面倒くさい決意
どうやら、死にかけでは撒き餌にもならないらしい。
ミマタさんも、いやミマタも案外使えないもんだね。
しかし、まさかアイツが関わってくるとは計算外だな。
八賀谷 コウ……。
やはり、ぼくが本当に特別になるには彼が立ちはだかるわけだ。
結局の所、彼が妨害者なのか?
いや、確かに妨害者はナイフ……少なくとも刃物の使い手ではあるみたいだったが、それにしては彼は手際が悪すぎる。
そう、彼は普通の人間なのだ。
それとも、宇都木?
……しかして、これは別の人間を示している。
結局、すべてはまだ不明だ。
なにより、手足が不足気味なのがよくない。
成長は進めば進むほど、餌は必要になるのに一定の量までしか望めないのだ。
……いっそのこと、解き放ってしまうか?
いや、それではひたすらに増えるだけだ。
そうなれば、駆除されるのは目に見えている。そもそも、こんなもの特別の中のわずか一つでか無いのだからね。
考えて見れば厄介なものに巻き込んでくれたものだ、お陰で残されたぼくが苦労する。
これを望んでいなかったと言えば嘘になるけど。
まぁ、ようやく、チャンスが巡ってきたんだからさ。せいぜい楽しませてもらわないと、ね。
おっと、忘れてた。
ぼくは新しい肉を取り出した、この間ミマタが確保してきた残りだ。
それを無造作に落とせば、子どもの頭ほどの影が一つ、それに喰らいつく。
「どう、美味しい?」
ぼくは勇太にそう尋ねた。
勇太はぼくの言葉には反応せず延々と肉をむさぼる。
ぼくはそれをみて笑った。
「足りる? 足りないよねぇ、すぐに誰かが持ってきてくれるから待っててよ」
勇太はやっぱり反応しない。
ただ、肉に喰らいつき、むさぼり、むさぼり、むさぼり、むさぼる。
そう、あとはただむさぼり尽くすだけだ。
案外、終わりは近いのかも知れない。
第四話 『論理的』にある『猟奇性』
しばらく、俺達三人は呆然としたままだった。ウツロギに関して言えば、ぼーっとしてるだけとも言える。
だが、俺は別に衝撃を受けて呆然としていたのではなく、非人間的でクソ喰らえなことに、いつもどおりどこかズレタ頭で冷静に思考を重ね、それをまとめるのにいつものように時間を要していただけだった。
出した結論は簡単なもの。
「ウツロギ、行くぞ」
無言で頷き、歩き出すウツロギ。だから、不気味だって。
俺は呆然としたままの藤咲の手を引っ張った。
引っ張られてすぐに、藤咲は意識を戻す。
「えっ、どこに行くの?」
「……家に帰るんだ」
出来るだけ早く……ここを離れる。
パシッと音がした、一瞬わからなかったが、どうやら藤咲が俺の手をはじいた音だったらしい。
藤崎さんはその声を荒げる。
「なに言ってるの!このままにしておくの!?」
俺はその姿に珍しさと呆れのようなものを感じた。
溢れんばかりのうさんくささが前面に出ぬように、形ばかりの誠心誠意の表情で話しかける。
「なるほどね、確かにこのままにしておくのは可哀想だろうね。じゃあ、その辺に埋めるのかい?」
「そうじゃなくて……警察とか」
「出来るの?」
彼女は言葉に詰まる。
そう、彼女には出来ない。
なにはともあれ、彼女は事件に巻き込まれたのにも関わらず、誰にもどこにも連絡をとらず一人で解決しようとしていた……ようだった。
その理由が何であれ(俺の知った話ではないけれど)それがどんなものであっても、彼 女にとって現在の状況はあきらかに不味いものだ。
……連絡をとらなかった理由が個人的な感情面のものならば。そう……例えば正義、使命、責任といったものによるならば、その選択は彼女にはそれを放棄するものに思えるだろう。
なぜか、警察に連絡することが、逃げ、のように思えるだろう。
自分で解決しなければならない、と言う思い込みが邪魔をして。
だから、彼女には出来ない。
言葉に詰まったまま、身動きできない彼女に俺は笑いかけた。
「でしょう? 君は……理由はわからないけど、自分の理由で動いているんでしょう。今さらそれを止められるの?」
「でも、このままには……」
