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夢幻犬鏡 ※整備中  作者: 奥瀬
第八章 若犬丸の乱④ 奥州合戦、つけたり若犬丸の最期
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第八章 全文

 若犬丸の軍勢によって蹂躙された利根川の中州。

 彼らが残した舟の一つを使い、対岸から従軍の医師(くすし)を乗せ、運んだ。

 だが、医師が到着したころには、もう花萩は冷たくなり始めていた。

「殿、もう良いのです。花萩は逝きます」

 主君の寵姫はうっすらと目を開け、乞うように言った。


「殿のお手を煩わせたくありません。舟に乗せて川に流してください」

 周囲から家臣らのすすり泣きの声が聞こえた。これまで花萩を疎ましく思っていた彼らであっても、女の主を思う気持ち、そして勇気を見せつけられたのだ。

「許さぬ。お前まで私のもとを去ろうというのか」


 愛する者に先立たれる、引き離される。

 氏満もまた狐女と同じような星のもとに生まれていたのか。

 花萩を抱きかかえたまま離そうとしなかった。

 見かねた近習が、

「このままでは花萩どのが浮かばれません。執着心は成仏の妨げになります」

 成仏。 

 すでに花萩を死ぬものとする家臣を、氏満は睨んだ。

 だが、

「殿、お許しを」

 花萩は、そう言い残して目を閉じた。

 医師が脈をとろうとして、首を横に振った。

 氏満は愛人の骸にすがりついて泣く。

 やがて家臣らに宥められ、氏満は花萩の遺言どおり、遺体を舟の底に横たえた。

 武者の一人が、保呂を脱ぎ、女の体にかける。

 別の一人が、狼藉を免れた野の花を集め、手向ける。

 花萩を乗せた舟はゆっくりと岸を離れた。

 ――生きていたころに、もっとやさしくできなかったものか。

 男たちは後悔とともに舟を見送った。


 舟は川を下り、やがて静かに岸辺へと泊まる。

 ごとり。

 狐女ははっとして目を開いた。

 ――私、まだ生きている?

 そろそろと体を起こす。

 すでに血は止まり、傷口も塞がりかけていた。

 と、左胸に激痛が走る。

 ――いっ()ぁい。もうっ、若犬丸ってば、本気で斬るんだもん。

 恨み言の一つでも言いたくなる。

 だが、この痛みは生きていることの証しだ。

 ――何だろうね。

 これで、生き返ったのは二度目だ。

 ――私にはまだ、やり残したことがあるとでも云うのかしら。

 自分には生への執着はないと思っていたが。

 狐女は血に汚れた水干を脱ぎ捨て、保呂を頭から被り、歩き出した。

 ――とにかく、妖力を取り戻さないと。

 陽の気。

 もう、浮気の何のではない。気持ちの上で、氏満とは切れた。

 一緒にいた年月を考えれば、もう『花萩』のままではいられなかったから、良い別れ方をしたとすら思う。

 ただ、そんな自分自身へ、

 ――本当に? 未練はない?

 問いかけてみるが、

――まぁね、未練がでたら、そのときは・・・・・・

 再び遊女に戻って、ほとぼりが冷めたころ『死んだ最愛の恋人に瓜二つの女』として氏満を慰める、なんて役もいい。

 恋人を悲しみのどん底に落としておきながら、図々しいことを考える。

 ――さぁて、久しぶりにお腹いっぱいにするか。  

 小径を探して寝転がっていれば、獲物の方から寄ってくるだろう。

 こくんと、思わず喉が鳴った。


 人々の目が古河・小山に集中していたころ、新田義隆は、田村荘に隣接する宇津(うつ)(みね)の山城へ籠もった。かつて田村氏の勢力下にあり、南奥宮方の旗城でもあった宇津峰城。この城は、文和年間に武家方に接収されたものの、田村氏が北朝へ帰順してからは廃城となっていた。宇津峰・田村間は連携するに程良い距離で、義隆は宇津峰城を本陣に、田村邸を支城とする体勢を整えた。 


 一方、関東の氏満は、同年三月初旬から五月の末にかけて、約三ヶ月間、古河の陣に留まった。小山周辺の若犬丸の探索と関東武士団の召集のためである。さらに下野を中心に敵方の残存勢力の掃討を画した。しかし、やつらはどう潜伏、逃走したものか、芳しい成果は上げられなかった。


 五月二十七日、鎌倉勢は古河を発向する。大軍勢で奥大道を小山、宇都宮と進み、その数を十万騎と称した。これは、氏満が頼朝の奥州征伐に倣ったもので、軍勢の実数は二万騎程度。だが、文治の北進以来の大討伐軍である。その中には、義政に主を討ち取られた宇都宮、小山一門の結城・長沼、若犬丸のかつての盟友小田の軍勢もあった。


 六月一日、鎌倉勢は白河に到着する。

 白川城々主、結城満朝は、南北朝の動乱期、後醍醐天皇の忠臣と呼ばれた結城宗広の曾孫。しかし、奥州宮方の雄として権勢を誇った彼の末裔も、今では公方の完全なる従僕である。

 また白河結城以外にも、南奥からは、当地の武将、大崎、畠山、葦名、そして小山氏庶流の菊田等()が参じた。さらに中奥や出羽の武将とも連携を約して、鎌倉方は奥羽全体で一万騎の動員を可能とした。

 旧宮方勢はこの奥州で、内からも外からも攻められることになったのだ。

 彼らの本陣宇津峰城へは、各拠点から次々に早馬が駆け付け、

「この上は宇津峰に結集し、鎌倉方に総力戦を挑みましょう」と申し出る。

 しかし、新田義隆は、

「せっかく築いた拠点を捨ててはならぬ。各々の城に籠もって味方の援軍を待ち、隙をついて攻撃しようではないか」

 と下知したのだ。


 これより前、新田は若犬丸へ、田村を離れ、二本松城に籠もる宮方の助勢に向かうよう命じていた。

 若犬丸は、田村荘で清包とともに最後まで戦う覚悟であっただけに、複雑な思いで邸を後にした。

 前の晩、若犬丸は清包と水盃を交わした。

「庄司殿には、永らくお世話になりました。ですが、このまま恩返しもできずに別れねばならないなど、無念でなりません」

 田村の家には迷惑をかける一方で終わるのか。

 申し訳なさに苦しげな表情を浮かべる若犬丸へ、清包は笑って言った。

「いいや、若犬殿、あなたのような方と深い縁を結べたことは、我が田村一族の誇りでありましょう」

 それに、

「今さら鎌倉殿に頭を下げるのは、恥」

 ならば意地でも戦うのが、武士の習いであろうと。

「勝負は時の運。さて、どの奥州武将が鎌倉殿に反旗を翻すか。彼らの勇気に期待をかけましょう」

 清包はつとめて明るく言った。

 だが、合わせて三万騎とも言う鎌倉方に、どれほどの勝算があるというのだ。誰もが臆病風に吹かれて日和り、寝返るのは目に見えている。


 かつて宮方として幕府に対抗していた伊達や信夫、南山(南会津)の長沼も、新田の催促に動かなかった。

 二百年前の頼朝公の奥州征伐により、小山一門は当地に多くの所領を得、土着した庶流も多い。しかし、一門の本宗家である若犬丸の存在をもってしても、彼らを立たせることは困難だった。

 五十年前、宮方にあった白河結城氏・南山長沼氏・菊田小山氏、武家方にあった一門本宗家の下野小山氏、たった五十年で全てが逆転している。いったい何の皮肉だろう。

 いや、現政権におさまることを(よし)としなかった者たちが、宮方へ身を投じるのが習いならば、歴史の必然か。

 新田のもとへ参じたのは、旧来の部将で僻地に潜伏していた大館(おおだて)桃井(もものい)くらいであった。

 若犬丸は、

 ――あのとき、氏満をこの手で仕留めることができたのなら。

 古河での合戦を悔やんでも悔やみ切れず、じっとその手を見た。

「若犬殿らしくもありませんね。武将たる者、くよくよすべきではありません」

 清包の口ぶりが、昔の、子どもだったころの舎兄めいたものに戻る。

 若犬丸はふっと和んだ。

 清包もそれに気付いたのか。

「あのころを思い出しますね」

 若犬丸が田村荘に来たばかりの時期をさして言う。

「『あのころ』、私は頑なでした。せっかく庄司殿がやさしく声をかけてくださったのに、それを避けるようなことばかりして」

「そうですね。若犬殿は誰にも心を許さないところがありました。それが、常陸から帰って来て、すっかり丸くなられたような。その成長振りには驚かされましたよ。かわいい子には旅させよ、とはこのことかと思ったものです」

 若犬丸は下野や常陸での転戦中、多くのことを学んだ。


 分けても、筑波での直高たちとの日々は格別だった。何をするでもなく、人のやさしさに甘えるばかりだったが、人は人に甘えることも必要なのだ。自分が与えられたものを、いずれ誰かに返すために。

