断章 岩窟無用語り⑦
郭子儀って唐代の武将を知っているかい?
安禄山をやっつけた男で、玄宗以下四代の皇帝に仕えた。一時宦官に疎まれ不遇な時期もあったが、代宗のころにも吐蕃の侵攻を防ぎ、唐朝を二度も救った。彼は長命で子宝に恵まれ、一族は末代まで栄えたという。
本朝でも瑞祥画として彼の姿は見られるよ。優しそうなじいさんの周りにたくさんの家族って絵でさ。
なぁ。影響力のあるじいさんがいて子沢山とありゃあ、そりゃ一族は安泰だろうよ。
この小山家の人間もね。七十過ぎまで生きた初代政光も十分長寿の部類だけど、妻の寒川尼は輪をかけて長生きでさ。九十を過ぎてもピンピンしてた。その血を引いたのか、息子たちも皆八十前後まで生きて、末子の朝光なんて死んだの八十七歳だよ。仕えた将軍家は四代。引退したあと、宝治元年(一二四七)、親友だった義村の一族三浦氏が討伐されたって聞いて、鎌倉に駆け付けてさ。
「もっと早くに知っていれば、私が何とかしましたものを」って泣いて悔やんだって、幕府の記録にある。当年八十歳ってさ。
年を取ったとはいえ、頼朝公挙兵の際の功臣が目を光らせている。誰だって子どもたちを蔑ろにできないよな。
それと、小山・長沼・結城の三氏族は互いに仲が良くて、それを形にしたみたいに子どもの名に「犬」をつける。連帯感を強めるってやつ?
あぁ、犬の一字をつけるようになったのは、朝政の孫あたりが始まりかな。
寒川の尼がそうさせたんだろうよ。
夫はあまり望んでいなかったようだけれど、何たって長生きした者の勝ちだよ。
尼も従順そうでいて、結局は自分の思う通りにしてしまう力があったからな。
まぁ、とにかく仲の良い夫婦だったというね。
夫婦ってのは扇の要のようなものでさ。
こんな連理比翼な両親に育てられた三兄弟の結束ってすっごく強くって、だから幕府のなかでお互いを引き立て合ったんだろうし、その幕府が倒れたあとも、家は続いた。
ただ、時代ってのは悲しいもんだよな。どんなに仲のよい兄弟でもさ、数代先の子孫となれば、敵味方に分かれることになるよな。奥州藤原氏と下野小山氏が戦うことになったのがいい例だろ。
でも、その逆もあるってことで。
公方襲撃に失敗した若犬丸は古河から田村荘に戻ったあと、覚悟を決めて、新田の旗下に投じるんだ。新田と小山っていえばさぁ、先代、先々代が南北朝の動乱期、敵味方に別れて争ったこともあったさ。けど、そのことで帰服した若犬丸が戸惑うことはなかったね。天下無双の兵を得たことで、新田の殿様は大喜びさ。
だいたい、宮方なんてのは敗者の寄せ集めばかりだもの。
裏切り、寝返りは大歓迎。
手勢が増えれば、それに越したことはない。
節操は無用さ。
一方で生きづらくなれば、もう一方に与すればいい。六十年続いた対立の極きまり事だもの。




