 誕生祭は天使様の為に行うものだからな。だが、俺に価値を見出してくれるとは嬉しいものだ」
アデルはそう言ってひとしきり笑うと、ゼインの深海色の瞳を見据えながら口角を上げて言った。
「……今回、俺が出向いたのには勿論理由がある。お前たちにとって、とても有益な話だ。金眼の天使様を見つけてくれた礼をしてやろうと思ってな。」
「礼……?」
ゼインが訝しげな顔をして聞き返すと、アデルは笑みを浮かべたまま頷いた。
そして、スッと右手の人差し指を伸ばして、それをブレイドに向けた。
「黒竜の魔力を抑える腕輪……作れるぞ。
俺たち宗教国家ディアロスの持つ力があればな。」
「「!!」」
アデルの言葉に、会場が騒ついた。
困惑と疑念の表情を浮かべる竜族を見て、楽しげに目を細めるアデル。
「……少しは興味が出たか? ゼイン皇帝陛下?」
「…………」
「アトロイ大司教は礼をすることに反対していたが、女神信教に対して好意的な奴が竜族にいることが分かったからな。この後天使様を交えてじっくり話そうじゃないか。」
「……そうだな。」
ゼインは一度ブレイドとアイリス、そしてドレイクを見た後、すぐにアデルへ視線を戻して頷いた。
アデルは、ゼインの合意を得たことに満足そうに頷いた後、不安げにゼインとブレイドを見つめるアイリスに気付いて、アイリスの手をそっと握った。
「!」
「さぁラドリス帝国の者達、難しい話は後回しだ。今は天使様と共にこの宴を存分に楽しもうではないか。天使様の笑顔こそが、明るい未来への道標だ。そうだろう?女神を信仰する者達よ!」
アデルがアイリスの手を握って会場の者達を見渡しながら言うと、女神信教徒の貴族達から歓声と拍手が湧き起こった。
会場の主導権が、完全にアデルへと変わっている。
アイリスに向かって微笑みながら手の甲にキスを落としたアデルに、アイリスは何も言えずに戸惑いながらも小さく会釈した。
「(腕輪が作れる……?一体どういうことだ?)」
混乱する中、アデルとアイリスを見つめるブレイドと、険しい表情を浮かべるゼイン。
そんな二人に向かって、ドレイクは静かに言った。
「良かったな。俺が女神信教徒と繋がりがあって」
「「!」」
「俺の演技も多少は帝国の役に立っただろ?」
ドレイクはそう言って ククッと笑った。