「つまり、それまでの私は無知な子ども、だったということですね」

 と、自戒する。

 清包が目を細める。

「このように立派になられて」

 彼の視線に若犬丸は照れた。

 未だ、童形。

 この部分の頑なさだけは変わらない。

 それを清包は諒とするようにうなずきながら、

「私はここで、戦って戦って、戦い抜きます。我らのしぶとさは聞き及んでいるでしょう」

 南奥で、武家方相手に最後まで戦った田村氏の意地。

「その間に、若犬殿は宮方余党を糾合し、我らを救いに来てください」

 どれほどの可能性が残されているかわからぬ、賭。

 だが、清包には、そう言って微笑む他なかった。


 若犬丸の向かった二本松城は、田村荘の北、人の足で一日ほどの距離である。

 城主畠山氏が、奥州管領と呼ばれていた時代、街道に沿って築いた官衙から発達した。低い丘陵の上に建つ平城で、防御性の乏しさから宮方勢が目を付け、畠山氏から強奪したのだ。後背は湯川が流れ、切岸となっている。


 防御の問題は大手にあったため、鎌倉方の攻撃に備えて周囲に土塁を築き、堀を巡らせた。

 西を望めば安達(あだ)太良(たら)山がそびえている。

 若犬丸は、昔語りに聞いた先祖、小山三兄弟も奥州を北上した際、反対側からこの山を望んだのかと感慨に耽った。

 もっとも、何の因果か。

 奥州藤原氏に対する三兄弟、足利氏満に対する若犬丸。

 二百年前の合戦とは、攻守の立場が逆転した。

 頼朝公の大軍に攻められた主将泰衡は、飛び石のように散らばる拠点を北へ北へと逃げ、最後、家臣に裏切られる。彼が一つ処へ軍勢を集結させることができなかったは、奥州は広大に過ぎ、その全土が必ずしも泰衡の支配下になかったのだと、今なら理解できる。

――ただでさえ数に劣る味方を、さらに分散させるなど、愚策中の愚策だと思っていたが・・・・・・

 奥州は頼朝の支配地となり、彼は武家の棟梁として君臨するに至る。

 奥州征伐の理由、義経隠匿の件など、口実に過ぎなかった。

 それが二百年後の今代(いま)、全く同じような再現がなされる。

 若犬丸は口実。

 奥州の反幕府・反鎌倉府勢力を根絶すべく。


 若犬丸は、自分の名によって関東の分国とされた奥州のために、己れだけの安寧を捨てた。

 まゆると子どもたち。

 その存在をもってして、なお。


 宿命を背負った身で、妻子を得たこと、それすらも過ちのように思える。

 自分が、妻の夫、子どもらの父でなければ、彼らにこそ安寧があっただろうに。

 だが、それを今、悔やんだとて遅すぎた。

 若犬丸は己れの苦悩を必死に押し殺し、合戦に向け闘志を高めた。

 この二本松城には、一井(いちのい)右京(うきょうの)(すけ)という若者がいた。

 新田氏の庶流堀口氏の、さらに庶流にあたる。

 若犬丸がこの城に入るまで、ただ一人で将としてあたっていた。

 挨拶を済ませた後、軍議とも雑談ともいえぬ面談で、彼の顔を改めて見る。


 緊張のためか表情が硬い。二十歳を過ぎたばかりで、一兵卒としてはともかく、軍将としての実戦は初めてだという。

「四郎殿が来てくださって、本当に良かった。私一人では心許なくて」

 小山家家督の通称、四郎。年下の一井は若犬丸を幼名で呼ぶことを憚った。

「武将らしからぬことを言われるな。右京亮の肩書きが泣くぞ」

 気弱げな青年へ、若犬丸は軽く叱るような励まし方をした。

「私なぞ無位無官だのに」

 右京亮という役職は京の治安を司る役所の次官であるが、現在は形骸化して儀仗職となった。もちろん奥州宮方としての僭称だ。京や鎌倉の人間が聞けば笑止であろうが。

「部下の士気に関わる。将として皆の上に立つのであれば、嘘でも良いから胸を張って威勢を見せろ」

 若犬丸は彼の胸を拳で叩いた。一井は、少しむせ返り、

「四郎殿はいいですよ。本当にお強いから。強がる必要もないでしょう」

「私が強いだって?」

 若犬丸は大げさに驚いてみせた。

「聞いて驚くな。私は合戦でたった一度しか勝ったことがないのだぞ」

「本当ですか?」

「本当だとも」

 二度の祇園城の奪還は勝利のうちに入るまい。昨年の阿武隈川戦も痛み分けで、勝ったと呼べるのは木戸氏との古枝戦くらいだ。

「全戦全勝と思いきや、意外ですね。だけど、それだけ負けていながら生き延びてるのって、別の意味ですごいですよ」

「言うな。嫌味か?」

「違いますよ! 不撓不屈の闘志で尊敬できるって意味です」

 二人の武将は顔を見合わせて笑った。

 その他の城の者たちとも、若犬丸はすぐに打ち解けた。

『人間が丸くなりました。成長しましたね』

 清包の言葉が思い出された。

 若犬丸の為人を慕って、彼の周囲は新しい面々で埋まっていく。

 しかし、そうともなれば以前からの家臣、小山党の里田のような者は面白くない。

「新参者が、頭が高い」

 口に出してこそ言わないが、態度に表れていた。

「真の主従は我らなのに」

 まるで若犬丸の取り合いである。

 若犬丸も古参の小山党に気を遣い、彼らへの慰撫の意味もあり、今度の戦闘にはこれまでの胴丸に換え、大鎧に改めると言い出した。

 古参らは色めきたった。

 その鎧こそは、小山家重代の大鎧、八大龍王肩白赤糸威し。

 なぜ氏満の手にあった鎧が彼のもとへ帰したか。それは、兵次のお手柄である。

 先の利根川での合戦中、兵次は隠れていた草むらの中で、古色蒼然とした鎧櫃を見つけた。担いでいた従者は戦闘に参加しているのか姿が見えない。櫃の(かたち)に見覚えのあった兵次が中身を確かめると、果たして小山家代々の大鎧。

 これは拾い物だとばかりに、丈草に隠れながらずるずると引きずって舟に積み込んだのだ。

 氏満を討ち漏らした先の合戦にあって、数少ない戦利品。しかも、小山氏家督のかけがえのない宝物(ほうぶつ)である。

「でかしたぞ、兵次」

「よくやったぞ、兵次」

 皆に褒められ、兵次は鼻高々となる。

 鎧は使用を予定されていたのか十分に修繕が施されていた。

「鎌倉殿は、まさかご自分で着用しようとでも思っていたのか」

「いや、さすがにそこまではしないでしょう。ただ武将のどなたかに与えるつもりで」

 際どいところで取り返すことができたと。

 氏満の思惑も知らず、安堵する小山の人々。

 鎧の装着には、里田や兵次が手伝った。

 家格を誇示するため大振りに作られた鎧であったが、若犬丸の体に誂えたようにぴったりである。

「本当に立派に成長なされて・・・・・・」

 十年前、祇園城で再会したころは、中背で細身の少年だった主がと、里田は感無量である。

 若犬丸は甲冑をまとった己れを、重代の家臣の前に披露した。小山党の彼らもまた、里田と同様、主の勇姿に心奪われ、ざわめき、涙を流す者もいた。


「私はいついかなるときでも、小山宗家の家督だ。お前たちには故郷を捨てさせてしまって申し訳ないと思っている。だが、必ず、この礼はお前たちに返す。それまでしっかり私に付いてきてほしい」

 若犬丸は決然と宣言した。

 故郷を取り戻すためには、数多くの軍勢が必要となる。さまざまな人間が味方として入ってくるが、彼らとも上手くやってくれと言い含めた。

 目の前の現実と彼らの望むものを織り合わせながら、郎等たちを一つにまとめる――そんな主の姿に、

「随分と、大将らしくなられましたね」

 里田がつぶやく。

 家臣への披露のあと、若犬丸は奥の間で甲冑を脱ぐ手伝いをさせていた。

 脱いだ兜を兵次に預けると、首を回し、大袖を外した肩を揉む。

「あぁ、疲れる。私は兜が合わぬ体質なのかな」

「体質って・・・・・・ 合戦中でも兜は常にかぶっているものではありません。敵味方へ威光を示す場面(とき)くらいです」

「わかっている。だが、それに比べて大鎧は意外と軽いな。胴丸と大差ない。ただ足捌きに難がある。草摺りに切れ目を入れて、丈を落とす訳にはいかないか」

 鎧を揺すり上げながら、自信ありげな若犬丸の笑み。

 これを聞いて里田は、

「重代の鎧ですよ。まさか、殿、大鎧を着て太刀を振り回そうなんて思ってないでしょうね」

 若犬丸は笑って答えない。

「大鎧を着れば、もう一兵卒のような真似はやめてくださると思っていたのに」

 里田は嘆く。

 兵次もまた、「大鎧の立ち回りって、この人、化け物ですか?」とでも言いたげな視線。

 成長したと見せて、若犬丸の暴れん坊振りは相変わらずであった。


 若犬丸の豪勢に誰が言い出したか、人は彼を『悪四郎殿』と呼び習わした。

 おそらくは一井あたりから。

「上手いものだな」

 里田が言った。『新参者』の相手であるが、成熟した主が幼名のままで呼ばれるのは落ち着かず、かといって自分たちのように「殿」と気安く呼んでほしくはない。

 『悪』には単にわるいもの、邪なものを指すだけではなく、大勢にまつろわぬ、際だった能力を持つ、の意味がある。若犬丸には然るべき二つ名である。

 小山党の古参はそう評価して、受け容れた。

 この呼び名のおかげで若犬丸の新旧の勢力はぐっと近付いた。

「悪四郎殿の大鎧の威し糸は、もとは白糸だった聞きます。あのように赤くなったのは、敵の返り血を浴びたからだそうですが、本当なのですか」

 確かに氏満を襲撃したときの胴丸は卯の花(白)だったが。

「あぁ、本当さ。我の殿は千万の敵の血を浴びているからな」

「さすが悪四郎殿ですね!」

 白地に血の色が染まっても褐色(かっしょく)にしかならない。そもそも鎧と胴丸の違いがある。だが、互いに承知で言い合っているのである。


 さて、残る奥州宮方勢は、宇津峰城に大将新田以下、三千騎余りの固め。田村邸に庄司清包を将として千騎、赤館城に新田累代の家臣、大館弥三郎の千騎、その他大小併せて計七つの城に立て篭もる。

