関東護持僧 遍照院頼印
永徳二年(一三八二)三月二十二日、小山義政親子は祇園城を自焼して糟尾山に籠もった。
氏満は引き続き、上杉中務少輔朝宗、木戸将監貞範の両大将に命令を下した。だが、驚いたことに二人はこれを拒否したのである。
――臣下が主君の命令に従わぬなど・・・・・・
己れの矜恃のため再三の説得を施したが、二人は頑として首を縦に振らなかった。
「上杉少輔、理由は何ゆえだ」
敵は小勢、負けを覚悟の籠城である。ここで一思いに潰すのに何の躊躇があるのだと。
「・・・・・・」
氏満の問いに、朝宗は無言をもって答えとした。
「では、木戸将監に聞く。そなたに理由はあるのか」
貞範は朝宗とは違い、ゆっくりと口を開いた。
「白幡一揆ですよ。奴らはこちらが優勢と見れば攻撃し、劣勢となれば手を抜く。これでは統制がとれず、他の武将たちの士気に係わります。彼らとの戦はもうご免蒙りたいのです」
「白幡の連中が日和るのは今に始まったことではないだろう。それに先の鷲城攻撃には功績多しと聞いている」
「連中は手柄を大げさに吹聴しますからね。加えて軍兵らも永の出張で疲れています。昨年の秋から半年以上も経っていますから」
「それも、糟尾山を落とせば、一気に片が付くではないか」
言わずと知れたことを何度も言わせるなと言いかけて口をつぐんだ。
見え透いた口実を並べて、参戦を拒む。
それは他に理由があるからだ。
「よい、もう下がれ」
結局、朝宗は一度も口を開かなかった。
――私も舐められたものだ。
家臣を動かすこと一つできないのか。
――少輔は房州(憲方)とは違うと思っていたのだが。
同じ上杉と言っても一門にはいくつかの系統があり、朝宗の方がまだこちらの言うことを聞くと。
苛立つ氏満のかたわらには頼印が侍っていた。その彼と目が合う。
「遍照院、そなた、予の力になってくれぬか」
「私めにできることでしたら」
「では両将軍を説得してくれ。糟尾を攻め落とすべしと」
「御所殿の御為でしたら、必ずや」
平伏すると、頼印は黄衣を翻し、主君のもとを辞した。
第二次小山征伐、大将は上杉中務少輔朝宗、並びに木戸将監貞範。
そこには第一次征伐に連なった、もう一人の大将の名がない。
上杉安房守憲方。
彼はこのとき討手の大将どころか管領職さえ辞していた。
目端の利く憲方は、氏満が義政に対して度を越した制裁を与えたため、幕府よりまたもや警戒されると踏み、模様見を決め込んだのである。また他の関東武将らの目もあった。かつての同僚を徹底的に叩き潰そうという主君の仕儀に、彼らは戸惑うようすを見せた。その戸惑いが別の感情に向かってはうまくないと。
責任問題の回避。
これを察した朝宗も、損な役回りを引き受け、外圧に押し潰された憲春の轍を踏むまいとした。
木戸貞範とて同様である。
二人の在意は氏満にも通じている。だが、彼には家臣に対して下手に出て慰撫する、ということができない。
そこで頼印の登場である。
朝宗の陣所で酒を酌み交わしていた二人は、公方の護持僧が対面を申し込んでいると聞かされ、ろこつに嫌な顔をした。
己れらが命懸けで得た勝利を祈祷の由だとか、義政方の放火を法力で消したとか吹聴する頼印に好感が持てるはずがない。
「白幡の連中よりたちが悪い」
ちょうど悪口を言い合っていたところなのだ。
しかし公方よりの使者をむげに断るわけにはいかない。
しぶしぶ面会に応じた彼らへ、
「お二人とも怖じ気付いたのですか。窮鼠猫を噛むの譬えに倣いたくないと」
頼印は、開口一番武将たちを気色ばませた。
「誰に向かって口を利いている!」
「我らを愚弄する気かっ」
しかし、あらかさまな反応は頼印の思う壺である。
「であれば、なぜ参戦を拒むのですか? お二人には何やら御所に裏心でもあるのかと勘ぐりたくなりますよ」
「何を言うっ。我らの忠誠心に偽りありとでも申すのか」
「では、その忠誠心を戦さで表しなさいまし。それが武将というものでありましょう」
