断章 岩窟夜話
灯台の光の加減か、岩壁に映る二人の影は大入道のような大きさに膨れていた。それが、ふいに揺らめく。
――しっ!
無用は目だけで、洞窟の入り口を示した。
何者かが近付く気配。
複数の足音。
無用は音もなく立ち上がると、赤房丸を手招きし、祭壇の奥、菩薩像の図絵をめくって見せた。
そこには、ちょうど人一人収まるくらいの窪みがあった。
――壁龕か。
仏像を祀るための洞である。
赤房丸は剥き身の刃を抱くようにして隠れた。
そっと図絵を下ろし、無用は円座に腰を下ろすと、何事もなかったように念仏を唱え始めた。
図絵の裏側に潜む赤房丸は、灯明に透ける菩薩像を間近にした。
常ならぬ位置からの眺めのせいか、菩薩の姿態は何やら妖しく、艶めいてさえ見え、数瞬心奪われた。
我に返ったのは、ざっざっと人の足音が近付いたからだ。
「おぬし、何者だ」
「ここで何をしておる」
男が二人。無用を誰何する。
「――人にものを訊ねるときは、まず自分が名乗ってからだってね。お侍さん方」
そう言って、無用はゆっくりと振り向いた。
「まぁ、名乗るほどの者でもないがね。ただの隠遁の禅僧さ」
「禅僧?」
侍は、正面の菩薩像を見た。
「禅僧がなぜ、妙見菩薩を敬う?」
「妖しい奴」
侍たちの言葉に、無用は肩をすくめた。
「おたくら、頭固いね。妙見さま拝んで何が悪いんだい? 俺は信じようって思ったら、観音さまだって、弁天さまだって念仏を唱えるぜ」
侍が不快げに眉をよせる。
そのとき、菩薩の図絵が揺れた。
侍たちの視線が動く。
「昨晩より、謀反人がこの辺りに潜伏したと聞く。おぬし、何やら隠していないか?」
壁龕の中で、赤房丸はびくりとして息をひそめた。
図絵が揺れたのは、外の気配を伺おうと近寄り過ぎたせいか。
「風だよ、風。この洞窟にはな、こう見えて細かな孔穴が幾つもあって、外気が通っているのさ」
「風?」
「そうさ。だから、ここはいつだって清気のまま、灯りを点し続けても息苦しくならないのさ」
侍たちは、風、空気、息、と聞いて鼻をひくつかせた。
そして顔を見合わせる。
「血の臭いがするぞ!」
「やはり、おぬし、何か隠しておったな」
侍たちが騒ぎ始める。
赤房丸は、刀の柄に手をかけた。
――ここで飛び出して、あいつらに一太刀浴びせるか。
しかし、赤房丸の緊張を破るように、からからと甲高い笑い声が響いた。
「いやぁ、ばれてしまったか。しかたがない。実はな、今さっきまで、ここで女とまぐわっていたのさ。その女が生娘でな。ついでに二人で血もしたたる獣の肉を喰ってたってわけで。コトの後に喰う生肉は旨い、なーんてな」
がはははと笑い飛ばす無用。
――言っていることが、めちゃくちゃだ!
呆気にとられたのは赤房丸だけではなかった。
「おのれっ、破戒坊主めが、生の肉だの娘だの、我らを愚弄する気かっ」
「許せん。謀反人に関係なく、お前を召し捕ってくれるっ」
侍たちは、怒り心頭のようすで、無用に飛びかかった。
途端、灯台の光が消え、周囲は暗闇に閉ざされる。
「何だ」
「どうした」
「うわっ」
「ぎゃあぁ」
侍たちのわめき声が悲鳴に変わる。
どすん、ばたんと、祭壇が崩れ、人間が倒れるようなもの騒ぎ。
それが静まったと思ったら、ずるずると何かを引き摺るような音が、出口へと向かい、消えた。
やがて灯台に明かりが点される。
「赤房丸、出てきなよ。もう大丈夫さ。俺の修行をじゃまするなって、あいつらにはよぉくわからせてやったよ。頭でなく、体でな」
図絵の裏から抜け出すと、無用は横倒しになった祭壇を立て直すところであった。
赤房丸も手伝い、飛び散った供物や祭器を片づけ終えると、二人はまたもとの円座に戻った。
「無用どの、無用どのは武芸に心得があるのか。もしや、前身は武家の方では?」
「ふふん、わかっちまったかい。と言っても隠すつもりはなかったけどね。うん、俺はもともと武士だったのさ。けどな、弓馬の家に生まれ、人に敬われるっていっても、しょせんは殺生を生業とする罪深い存在さ。思うところあって出家したんだが、寺って場所も、煩悩の集まるところでね。権威だの権力だのの争いばっかりでやんなっちゃうよ。それを腕力でもって解決しようとするから、悪僧なんてのも生まれる。世俗のかたまりでね。武士が罪深いんじゃなくて、人間そのものが罪深いってことに気付いてな。寺を出て、一人、山の中で隠遁生活を続けてるってわけさ」
言いながら、無用が菩薩の図絵を見上げたので、赤房丸もつられて顔を上げた。
妙見菩薩は、武将の守護神だ。
武士を捨てたと言いながら、妙見を拝するのは、どこかで自分の根となる部分を尊びたいからではないだろうか。
菩薩の像に見入る赤房丸に、無用は、
「その絵は俺が描いたのさ」
と、言って笑った。
「俺は手先が器用でな。ちょいちょいっと筆をふるって、画やら書やらを人に買ってもらうんだ。男一人の生活に困らないってわけさ」
どうりで婀娜っぽい菩薩だと納得する。
祭壇から落ちた供物を、無用は「もういいから」と言って、はたいて寄越した。
乱闘騒ぎで動揺した心地もだいぶ落ち着き、赤房丸は周囲を見渡す。
洞窟の中にいるせいか、時間の間隔がない。
振り返ってみれば、入り口は闇。もう日は暮れたのか。
「・・・・・・狐女はかわいそうな女だね」
先刻の無用の物語りを受けて、赤房丸は言った。
「人間長生きすると辛いこともあるっていうけど、狐女の場合、桁が違うよな。生きた時間も、涙の量も。でも、まぁ、そうやって同情してくれる人間がいるなら、狐女も喜ぶよ」
しみじみと呟く無用であるが、
「ただし、お前の話が本当だとしたらな」
赤房丸の目が光った。
「えぇっ、まだ疑っているの」
「女犯や肉食をひけらかす禅僧の言うことなんて、信じられるもんか」
「だって、そりゃ、お前さんを守るための方便じゃないか」
無用は言い返すが、この隠遁生活も破戒ゆえに寺を追い出されたのではと疑っている。
――まったく、こんな痴人の与太話につき合わなければならないなんて。
腹が立ってくる。
それなのに。
若犬丸と、その一族にまつわる物語を、最後まで聞き遂げたいという思いは手放せない。
「わかったよ。お前の話をもう少し聞こう」
赤房丸は、ふうぅと溜め息をついた。
「おっ、機嫌が直ったのか?」
「機嫌も何も・・・・・・。まぁ、いいよ」
無用は赤房丸の心を見透かしたように、にっと笑った。
「それじゃ、若犬丸に話を戻そうか。奥州の田村荘に戻った若犬丸はね……」