 各城では堀を深め塀を高め、合戦に備える。敷地の隅に櫓を築き、射手を潜ませ、山城では塀の裏に大木大石を仕込む。それぞれ、戦さの準備に余すところはない。

 ただ決戦を前にして、新田は突如布陣をかえた。白川城に最も近い赤館の台城を助勢するよう、田村清包を指名したのである。幸い、田村・赤館間に鎌倉の勢力は及んでいない。

「田村は桃井に守らせる。敵の主軍は宇津峰に送られるだろう」

 鎌倉勢をこちらに引きつける間に、白河をねらい澄ませ、と痛む腰に顔をしかめながら言う。

 桃井は新田の腹心の武将であるが。

――相州殿は策を弄しすぎるな。

 清包は思いつつ、新田の言に従った。

――私にも、それなりの策がある。


 一方の鎌倉勢。

 本陣の白川城にて。

 氏満は、大将として上杉憲方の息、憲定を筆頭に一万の軍勢を宇津峰へ送ると、他の城へも数千の兵を振り分けた。恭順を示す奥州内の武将についても、会津から蘆名氏の手勢千騎を二本松へ向かわせるなど、内外の武将に進軍を開始させた。

 斯くして各々の城を、寄せ手が城方の数倍の規模で取り囲む状況となる。

 氏満は白河に控え、未だ三千騎の兵力を温存し、形勢を見て必要な場所に兵力を配分すべく各地を睥睨した。


 六月七日卯の刻、鎌倉方はかねての打合せ通り、七城への攻撃を一斉に開始した。

 二本松では、攻守両軍、怒号と喊声が湧き上る。塀上を射違う矢が互いの頭上へ驟雨のように降り注いだ。

 鎌倉勢は、日夜息もつかせぬ攻撃を仕かけた。だが、三日を経ても未だ城壁の一枚も破ることができず、前線から怪我人や死者が次々と運び出される。

 将兵らの顔にじりじりと焦りの色が濃くなる。

 戦術を転換する必要があると、武将たちは攻撃の手を弛めた。

 陣屋を建て、帷幕を巡らし、長期戦の構えを見せる。城の周りに逆茂木を立て、一兵たりとも逃すまいと厳重な包囲網を敷く。

 寄せ手の戦術の変化に、若犬丸は一井に言った。

「遅かれ早かれ兵糧は尽きる。救援の頼みもないのに、いつまで城に籠もっていられるかな。飢えて衰弱する前に、城外に出てみないか」

 ろくに戦いもせず自害するよりは、

「形勢も変わるかもしれない。日和る奥州の武将をこちらに転ばせようとすれば、それなりの状況を作らねばならぬ。思い切って、勝負に出てみるのも面白い、だろ?」

 百戦錬磨の若犬丸の一言一言に、緊張していた一井の頬に少しずつ赤味がさす。

「おっしゃるとおりです。身命を惜しむより、城外に討って出て、運を天に任せてみますか」

 無理に笑顔をつくって見せようとする。その表情(かお)の中に若犬丸への深い信頼が見て取れた。

 だから、良心が咎める。

 この城を捨てるつもりであったから。

 若犬丸は、二本松で死ぬ気はなかった。

 ――やはり兵力を分散させるなど、愚か者の策だ。

 一井には、騙しているようで気が引けるが、議論する間はなかった。敵が増えることはあっても減ることはないのだ。

 死戦を覚悟するのであれば、新田のいる宇津峯ではなく、世話になった田村へ。

 このときの彼に、清包が田村を離れていたとは知る由もない。


 六月十三日、城内の将兵らは老若貴賤を問わず水杯を交わした。

 決戦へ。

 若犬丸は重代の大鎧、八大竜王を具す。

 肩白赤糸威しの下には真っ青な鎧直垂をまとっていた。

 兵次らがあまり見ない、目が覚めるような色合わせである。

 その鮮烈さに、思わず、

「殿、服の趣味、変わりました?」

 主の好みは(すが)しくも落ち着いた色味のものが多かったが、

「直垂の青は、水干の青とそれほど変わらないのだが」

 鎧の紅白と重なると、同じ青でも別の色のように見える。

 この機会に水干もやめた。もう細身を隠す必要がなくなったからだ。

 頭髪は相変わらずの裸の束ね髪、兜は従者に預けた。

「いざとなれば、かぶるさ」

 そばに付き添う里田に言うが、

「殿の『いざ』っていったいいつのことでしょう」

 主の胸のうちはとうに知り得て、

「甲冑一揃えで、八大龍王の意匠となりますものを」

 里田の苦言を若犬丸は聞き流し、胴の染革をなでた。

 格子模様の各枠には番いの龍。

 長く尾を引き互いを求める姿は、後に小山家の家紋となった二つ巴の由来だろうか。

 大袖も付ける気はなく。

 用意させた馬は奥州産の黒毛で七寸()の大馬である。

 若犬丸は黒馬にまたがると、副将たる一井をそばに呼び、

「自分の城を自分で攻める因果な人間など、私くらいのものだと思っていたが」

 と、軽口を叩く。

 寄せ手の中心は、当城の城主畠山氏と縁戚の葦名氏であるが、彼の緊張をほぐすためである。

「今日の得物はそれですか?」

 若犬丸が右脇に抱える鉄撮(かなさい)(ぼう)を見て、一井が訊く。

 九尺の樫材は八角に削らせて筋金を打ち、無数の鋲を植え付けたものである。

「まさに鬼に金棒ですよね」

 兵次が誰もが思ったことを口にした。

「常陸の恩人に教わったことさ」

 長道具を馬上で使うということ。この戦いが初めてだが、試してみる価値はある。

 ――五郎殿、ご覧下さい。

 そう念じて、大手の城戸を開けさせた。


 辰の刻(午前八時)、城方の五百騎が一斉に飛び出し、敵陣に突き進む。先駆けはもちろん若犬丸だ。

 寄せ手の前陣一千余騎の直中(ただなか)へ、名乗りもせず駆け入る。

 城中からの突撃など予想だにしなかった鎌倉方は、一瞬ひるんだものの、すぐに多勢を恃み、四方から馳せ集まる。

「名を上げよ!」

「討ち取れ、討ち取れっ、残らず討ち取れ!」

 人々が押し寄せ、あっという間もなく混戦となる。

 若犬丸は右手に持った撮棒を振るい、騎馬武者を馬上から突き落とし、徒歩武者を叩きのめした。

 ――なるほど、太刀より、よほど馬上向きだ。

 若犬丸は得心する。

 もっとも、小田直高が彼に授けようとしたのは槍の技である。だが、槍は相手の体に突き刺して肉に噛まれると、抜けずに手間を取る。直高は斬りつける技と組み合わせていたが、それでも家来に替えの槍を持たせていた。従者に恵まれていればこそできることだが、一人でも多く兵に使いたい若犬丸は、同じ長道具でも棒術を選んだ。

 常陸没落後、田村で膂力を鍛え、剛力をして相手を打ちのめす技を磨いていた。

 目の前の相手の額を兜ごと打ち割る。

 刃物とは違い、(かね)越しにでも衝撃が脳天に突き抜ける。

 振り払って、敵の手足の骨を小具足ごしに折る。

 これも同様である。

 派手に出血はさせぬが、敵の戦闘能力を奪うことしきり。

 若犬丸は撮棒一つで敵兵を追い散らした。

 鎌倉勢は先陣の不甲斐なさに第二陣を投入した。

 七百騎。

 しかし、若犬丸の奮闘を見ていた彼らは戦う前に戦意を喪失していた。馬にでも当てられたら大損とばかり、中を開いて通す。

 若犬丸に蹂躙されるがままである。

 彼らの中にも、勇者はいたが、

「小山若犬殿! ご勝負あれ」

 黒糸威しの鎧武者が、白毛の名馬で駆け付けた。

 若犬丸がすばやく突きだした撮棒を鞍上でかわし、棒の先をぐっと掴む。

 それを取り戻そうとする若犬丸。

 互いに押す、引くをくり返すが、撮棒に執着する黒武者へ、若犬丸はさっと手を離した。腰の太刀を素早く引き抜くと、切っ先を相手の顔へ突き入れる。

 馬上から落ちかける武者から左手で撮棒を奪い、右手で太刀を腰の鞘に収める。

 その間、両脚でのみ黒馬を制御する。

 彼の背後で、どぉっと音が立つ。

 周囲から敵が消え、若犬丸はほっと息をつき、辺りを見回した。

 戦場では大将に負けじと宮方勢が駆けめぐっていた。小山の一隊は敵兵を追いたて、次々に射倒し、斬り倒している。しかし、怒濤のように攻め寄せる敵に、脱出の機会は現れない。

