愛情に向けて嘘を吐く
包帯を変え、きちんと服も着替え(身体の痛みでだいぶ手こずったが)、ようやく頭の回転速度も常人程度には回るようになった。
というか、常人程度の回転でもう全力回転だ。
今までの流れから総合するに全く覚えはないが、どうやら俺は昨日の会話の内容とやらで怒らせてしまったらしい。
それ以前の、玄関でした言い争いしたことは憶えているんだが……。
どんなことを話したかな。
……怒るような内容。
あの流れから怒らせる話なんていくらでも予想できるなぁ。
でも、仲直りはしているようだ。
怒り方がそこまで陰険じゃないし。
……ふーむ?
とりあえず階段を降り顔を洗うにする。
……染みるので控えめに。
洗面台を正面に、水道の蛇口をひねる。
冷水に顔を付ける感覚はあまり好きではないが、好き嫌いの問題でもないだろう。
ふと、顔を洗っている中で顔をあげる。
鏡の自分、それと目が合う。
視線、なにかいつもとは違う差異。
ああ、そうか。
目の前の自分の口元はなぜか笑みを形づくっていた。
……なぁ、なにお前笑ってるんだ?
そんなに面白いことでもあるのか?
それとも、見た夢は楽しかったのか?
あまり内容を憶えているわけではない。
ただその顔を見て、不安になる。
ちゃんと俺は……俺だと言えるんだろうか。
……なんて、ばかばかしいこと考えてるな、俺。
適当な所で切り上げて、さっさとリビングに入る。
さあて、親はいつもどおりいないだろうし、美弦はあの通りだったから、今日は一人で静かーにのんびりと朝食でも摂ろうかな。と思ったら、誰か女の子が目の前にいた。
その娘はどこか見たことあるような、あえて言うなら美弦によく似ていて、ずぼらにカレーにトースト付けて食ってる感じも美弦によく似ていて、朝から不快にもニュースなんか見てるのもそっくりだった。つか、朝くらいテレビ消せよ、うっとうしい。
「……なにつっ立ってんの、コウ。座ったら?」
おお、声まで美弦に似ている。
俺がその女の子をじっと見ていると、苛ついた様子でその娘は言った。
「……なに、コウ。私が居るのに文句でもあるわけ」
その物言いと、性格。
朝から不機嫌だな、感情の落差が激しいところまで……。
「って、実は美弦さん本人じゃないですか?」
「当たり前でしょ、さっきからなに!?」
うん、いや、って言うか。
なんで美弦がここに?
美弦、寝直すって言ってたような。
「眠れなさそうだったから、起きることにしたの」
「……そうですか」
にしても、顔合わせるの気まずいとかはないんですか。
ないか。
あっても、美弦は「私の方がなんで遠慮しないといけないの?だったらアンタが部屋に行けば?」っていうだろうし。
絶対に自分は折れないからな、美弦。
俺は勝手に納得して、いつものように席に座る。
ニュースはいつものように付けられ、美弦は俺と視線を合わせず、そちらのほうばかり見ている。
ちなみに、朝食のメニューはカレーの翌日なので、もちろんカレーです。
これ、結構つらい。傷口に香辛料。
涙目で食べる、カレー。
「いやなら、食べなきゃいいじゃん」
ボソッと、美弦は言った。
目を合わせず、俺も返す。
「食べないわけにはいかないでしょう?身体が保たないし」
これはこれで保たないけど。
「なんでもいいから買ってくれば?」
「無駄遣いはしないことにしてるから」
「ならフツーに食えば?」
「痛いものは痛いんだってば」
「……そんなに痛いの?」
かなり痛い。殺す気か、って思うぐらい痛い。
なんだろう、心なしか口の中の感覚がなくなってきたような。ただし、痛覚以外。
……いや、そろそろ痛くなくなってきた。
うん、ただ鉄の味だけがする。
………馴染み深い味です。
「ねえ、そんなに痛いの?」
「……ん、まぁ、ちょっと」
嘘です。
だって、もう痛くないから。
ため息を吐く美弦。
立ち上がって、冷蔵庫まで行って……なんだ?
「はい、これ」
差し出されたものを見る。
……プディングじゃないですか。
ピンク、みどり、きいろの三色プディング。
「これは?」
「染みるって言ったから」
「いや、……いつ作ったの?」
「いいから!」
俺は頷いて、受け取る。
……本当に悪いことしたかもしれない。
ごめん、って今言ったら遅いだろうか。
許されるなら、土下座して延々と2,3時間謝り倒したい。
って言うか、むしろ、土下座している所で頭を踏んづけてくれて構わない。
それぐらい、すまない、と思ってる。
……やっぱり、俺はMなのか?
「早く、さっさと片付けてくれない?」
「うん」
俺はスプーンを手にとり、プディングを掬う。
それを大事に大事に、味わって食べる。
もちろん、全く染みないわけじゃない。
でも、よく冷えたプディングは、たぶん甘くて。
でも、美味しいかって言われたら、きっとちょっと微妙で。
つか、もう味もなんもわかんないんだけど。……でも、俺のために作ってくれたもので。
「美弦?」
「なに」
「すごく、美味しいよ。ありがとう」
嘘を吐いた。
でも。
「そう」
素っ気なさそうな返事を聞いて。
返事を聞けて。
俺は、すごく、嬉しかった。
「ねぇ、コウ?」
「……どうかした?」
なんだろう、すごく美弦が落ち着いている感じがする。
いつもはない、極まれに彼女と向き合う中で生まれる緊張感。
他の奴と、違う。そう思わせる瞬間。
……この感覚があるから。
「私には、やっぱり一切関係ないの?」
俺は美弦になんだかんだ執着するのかもしれない。
*
彼女は紅いピアスを付け直す。
それは彼女にとって、自己を確認する意味合いを持つ。
なぜなら、それだけが、今、自分が自分自身であるということを証明する証だからだ。
彼女は自身に問う。
私は本当に私なのか、と。
そう、自己の存在証明のためだけに彼女はそれを身に付ける。
それは世界に唯一つの紅。
赤はこの世に無数にあれど、この赤だけは紅として自身を示す証。
例え、赤が他に幾百といても、この赤は私の紅。
二つと存在しない紅。
私だけの紅。
彼女はそう、その紅を身につける。
たった一組しかないその紅は、彼女が彼女である時。また、そうでない時も、その身を片時も離れることはない。
もし、離れることがあるとするなら、それは自分が消えた時だけだ。
……そう、少し前までは思っていた。
だが、もう一つの可能性を彼女は彼女である時に見つける。
もしかしたら、私は私の証明をしなくても……もう、いいのかもしれないと。
なぜなら、気付いてくれる人が。
いや……かもしれない人がいるから。
もし、そうなら。
私はずっと、永久に他の誰でもない私になれた、とそう言えるのかもしれない。
だが、それを信じられはしない。
自分が自分であること。
人間は他人を持てして、自分と言う存在を定義する。
自分が自分であるためには、鏡が必要なのだ。
だからこそ、人は人の間に自らを置く。
だが、私は既に人でなく。
鏡に映される姿も、歪み、……ずれている。人からはずれている。
……それでも、私は誰かを必要としている。
私の役割は、狩ること。
私はこれから、狩りをまた始める。
その中で、私は私の望みを叶えることが出来るのか。
それとも、私は……。
私は……?