笑いかける老僧の声は朗らかで、それがいっそう彼の狡猾さを示していた。
言葉に詰まる両将へ、
「ものは考えようです。前の管領殿でさえ投げ出された小山討伐を少輔殿が完遂なさしめる。京の人々の見方が変わるでしょうな」
朝宗と憲方は同じ上杉氏とはいえ、犬養・山内と系統が違う。近年、山内の後塵を拝している犬養の対抗心をくすぐるのだ。
「それは木戸将監殿とて同じでしょう?」
憲方の母は木戸氏の出であるが、府内では山内上杉に顕職を独占され、不満がないと言えば嘘になる。
二人は氏満の子ども時代から近侍していたにも係わらず、主が長じるにつれ距離を感じていた。もっとも、彼らに距離を作らせたのは当の頼印にも責任があった。
主君の氏満へ頼印を紹介したのは山内の能憲だが、かといってこの僧は、公方と山内上杉の仲ですら修復しようとは思わないのである。
「お二人とも、幕府の目を気にされているようですが、此度の野州の叛乱には宮方残党との連携が確認されています。積年の宿敵とつるむような輩を成敗したからといって京の公方殿がお咎めになるとお思いですか」
朝宗と貞範は目を見交わすが、これに老僧の口はますます滑らかになる。
「合戦の勝利の暁には京と鎌倉、双方からお褒めの言葉があるでしょう。もちろんお言葉だけでなく」
暗に恩賞の割り増しまで仄めかす。
「そうであれば、諸大名への気遣いとて必要ありませんでしょう」
関東武将も恩賞が多くなると知れば、義政への躊躇もなくなると。
朝宗と貞範は互いに顔を見合わせ、溜め息をついた。
――嫌ったらしい男。
――このえせ坊主。
しかし、頼印の言うことは何から何まで正しく、執拗に公方の命を拒む己れらが馬鹿のように思える。
――この口の旨さなら坊ちゃん育ちの公方など簡単に籠絡されてしまうだろう。
――こいつの説得で承諾するってところが嫌なんだけどなぁ。
目配せし合うが、とどのつまり丸め込まれるのである。
「だけどなぁ、坊主が出陣の催促なんておかしくないか」
「殺生戒とか言わないのか」
彼らは後日、その理由を知らされる。
霊験あらたかな祈祷と両大将を説得した功により、頼印は氏満から広大な領地を得たと。
己れらの命懸けの戦いが大っ嫌いな坊主を肥やし、二人は地団駄踏んで口惜しがるが、後の祭りであった。
なお、頼印は義政自害の日にちまで当てたということになっている。
三月二十二日に没落した義政の、その首級を、
「御所殿は二十日のうちにご覧になることができますでしょう」
と坊主らしからぬことを延べ、結果、義政が自害したのは、翌四月十三日。この報せが届いたのは十五日。氏満が実際に首級と対面したのが十八日である。
ここで頼印は言葉をすり替える。
「いかがでしょう。凶徒が死んだのも、その報せが届いたのもほぼ二十日。全ては神仏の御賢慮によるものですな」
これを聞いた誰もが「前の宣託と微妙に違うな」と感じつつ、神仏の名を出され、
――あまり細かいことを指摘してはならないよな。神託なんて曖昧なものだから。
と己れの心を納得させる。
氏満も、
「さすが遍照院だ」
彼を賞賛するのみである。
また、後日、義政の所領の一部であった下河辺荘の帰属を廻り、幕府と鎌倉府で争いになりかけた。
――義満め。己れは何一つ手を汚さずに、勝利の旨味だけ得ようというのか。
従兄の理不尽に怒り狂う氏満だが、京の義堂周信の取りなしで、所領は彼のもとへ帰した。
心の師に感謝の念を覚える彼へ、その横合いから頼印が口を挟む。
「私が御所のために祈祷しましたもので、その功験が現れたのでしょう」
「そ、そうか。さすが遍照院だな」
京の周信が聞いたら、地団駄踏んで口惜しがったことだろう。
頼印は義政調伏の功労者として、第二次小山討伐中すでに、小山氏の氏祖、政光の揺籃の地、武蔵太田荘の七ヵ郷を与えられていた。
氏満の信頼を不動のものとした頼印は、以降、公方のかたわらでその政治力を発揮するのであった。