 兜を預かる兵次は、どうにか若犬丸の馬の尻に付いているが。

 戦場を見渡そうと斜面に馬の脚をかけ、新田党は、と目を凝らす。

――一井は思ったより使えるな。

 遠目で彼の姿を見とめる。武者埃の中心で、なかなかの働きである。感心しつつ、それから戦場全体を見渡す。そんな彼の姿を、遠くから見守る者がいた。

 若犬丸の郎党、里田である。彼もまた戦いの渦中にあって戦場を見渡していたところ、同じ挙措を為す主に気付いた。

――私は兵であり、将でもあるのだ。

 少年だったころ主が口にした言葉。

 当時は聞き流していた里田だったが、今、考えを改める。

 若犬丸はこの戦場で兵として働きながら、将としての己れの務めを忘れていなかった。各部隊に目を配りながら采配を振るい、今また、動きのわるい一隊を見つけると、使いを遣って兵を効率よく動かす。

 彼は思い出さねばならなかった。

 祇園城没落の際、言外に交わされた主従の約束。

『将としての成長を――』

 戦士(もののふ)を名乗りながら、華奢でまだ背も高くなく、簡単に敵兵に組み伏せられていた主。そのくせ決して己れを曲げることなく、意志強い目で自分を見返していた主。

 未熟で頑なな――

 だが、主は、自分と離れていた間に、主従の約束を果たしていたのである。

 かつて、若犬丸の無手法に頭を痛めた里田も、

 ――こういった将の在り方も許されるか・・・・・・

 己れこそ、小山党の影の采配者と自負していた彼であったが、

「私も負けてはいられぬ」

 鞭を振り、自身も一兵となって戦いに身を投じた。


 臣の機動に同調したかのように、若犬丸も再び乱戦の中に身を置く。

 新手を順次送り出す敵軍の波状攻撃に、味方の疲労の色は濃い。

 だが、好機は訪れる。

 敵将蘆名が兵を投入する時期を見極めると、入れ替えの一瞬の隙を突いて敵陣の腹に穴を開けた。

 兵次が合図の鉦を鳴らす。

 己れは殿軍(しんがり)の覚悟であったが、味方を引き連れての落行となった。

 ――一人でも多く、田村へ連れていく!

 それは当初からの目論見であった。

 馬に必死で鞭あて、追っ手を振り切ろうとする。

 そのとき後方から、

「恥ある者は一戦交えよ」

 追っ手が叫んだ。

 けれど、ここで振り返ってはならなかった。

 名を惜しんでは家臣らの命を無駄にする。

 無駄死にこそ、若犬丸が怖れるものであった。

 しかし、彼の一団から取って返す者がいた。

 里田の率いる小山の郎等だった。

 彼こそ、若犬丸に最も無駄死にを戒めた家臣であったのに。

「だめだっ。引き返すな! ここは落ち延びて、後日再起を図るんだっ」

 そう叫んだが、兜に遮られた彼らの耳に届かなかったのか。

 里田たちは追っ手の波の中に消えた。

 かつて敵兵に囚われた兵次を、二度駆けで救った若犬丸であったが、今は前に向き直る。

「一井殿っ、おられるかっ」

「はいっ」

「兵次はっ」

「はい、ここに」

 己れに付いてきた者は、二百騎ほど。

 人の命を預かることの困難さに打ちひしがれる。

 引き返した者たちは敵陣に突入し、全て討ち死にしたという。

 生かそうとして結局、彼らに生かされた己れであった。


 他の城でも二本松と同様の光景が繰り広げられていた。

 赤館の台城。

 その名の通り台地の上に建った天然の要害で、動乱期、南朝に与した伊達氏の飛び地である。伊達が北朝に下り、白河結城氏の支配地となったあとも、周辺には南朝に心寄せる者が多く、この度の抵抗でも旧宮方の支城となった。

 久慈川を見下ろす山城は、安易に敵を寄せ付けぬが、十重二十重(とえはたえ)に囲まれた敵陣の中にあって、勝機などない。

 助勢も期待できない。

 悲壮感――それを打ち払うかのように、清包はかたわらの大館(おおたち)に言った。

「この城を枕に、討ち死にとなりそうですね」

 大館も各地を転戦してきた歴戦の武将である。彼は口の端に笑みを浮かべながら、

「庄司殿も、我らの大将にうまく丸め込まれたものですな。ご自身の城を離れて、縁のない城に出張われて。どうせ枕にするのであれば、田村のお屋敷の方が馴染みもよかったでしょうに」

 と、死を事も無げに口にする。

「いいえ、私がこの地に越したのは相州殿の言葉に乗せられたからではありません。他に考えがあったからです。同じ死ぬ身ならば、せめて女子どもくらい助けたいと思いましてね」

 家族と主戦力を切り離せば、命乞いもしやすいというものだ。小田城での五郎直高の例もある。

 田村荘の桃井も他人の妻子に自害を勧めることはないだろう。

 敵の軍門に下る屈辱。 

 だが、負けてなお生き延びる方策を自ら捨ててはならぬのだ。

 清包は下野小山氏のことを思った。

「では、我らもいっそ降参を申し出ますか」

「それができればよいのですが」

 武士は名こそ惜しめ。

 その名が生き残った子孫の糧となるのだと。

 若犬丸が名誉を捨て恥を引き受け、清包のもとへ向かおうとしたとも知らず。

 大館は清包にむかって、にやりと笑った。

「妻子など持たぬ私は、最初から思い煩うこともありませんな。ただ先祖の名に恥じぬような死に方をしたいと思っております」 

 子孫のため、先祖のため、それぞれの理由で選んだ答えは、同じだった。

 大館氏は新田の庶流である。本家を命がけで守ろうとの気概か。もっとも南北の動乱期、大館氏も敵味方に入り乱れて戦い、北朝についた一派は今や幕府の顕要である。

 ――損な役回りを背負わされましたな。  

 新田の大将義隆を思い出す。

 愚将とまで言いたくないが、他人を巻き込み、周囲を振り回すくせに、己れは(てん)としている。

 最後に会った際の、腰を痛め、寝床からうんうん唸りながら這い出る姿が、目に焼き付いている。

――もう少し器の大きい方であれば働き甲斐もあるのでしょうが。

 失礼な話、腰痛やら痔疾やらという病は、本人の深刻さに比べ、端から見ると滑稽さが漂う。命に別状なく、痛めば痛むほど饒舌に痛がるからだろうか。


 清包の複雑な表情を見て取り、大館は口元を弛めた。  

「御仁の言いたいことは、想像できますよ。しかし、相州殿には身内にしかわからぬ良さ、というものがありましてね。こう言ってはなんですか、放って置けない不器用さというか、かわいらしさというか」

 義隆の祖父、新田義貞からして戦さ上手の世渡り下手であった。忠誠を誓った後醍醐天皇に好きなように使われたあげく、口実をつけて北陸に追いやられ、討ち死にした。

 伯父義興も、延文年中、武蔵守護を兼任していた畠山国清の配下に、多摩川で謀殺されている。それも味方だと油断させられた上、穴の開いた舟に乗せられ、

「おい見ろよ。これが犬死にってやつさ」

 嘲笑を浴びながら泥に沈むという、史上まれに見る屈辱死を遂げた。


 どうもお人好しというか、騙されやすい家系なのだ。

「これもまた相州殿の人徳ですかな。支えて差し上げたい、守って差し上げたいと思わせるような。まぁ、こちらの酔狂もありましょうが。祖父以来の酔狂が」

 大館は冗談めかしているが、そこには(ゆるが)せにできない絆めいたものを、清包は感じた。

 ――しかし、ある意味、大館殿も相州殿に騙されておられる。

 それが命を懸けるほどの存在であるのか。守るべきほどの価値があるのか。

 いや、騙されているのは皆同じだ。   

 あるかなきかも分からぬ権威というものに、我々は踊らされてきた。

 宮方の、武家方の、

 京の、幕府の、鎌倉の、と。

 そして、もっと・・・・・・

 結局、大勢の人間を、長い時間をかけて騙し通せた者が勝者なのだ。

 ――あぁ、そうか。

 清包は気付く。

 自分や若犬丸たちが、なぜ、万に一つの戦いに挑んだのかを。

 この戦いの真の相手を。


 六月十四日、赤館の城方は、大木大石を落とし尽くし、矢種も残り少なになっていた。

「もう後がありませんね」

「では、華々しくいきましょうか」

 田村・大館の軍勢は、決戦に城外へと討って出た。

 急勾配を駆け下り、三千騎の敵軍へ身を投じる。

 当然、多勢に無勢で勝つ見込みのない戦い。

 散々に追い回し、それでも押し寄せる敵兵を前に、清包は大館の顔を見た。

「そろそろ自害と致しましょうか」

 ともに死を覚悟して戦ってきた仲間。

 だが、大館は意外なことを言った。

「どうせ死ぬなら、白河まで出張って、鎌倉殿と差し違えようではありませんか」

 と、不敵に笑う。

「白河まで?」

 この赤館でさえ死戦を覚悟しているに、包囲網を突破して、さらに本陣まで攻めるというのだ。

 しかも公方殿と差し違えるだと?

「貴殿がかほど壮大なことを考える御仁だとは」

 唖然としながら言う。  

「いやですか、いやなら私一人で行きますぞ」

「公方殿の襲撃には若犬殿ですら失敗していますが」

「小山殿が失敗したとて、我らが成功しないとは限りません。それとも、私が伴連れの相手では不足かな。さっ、いかが致す」

 大館は田村の目を見た。

「・・・・・・どうせ、死ぬ間の一騒動(さわぎ)。最後までご一緒致しましょう」

 敗残の士卒は三百騎ほど。

 これだけで敵陣を突破できれば奇跡だ。

 けれど、決意は揺るがず。

 彼らを束ねると紡錘型に陣を整えた。そして清包らは敵陣の横っ腹を錐のように突き破ることに成功した。

 奇跡。

 しかし、敵もむざむざ相手が逃走するのを黙って眺めているはずはなかった。すぐに陣形を立て直し、田村大館勢の背後を脅かした。

 白河を目指すと言った大館は、自ら後陣に下がり、矢を射っての防戦、殿軍(しんがり)を務めた。

 二度目の奇跡。

 赤館で疲弊しきったはずの宮方勢は激走の末、追いすがる敵を振り切り、白河にたどり着いたのだ。

 氏満の手元で温存されていた三千の兵は、彼らを見て色めき立った。大将の命令も待たず、名を上げようと打って出た。涎を垂らさんばかりに獲物に向かう、肉食獣のそれである。

 田村と大館は顔を見合わせた。

 彼らの瞳にあったのは恐怖であったか。

 否、互いに笑みを浮かべると、

「鎌倉殿の御前とあらば、死に場所として申し分ない」

 轡を並べて敵陣の中へ突入した。縦横無尽に駆けめぐり、敵を翻弄する。隙あらば氏満の本陣を襲おうとした。

 向かう敵は壮健なる三千の兵。

 味方の兵は一騎二騎と削り取られるように失われていった。

 そんな死闘のなかで、三度目の奇跡が起こる。

 田村、大館は鎌倉方の肉の壁を突破し、白川城の大手にまでたどり着いたのだ。

 けれど、奇跡はそこまでだった。

 気付けば、たった二人となっていた。頑丈な城戸に阻まれ、門前の兵こそ射殺したものの、それが最後の一矢。

 背後を、敵兵に囲まれていた。

 突然、大館の馬が泡を吹いて倒れた。落馬した大館に向かって敵兵の一人が襲いかかる。清包は鞍を蹴って、兵の背中へ斬りつけた。地面に転がる大館をかばうようにして、太刀を振り回すと、二人を囲んでいた鎌倉勢はひるみ、一歩退く。

 二人はぐるりを見渡した。

 敵兵は、黒山となって彼らを取り囲んでいた。

「我ら二人に何千の兵が相手となった」

 清包に手を貸されて起き上がった大館が、呆れたように言った。

 衆兵がかざす太刀のきらめきが、一面のさざ波をつくっている。

 その眺めはむしろ爽快ですらある。

 二人はもう一度大手の門を振り返った。

「ここまで来れば悔いはないでしょう」

「おぬしも、よくぞ私の酔狂につき合ってくれましたな」

「鎌倉殿を自ら弑逆するなど、酔狂もいいところです。若犬殿に負けぬほどの。冥土の土産にこれ以上のものはありませんよ」

 二人の男は明るく笑い合うと、互いに刃を交わし、差し違えて死んだ。


 二本松城、台城の陥落。この二城を攻略した軍兵は残る五城へ再編され、宮方連合にとって戦況はますます厳しいものとなった。昼夜分かたず攻撃をかける鎌倉勢に、各城は持ちこたえられず、城に火をつけ自害する者、投降する者、没落する者、それぞれに悲劇的な結末を迎える。

 その中にあって田村の庄司邸では、桃井が決死の覚悟で城戸を開いた。宇津峰の新田義隆に合流するためである。

 本来なら敵の手に落ちてはならぬ宇津峰の支城。邸に火をかけてしかるべきだったが、清包の想像通り、桃井はためらい、女子どもを置き去りにして城を出た。

 桃井勢は敵の囲みを突破した。

 宇津峰には敵が幾重にも城を包囲していたが、味方の振りをしてまんまと潜り込み、大手近くで名乗りを上げ、城内に入った。

 ――どうせ死ぬなら主のおそばで。

 桃井も酔狂者の一人であった。

 彼の祖父直常は足利氏の庶流にあって、尊氏・直義兄弟の内訌で直義方に与した。血で血を洗う擾乱の平定後、彼は尊氏に従ったものの、直義の不審死をきっかけに南朝へ降じた。一時、二代将軍義詮と和解し、幕府に出仕するが、一門の斯波氏との確執により京を去る。以降、桃井一族は新田を頼り、彼とその末裔を武家の棟梁と定め、反幕府勢力の一翼となった。

 上越や出羽に潜伏、ときには挙兵し、幾十年を経たか。ついに彼らはこの奥州の地で最期を迎えるのだ。

 その覚悟に。

「おぉ、よく来た。桃井」

 忠臣の帰還に、新田義隆は喜んだ。「これから自害しようと思っていたのだ」

 だが、主君はその後に意外な言葉を続けた。

「私が自害をしたら、その首級を敵将に差し出すのだ。そして、お前たちは降伏を申し出よ。鎌倉殿も私の首さえ渡せば、そう無体なことはしないだろう」

 己れの命と引き替えに家臣らを助けようというのである。

 周囲の者たちは慌てた。  

 義隆の部下への憐憫(れんびん)は理解できる。ありがたい。

 だが、これから皆で自決しようというときに、何も。

「主を犠牲にして、おめおめと生きよと(おっしゃ)るのですか」

「ともに死ぬのをお許し頂けないのですか」

 桃井たちは主に詰め寄った。

 正直、死は恐ろしい。だが、恥を曝して生きるのはもっと恐ろしい。

「相州殿こそ、生き延びてください。時を待って、再び義兵を起こすのです」

「いや、ならぬ。そなたらこそ生きよ」

「いいえ、殿こそ」  

 この期に及んで、在世の押し付け合いである。

 ――このままでは収拾がつかない。

 桃井は決断した。

「殿、私が殿の身代わりとなって、敵を欺きましょう。そして敵が油断している()に郎等らとお逃げ下さい」

 主君と士卒双方を助けるための方便だった。  

「だが、敵を謀るなど・・・・・・」  

 渋る主に、

「我らはこれまで散々敵に謀れてきました。一度くらいの方便など、どうということもありますまい」

「桃井・・・・・・」 

 なおも思い切れぬ主に、 

「三途の川でお待ち申し上げますよ」

 素早く立ち上がると、主君が止めるのも聞かず座を離れた。  

 背中にすすり泣きの声が上がる。それでも、彼は振り向かなかった。   

 桃井は大手門近くの櫓に登り、寄せ手に向かって大声を張り上げた。  

「どこにおわすか、上杉殿! 清和源氏が嫡流、新田相模守義隆、御前(おんまえ)に切腹の作法をお教えしましょうぞ」 

 見上げる敵兵の前で肌脱ぎになると、腹を十字に掻き切り、櫓から飛び降りた。

 相州の首をと、敵兵らが殺到する。 

 同時、搦め手(裏門)では城戸が開かれ、義隆と息子らは士卒に紛れ、落ち延びていく。


 ただ一城残された田村荘の邸は、未だ籠城の構えを見せていた。だが、鎌倉勢はこれを相手にしなかった。

 清包の討ち死に、若犬丸の遁走、その上、宇津峰城が陥落し、裸も同然だった。

 白川城の氏満は、すでに勝利は確定したものとばかり、白河結城や大崎、葦名らに統治を委ねると、六月十九日、奥州を発った。

 以前であれば、数ヶ月を割いてでも当地に残り、若犬丸探索の指揮を執っていたところであるが、気候の異なる奥州にあって体調を崩していたのだ。もとより病弱、また、

 ――もう若くはないということか。

 氏満は自嘲する。

 ただ一つ気がかりがあった。  

 いっこうに足取りが掴めぬ若犬丸のことである。

「まぁ良い。あやつはいずれ兵を挙げる。であれば居場所などすぐ知れよう。それまではどこに隠れていたとて同じことだ」

 若犬丸の行動など全てお見通しだと言わんばかりであった。

 潰しても潰してもなお立ち上がろうとする不屈の男。

 だが、

「この次こそ息の根を止めてやる」

 氏満の瞳が光る。

 鎌倉公方としての体面を汚し、奥州平定を邪魔だてする若犬丸。先には愛人まで殺された。あの男を倒さぬ限り、己れに安寧が訪れることはないのだ。


 同年秋、田村荘前庄司は、下総結城氏を通じて鎌倉との和睦の道を探っていた。同荘の検断識にある白河結城氏を頼らなかったのは、双方の永年の(わだかま)りによる。

 桃井勢の去った邸では、蓄えてあった糧食に多少の余裕ができたものの、勝ち目のない籠城に士気は落ちる一方だった。

 田畑の収穫を結城や葦名に奪われるのを横目に、手も足も出ない。

 ――もはや、これまで。

 年老いた前庄司の決断だった。

 だが、一つ残されたことがある。

 若犬丸の妻子の処遇。

 夫の留守に、まゆるは子どもたちを連れて庄司家を頼った。そして、ともに邸に籠もったものの、城を開けるとなれば、ただでは済むまい。

 ――守ってやらねば。

 しかし、我が事だけで手一杯の中、できることは限られていた。

 弛みきった葦名勢の囲み。

 郎等をつけ、夜陰に乗じて邸を抜けさせた。

 縁の尼寺へ、多少の金品を持たせ。

 別れの挨拶に来たまゆるの姿を思い出す。

 たっぷりとした腰回り。

 ――あれは、子を孕んでいたな。

 もとより頼る者なき身の上の、さらなる困苦を思い、年の離れた異母妹に憐れみを覚える。

 けれど、

 ――それは残された我々も同様だ。

 彼は、まゆるとその子どもたちを思い絶った。


 応永四年(一三九七)正月、若犬丸は会津で挙兵した。

 その報に人々は驚くとともに、数多くの疑問が脳裏に過ぎった。

 なぜ、今?

 なぜ、会津?

 なぜ、勝ち目のない戦を?

 若犬丸は二本松の合戦後、諸城の陥落を知ると、いったん軍を解き、己れは南山の長沼氏庶流を頼って潜伏した。しかし、かつて南朝に与した長沼氏も今や氏満の属臣。関東の惣領は鎌倉府に謹厚し、昨年の暮れには、正月の垸盤を命じられていた。

 垸盤、それは『鎌倉殿』への絶対的忠誠を示す儀式。

 長沼一族の力を頼ることはすでに不可能と知る。

 ――ここにいれば、迷惑をかけるだけだ。

 考えたくもないが、義経と泰衡の例もある。

 若犬丸は、奥州の宮方に号令をかけた。

 彼らは最期の力を振り絞るようにして、若犬丸のもとへ集結した。

 ようやく三百騎を数えるほど。

 ――これで何ほどのことができるか。

 若犬丸は、葦名氏の居城、若松の黒川城を襲撃した。

 残党狩りや旧宮方領の占領・統治のため、手薄となっていた黒川城は容易く落ちた。

 留守にしていた葦名氏もさぞ驚いたことだろう。

 若犬丸の勝利。

 反鎌倉勢力への狼煙。

 だが、奥州の領主らは動かなかった。

 今度こそはと期待していた伊達も。

 ――所詮、私は余所者だったのか。

 もはや自身の復讐のためだけではない。

 鎌倉への反抗は、己れの土地を己れで守ろうとした、清包の思い。

 それを誰かに繋げたかった。

 しかし、土地の者ではない人間が気勢を上げたとて、彼らにとって関わりのないことだったのか。

 余所者―――

 ともに戦うはずだった清包が逝き、田村は鎌倉の軍門に下った。

 里田ら小山党も全滅した。

 若犬丸の居るべき場所は、もうこの世になかった。

 はるか南、小山の地を思い浮かべる。

 故郷にはすでに別の主がいた。

 氏満は、若犬丸に帰る故郷を失わせるため、結城基光の次男泰朝を領主に仕立てたのだ。

 泰朝の母は義政の姉で、若犬丸の従弟にあたる。彼の近親を選んだのは、その血に拠って家臣を統括し、小山家を再興させるためだ。公方に逆らわぬ、鎌倉府の制御しうる大名として。

 戦いに殉じた里田らは、小山に残した仲間たちへ期待をつなぎ、異郷の土となっただろうに。

 若犬丸は、いつかの狐女の言葉を思い出した。

『血に血を重ねて、薄まった龍神の加護を取り戻すのよ』

 ――龍神の加護、というものがこの世にあるとしても、それはどうやら己れの流れではなく、結城の流れに遷るらしい。

 若犬丸は思う。

 己れの子どもたち。

 鎌倉へ徹底して歯向かった己れの子に、氏満は容赦をしないだろう。

 若犬丸は幼子たちの顔を思い出し、胸が締め付けられた。

 父義政は己れの命と引き替えに息子を敵方から逃したというのに、自分は父親として我が子を守ってやることもできない。

 南山に滞在中、まゆるの妊娠を知った。

 そろそろ産み月になるころだが、どんなに心細い思いをしているだろうか。

 ――不甲斐ない夫を許してくれ。

 間もなく自分は死ぬ。

 けれど、

 ――今度、産まれてくる子が女であれば。

 女児であれば命は救われる。

 己れがこの世に生きた証しに、まゆるの生きる支えに。

 そうあってほしいと。


 黒川城は会津門田荘の丘陵にあった。 

 葦名氏は相模の名門三浦氏の後裔で、宝治合戦の族滅を逃れた庶流である。例に漏れず、先祖が文治の奥州征伐で得た領地へ移り住んだ一族である。

 その城を、若犬丸が奪った。 

 ――二本松の意趣返しか。

 葦名の惣領は、正月早々(はらわた)が煮えくりかえる思いで、公方の下知を待たず軍勢を帰した。

 黒川城を囲む葦名勢。  

「自分で自分の城を攻める因果な人間を、もう一人増やしちゃいましたね」

 城外のようすに、一井が聞いたようなことを言う。 

 二本松のころは頼りない若者だったが、度重なる戦さで、だいぶ成長した。

「葦名殿にはわるいことをしたな」  

 ちょうど手ごろな城であったために奪取の対象になった。他意はない。

「黒川城は良い城だ。だが、城を枕に討ち死に、とするには、他人の枕では落ち着きがわるそうだな」  

「討って出ますか!」  

 一井の目が輝いている。  

 いや、彼ばかりではない。  

 死を覚悟で何事かを為そうとここに集まってきた者たちは、皆。

 その面々を見る。

 奥州宮方と一括りに呼ばれながら、古くは北条氏の残党、新田勢、直義党。新しくは、足利政権の脱落組、そして古河合戦からの同調者。それぞれの理由でこの地を踏んだ。

 若犬丸にとって、ほとんどが血の繋がりのない彼らである。

 しかし、血の絆以上に深い(えにし)を覚えた。

 故に、いっそう胸が疼く。

――私は、この者らを謀ったのか。 

 もはや勝つ見込みのない戦い。ならば、せめて彼らを落ち延びさせようと思った。

 籠城戦の苦しみは難台山で知り尽くしていた。そしてその結末も。

 かつて己れの命を救ってくれた小田直高と同じ年になり、同4じ立場でものを考えている。

 壊れていた難台山の城郭。合戦の最中にあってはならない不備。

 だがあれは、膠着した戦局から郎等や若犬丸を救うべく、こじ開けられたものだった。

 こうして今、己れは城外に彼らを誘って、戦闘の外へと追い出そうとしている。あのときと似ていると。   

「さぁ、私に付いて来い。葦名勢の囲みを突破する」

 言って、大手を開けさせた。

「そのあとは好きにしろ」

 生きようと思う者は東の磐梯山へ向かい、ほとぼりが冷めるまで隠れていろ。だが、死にたい奴は仕方ない。ともに良い死に場所を探そうか――・・・

 そう意を含ませて。

 ただ、かたわらの若者の姿にを見るに、

 ――一井とはどこかで別れよう。

 彼を道連れにすることは罪作りのように思えたから。


 一月十五日のことだった。

 籠城戦を予測していた葦名勢は意表を突かれた。

 城戸口からどっと吐き出される騎馬の集団。

 先駆けの若犬丸に二、三人ほど撮棒で打ちのめされたが、思えば、城から出て行ってくれるに越したことはない。深追いせずに見逃され、若犬丸たちは難なく囲みを突破した。

「せっかくの悪四郎殿の撮棒も、出番がなくなりましたね」

「あぁ、そうだな」

 若犬丸は撮棒を両手で掴むと、二つに折った。

 筋金ごと曲げられた芯材の樫は、真ん中で砕け、植え付けの鋲が弾けとぶ。

 若犬丸は残骸となった撮棒を思い切りよく遠くへ放り投げた。

 ――あなた、化け物ですか。

 という周囲の目に、

「使い果たして、もとより弱っていたのさ。これも供養だ」

 軽々と言ってのける。

 そして、

「さぁ、ここからは、本当に死にたい奴だけ、付いてこい!」

 振り返って、大声で叫んだ。

 ばらばらと、蹄の音が左右に散っていく。

 ――これでいい。

 命を惜しむ者たちには帰る場所があるのだ。

 それを羨ましいとは思わない。

 正面からの風に黒髪をなびかせながら、若犬丸の胸に諦念以上のものはなかった。

 故郷を求め、さすらい続けて十四年。

 祇園城を没落した十四歳のあの日から、己れに居場所などなかった。

 ただ束の間、戦いの合間に、まゆるの胸に、己れはここにいると実感できた。

 場所ではない。時間の中に己れはいたのだ。

 しかし、もう、己れの時間が残り少なきことを自覚していた。

 若犬丸は疾駆する。

 彼の周囲に十名ばかりの騎馬武者が従っていた。

「死ぬのに良き場所はないか」

 努めて明るく言う。

 まだ彼のそばにいた一井が、

「寺はどうでしょう」

 これも明るく答える。

「寺か。ならば真宗が良いな」

「悪四郎殿には、ぴったりですが、贅沢は言ってられませんよ」

 浄土真宗の親鸞が唱えた悪人正機説。かほど天下を騒がせた『悪人』であれば冥土もなかなか引き受けてくれまい。

「あっ、あそこに!」

 一井が声を上げた先に、堂宇が見えた。

 若犬丸たちは寺院を目指し、馬首を定めた。

 山門を騎馬でくぐり、庭にいた僧侶たちは、落ち武者の一行に驚きあわてた。

 一井が下馬し、懐から金子の入った巾着を取り出す。

 僧侶との押し問答。

 埒のあかぬ僧侶との話し合いに、一井は剥き身を振りかざして押し切った。

「やっと話が通じましたよ」

 若犬丸のもとに帰った彼へ、

「あれでは脅迫ではないか」

 呆れて言った。

 多少の金子で死に場所を貸せだの、馬もやるから後の始末もよろしくだの、我が身に返って思えば、迷惑極まりないが。

 一井は、けろりとした顔で、

「この寺は臨済宗だそうですよ」

 宗派まで確認したらしい。

 若犬丸はうなずく。

「申し分ない」

 下野の小山氏では同宗の寺院を保護していた仏縁がある。この寺を通じて故郷へ連絡が届くだろう。

 ――それにしても。

 一井を見た。

 ――この若者だけは、救ってやりたいと思っていたが。

「後悔はないのか。今から前言を翻しても恥ではないぞ・・・・・・」

 だが、相手は笑って、

「よしてください。悪四郎殿と違って、私は煩悩をまとわぬ前に、逝きたいと思っているのですから」

 煩悩とは、若犬丸の妻子を思う苦悩を指して言っているのだ。

 どうせ死ぬ身であれば、妻子を得るのは過ちだと。

 一井の言葉は、本人が思う以上に、若犬丸の胸を突いた。

 己れは妻子への思いなど、おくびにも出していないつもりだったが、この年下の若者にすっかり見透かされていたらしい。

 若犬丸は寺院の敷地を見渡した。

「あぁ、そこがいい」

 薬師堂を指さす。  

 十余名の武者が自害するに、程良い大きさの堂である。

 薬師如来は、本来衆生の病苦を取り除く、医薬の仏である。これから死のうとする人間にあまり相応しくないが、それでも苦痛くらいは和らげてくれるだろう。

 若犬丸たちは薬師堂の階を駆け上がり、堂の扉を開いた。

 薄闇に浮かびかがる三尊。

 日光月光(にっこうがっこう)の二菩薩を脇士に、中央の薬師如来。

 その穏やかな顔立ちは人々を悟りの世界へ(いざな)おうとする。

 歩み寄って、しかし、若犬丸の目はかたわらの菩薩に注がれる。

――月光・・・・・・ そうだ、月の光がよく似合う女がいたな。

 いつの時代のものであろうか、目尻を長く引いた伏し目がちの瞳が、誰かを思い起こさせた。

 双の腕がしなやかに印を結び、ゆるやかに腰をひねる姿が艶めかしくもある。

 今さらの煩悩に、

 ――ここで死ぬのもわるくない。

 すでに生死すら知れぬ女を、心に浮かべながら。


 薬師堂の中は仲間の血の匂いでむせ返りそうだった。

 思い思いに腹を切り、一井以下、皆、事切れていた。

 息をしているのは、若犬丸一人であった。

 ――頑丈な体も考えものだ。

 腹を突き刺した程度では足りず、腰刀を引き回したが、死に切れない。

 (はらわた)があふれ出ていたが、なお息があり、我ながら呆れる。

 放って置けば、失血で死ぬことができようが、それでは先に逝った一井たちに申し訳ない気がした。

 首でも掻こうかと、腹から刀を抜く。

 如来の功徳か、もう痛みも覚えぬ。

 ――腕の力が残っているのが幸いだ。

 首筋に刃をあてる。

 ――これを引けば(しま)いだな。

 若犬丸は瞼を閉じた。

 そのとき、堂の(きざはし)を駆け上る足音とともに、

「早まらないでっ」

 聞き覚えのある声。

 瞼をうっすらとしか開けられなかったのは、入り口から差し込む光が眩しかったからだ。

 ――やはり、生きていたか。

 逆光の中を、狐女が駆け寄る。

「ちょっと、あんた、(ちょう)が出てるわよっ」

「――知っている・・・・・・」

 狐女は若犬丸の横に膝をつき、あふれ出た腸を夢中で腹に戻そうとした。手を血塗れにしながら押し込めようとするが、腹圧でうまくいかない。

「よせ、もう何をしても無駄だ」

 そう言いながら、死にゆく己れを助けようと、血の汚れを厭わぬ狐女をいじらしく思った。

「もういいから」

 腹の上に覆い被さっていた狐女の顔へ手を差し延べ、こちらへ向けさせた。

 女の白い(おもて)に、血のついた指が触れ、一条の赤が走る。

「わるいな。お前の顔を汚してしまった」

 それから二人は互いを見つめ合った。

「おかしなものだ。お前は、私に触れられぬのではなかったか?」

「あぁ、そうだわ。私ったら夢中で・・・・・・ でもどうして?」

 若犬丸の口元が和んだ。

 彼だけは知っている。

 若犬丸。

 もうこの名で彼を呼ぶ者はいないのだ。

 悪四郎。

 彼は思い出したように、狐女を見上げた。

「お前は、父上と恋仲であったのか?」

「ちがうわよ。・・・・・・何よ、こんなときに」

「そうか、それは惜しいことをした」

 男は片腕だけで、狐女の体を引き寄せた。

 思いもよらぬ力強さに、狐女はなすがままになった。

 男の顔が目の前に迫り、女は目を閉じた。

 互いの、唇が重なり合い、

 感じる、

 男の温もり、

 血の味とともに。

 そして、また遠ざかる。

「・・・・・・初めて会ったときから、お前のことが好きだった。けれど、それと同じくらいお前のことが怖かった。そのせいで、いつまでも童名を捨てられずにいた・・・・・・」

「あんた・・・・・・」

 狐女の目から涙があふれた。

「馬鹿よ、あんた。何で死のうとするのよ。まだ逃げようと思えば、逃げ切れたじゃない」

 狐女は男を助けようと南奥を探し回った。会津蜂起の噂を聞きつけ、まだ生き延びていたことを知った。だが、探しあてたときは、もう・・・・・・

「あぁ、そうだな」

 男は一瞬目を伏せた。それから狐女へ問い返す。

「私の子どもたちはまだ小さい。容易く鎌倉方に生け捕られるだろう。そして、その後は? 反逆者の息子たちを生かしておくと思うか?」

 朝敵の子とされた者の末路……

 ――知っている。知り過ぎるほどに。

 狐女は胸の痛みを呼び起こした。

「ちびたちは、本当にまだ小さいのだ。私が先に逝ってやらねば、三途の川を渡れずに迷って泣いている」

 子を思う親の気持ちは誰もが同じだった。

「父上の思いが今ならわかる。己れの血も、地も、根付き、根付かせてこそ意味があるのだと」

 だが、結局、自分は父の願いを果たせずに終わる。

 先祖たちが命を懸けて守り、伝えようとしたものが、今、全て失われようとしていた。

「それでも・・・・・・」

 狐女の顔を見上げた。

「私の勝手を聞いてくれないか。お前の力で、私の家族を救ってくれ」

 それが最期の言葉だった。

 男の瞳から、ゆっくりと光が失われていった。

 狐女は居たたまれず、そっと男の瞼を閉じた。

「あんたずるいわよっ。私のこと好きだ何だって言っておきながら、最後は、家族を救ってくれですって? 知るもんか! あんたの妻子のことなんて」

 女は男の体に取りすがって泣いた。

 斜め差す()は赤みを帯び、

 物言わぬ仏像たちが、穏やかに二人を見下ろしていた。


 庄司家が保護していた尼寺は、田村荘からそう遠くない山里にあった。

 身重の女と小さな子どもを移動させるには、致し方なかったのかもしれない。

 だが、それが災いした。

 まゆるたちが葦名の郎等に発見されたのは、若犬丸が会津で挙兵して間もなくのことだった。

 以来、尼寺に不似合いな髭武者らが駐留する。

 人質の、交渉の、に使われるはずだった妻子であったが、若犬丸自害の報を受けて、その必要はなくなった。

 宮犬丸・久犬丸の兄弟は、罪人を運ぶ輿に乗せられて、鎌倉へと送られていった。

 残されたのは産み月間近のまゆる一人である。

 そのまゆるが今日産気付いた。

 尼寺での出産は憚りあるとはいえ、誰もがいかんともしがたく。

 産室代わりの奥の()

 尼たちも落ち着かぬげに出入りをくり返す。

 妊婦の衰弱もひとかたならぬと。

 是非もない。頼りの夫の留守、妊娠中の移動、馴れぬ土地での子育てに、精根尽き果てていただろうに。

 そこへ夫の死の報せがもたらされたのだ。

「此度の出産は、母親の命と引き替えになるかもしれぬとな」

 前室に、葦名の郎等二人が坐し、溜め息をついた。

 女児ならば放免、男児ならば・・・・・・

 そう言い付かってきた彼らだが。

 朝敵の子とてやりきれぬ。すでに上の子たちの処遇は決まっているようなものだ。

 ――女児であってほしい。

 葦名の郎等をして、そう思わしめた。

 だが、運命はいつだって皮肉な結末をもたらすのだ。

 二百年前、頼朝の勘気を蒙り、逃亡した義経の愛人が捉えられた。女の体には子が宿っていた。頼朝はやはり同様の決定を下し、果たして、産まれたのは男児だった。子はその日のうちに、由比ヶ浜に捨てられた。

 これを冷酷というか。武士の定めというか。

 頼朝自身もまた同じ経験をしている。流人時代、(のち)の正妻と知り合う前、一人の恋人がいた。子まで為したが、相手の父親が平家の庇護を受けた者にあって許されず、子を滝壺に沈められた。

 男児だった。

 女児であれば、救われたものを。

 武士は敵の子を恐れる。男児であれば尚更、後の復讐を恐れる。

 それは彼らの獣としての本能であった。

 ――今回も、男児であろうよ。

 互いに顔を見合わせ、何度目かの溜め息をつく。

 そのとき、入り口で来訪を告げる者がいた。    

 鎌倉よりの使いで、若犬丸の子を見届けにきたという。

 氏満の方針の徹底。

 一片の情も許さぬ姿勢に、戦慄を覚える。

「待たせてもらう」

 供の者を庭先に控えさせると、使いの男はずかずかと上がり込んで産室の障子に手をかけた。       

「何もそこまでなさらなくても・・・・・・」

 さすがに止めようとしたが、

「細工をされても困るからな」

 ぎろりと睨まれ、言うべきことを失った。

 部屋の中では尼たちの騒ぐ声が聞こえたが、男の一喝によって静まった。

 産婦のうめき声が漏れ聞こえるなか、彼らの緊張が限界に達したころを見計らったように、産声が響いた。  

 耳を澄ます。

 期待した安堵の溜め息や言祝ぎの言葉はいっこうに聞こえてこない。

 障子が乱暴に開けられ、男が現れる。腕には襁褓(むつき)にくるまれた嬰児を抱いて。

 それが答えだった。

「子の始末をつけるようにと言われて来た。そなたらでは無理であろうな」

 むしろ、そう言ってくれた男に感謝の念さえ覚える。

 郎等たちは男を見上げて、こくこくとうなずいた。

 赤子を抱いた男は、彼らを一瞥すると、供人とともに去った。

 ――このあと、土に埋めるか、水に沈めるか。

 産室からは、女たちのすすり泣く声が聞こえた。

 

 まゆるは、周囲を見回そうとした。

 けれど、焦点が合わず、人々の顔すら定かではない。

 ぼんやりとした視界。

 体も起こせない。

 そばにいる者たちは、皆泣いているようだった。

 ――なぜかしら?

 視界だけではなく、意識もぼんやりしている。

 思い出したのは若犬丸のことだ。

 この世でいちばん大切な人、大好きな人。

 けれど、もう、あの人は死んだのだ。

 そのことを思い出しただけで涙がにじんだ。

 夫の訃報を聞いたとき、まゆるは自分がばらばらになるのをおぼえた。

 心がきしんで、体まで痛みをおぼえた。

 自分でも生きているのが不思議だった。

 彼の後を追おうとさえ考えた。

 けれど、小さな子どもたちを目の前に、

 ――生きなきゃ。

 そう思って堪えた。 

 なのに、二人の子どもたちは敵の兵士に連れ去られてしまった。

 ――でも、まだこの子がいるから。

 お腹の子を思って、もう一度耐えようと思った。

 若犬丸の子を無事に産むこと、それだけが彼女の支えだった。 

 心労でやせ細った手足に、不釣り合いなほど丸々と太った腹部。

 尼らはまゆるの体を案じた。

 彼女の母も出産と引き替えに命を落としている。

 ――でも、大丈夫。私は母さんと違うから。

 子どもを残して死んだりしないから。 

 ちゃんと、この子が大きくなるまで育てるから。

 そう心に誓ったのだ。

 ――あぁ、そうだ、私の赤ちゃん。

 まゆるは自分の腹に手を伸ばしたが、そこはべったりとして何もなかった。

「ねぇ、私の赤ちゃんはどこにいるの?」

 誰ともなく声をかけるが、答える者はなかった。

 不安に思いかけたとき、産室の障子が勢いよく開く気配がした。

「まゆる、まゆる! あんたは無事なのね」

 自分をまゆるというこの人は田村荘の者だろうか。そういえばどこかで聞いたような声。

 その声を聞き分けようとして、耳を傾ける。

「まゆる、あんた、目が見えないの?」

 心配げな声に、まゆるは少しうれしくなった。

 ――田村荘にも私を心配してくれる人はいたんだ。

 だから、自然に微笑むことができた。

「あなたは誰?」

 自分の問いに、相手は少し、うろたえたようだった。

「私のことはどうでもいいわよ。それより、あんた本当に大丈夫なの?」

 まゆるは首を振った。

 自分のことはいい。それよりも。 

「私の赤ちゃんはどこ? 早く抱かせて」

「ああ、あんたの赤ん坊は、今盥(たらい)で体を洗っているところよ」

「あぁ、そうね」   

 ――赤ん坊は産まれてすぐに産湯につかるものだから。

「ねぇ、教えて。男の子だった? 女の子だった?」

「おお、男の子よ。元気で立派な男の子よ」

「あぁ、そう」

 ――元気で立派な男の子なら、あの人みたいになってほしい。

 でもどうしてかしら。男の子って聞いただけで涙が出るのは。

「ねぇ、早く赤ちゃんを抱かせて。もう産湯から上がったころでしょう」

「まま、待って、い、今、(へそ)の緒の始末をしているから」

「あぁ、そうね」

 ――赤ん坊は産まれてすぐに臍の始末をするものだから。

「ねぇ、名前は何にしようかしら。あの人は何も言わなかったから。私が考えなければならないわ」

 ――若犬丸の子、宮犬丸・久犬丸の弟だから・・・・・・

 なぜだろう、上の子たちのことを考えたら涙が止まらない。

「ねぇ、私の赤ちゃんは、まだ?」

「待って。今渡すから、待ってて」

 けれど待ちきれずに手を差し出した。

 ――早く抱かせて。私の赤ちゃん。

 まゆるの腕がぱたりと落ちた。

「あぁ、どうしてかしら。あの人がいるわ。私のそばにあの人が」

 すでに彼女の瞼は閉じられて。

 ――どうして?

 ううん。違う。

 今まで離ればなれになっていたことの方が、どうして?

 瞼の中の若犬丸。

 彼が微笑むから、自分も一緒に微笑んだ。

 それから、夫が自分を抱き上げようと手を差しのべる。

 とても体が軽くなったような気がして。

 彼女の瞳が二度と開かれることはなかった。


「まゆる、まゆる! しっかりしなさいっ!」

 狐女はまゆるの体を揺さぶって、叩いた。  

「歴代の四郎の女房っていえば、そりゃあしぶとい女ばっかりだったのよ! 聞こえる? まゆるっ、まゆる!」

 しかし、彼女は、狐女の声の届かぬ場所へ逝ってしまった。

 周囲の尼たちの泣き声がいっそう高まる。

 女は命懸けで子どもを産む。

 自分の命と引き替えにしてでもと産む。

 こうして、まゆるのように本当に命を落としてしまう女もいるというのに。

 それなのに、男は・・・・・・

 女は泣いた。

 この世の理不尽に泣いた。


 同月二十四日、若犬丸の遺児、宮犬丸と久犬丸は鎌倉に送られる途中、武蔵国六(むつ)()の沖に沈められた。

 これにより、藤原秀郷から続いた下野の名門小山氏の嫡流は絶え、若犬丸の従弟泰朝が継いだ名跡を、以降、重興小山氏と人々は呼んだ。


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