「ここは本当は……うちの生徒に限ってなら、人通りが多いんだよ。彼はすぐに発見される」
ただし、もう部活をしている生徒しかいない時間だから、だいぶ微妙なラインだけど。
「でも……」
「彼は遺族の元にいけるんじゃないの?」
「……っ!」
「わかったら行こう? 藤咲さんにはなにか訳があるんでしょう、ここで止まるわけには行かないんじゃないかな?」
彼女は少し戸惑ってから、真っ直ぐ前を見据えた。
……意外な反応だ。迷いは在っても、一切の諦めはない目。
でも、まぁ、都合はいいからそのままにしておこう。
そうして、話すこともなく無言のままやや早めに歩き出す俺と、藤咲。ウツロギはあえて意識から除外。
それからは何も話さず、出来る限り早く、その場を去る。
いや、本音を言えば何も話したくなかったの方が正しいだろう。
藤咲さんはどうなのかは知らないが、少なくとも俺はもう何も話したくなかったし、考えることすら拒否していた。
必要なことだけ、今どうするかだけ、それだけが今、働く思考。
聞くべきことは多々あるのだろう。だが、それ以上に聞きたくないことも、聞かれたくないことの方が圧倒的に多かった。それは、触れたくないと言うより、面倒でしかたがないという程度のものでしかないのだが、それだけにどうしようもなかった。
俺の思考は吐き気がするほど、澄み切っていて、そしてたぶん狂っていた。
(ナイフをどうする? このナイフにはなぜか血痕すら付着していない……かといって、 手元に持っておくのか、いや、出来るだけ早く始末するべきだ。理想を言うなら、佐才に任せるべきだが、今回は自分で何とかするしかない。ただナイフを発見されても俺を、ひいては佐才を辿られることはないだろう、だからこそ借りたのだから。なら、直接的な証拠さえの残さなければいい)
混沌とした思考。
(警察はどう見る? あの死体の様子は尋常ではないものだった。そう、死体というよりはというよりは燻製や乾物に近いもの? いや、木片に近いな。血液は付着しない……ということは流れていなかった? 出来ればあの死体を詳しく観察したかった、が、二人の前ではどうしようもないな。おそらく……本当に憶測でしかないが、見た目だけならともかく、検死が行われるなら、直接の死因がナイフであるとは思われないだろう、それどころかあれはそれ以前の問題の物体だろうな)
頭を巡る情報。
(誰か目撃者はいるのか?こればかりは……確認できないし、いればどうしようもない。だが、周囲に人の気配はなかったはずだ。もしあるなら、そもそも襲われることはなかっただろうし。最悪、少し遠目に見られたからって、問題もない。いくらでもどうにでもなる……か? まずはこの面子の安全性を確認するか)
結論はいつも安全圏にいるにはどうするか。
こんな状況で、こんな思考する自分が冗談抜きで恐ろしい。
実感する。
ああ、やっぱり、俺は正常じゃないんだ。って。
だいぶ、現場から距離的に離れてきて、自然と俺たちの速度も落ち始め……その足が止まる。
そこは市街の中心から外れた場所、林や川が流れる、住宅街だった。
その歩行者専用の橋の上で一息つく。
この辺、なら大丈夫かな。
なら、さて、これからどうする?
俺は再び思考に戻ろうとする。
「本当にこのままでもいいのかな」
「え?」
唐突に口を開く藤咲、俺は聞き返す……しか出来ない。
「家族の人とか……どう思うかな」
家族……か。さっきはああ言ったが、まぁ、いるのかもしれない。
あれが人間、もしくは元人間だとしてだ。
でも、家族に判別できる状態かな、あれは。
そう考えても、口が紡ぐのは別の言葉。
「……だとしても、家族の人とかに事情を説明しても……理解できる範囲外なんでしょう?」
「うん」
藤咲は泣くわけでもなく、怒るわけでもなく、ただ頷いた。
そのままうつむく。
はっ、気がついたかのように視線を上げた。
「あ、あの、腕のけがは大丈夫?」
「え?」
また、間抜けにも聞き返す俺。
「すごく血が出てるみたいだけど」
藤咲のほうからは影になっていたので、正確に何が起きていたのかはわかっていなかったのだろう。この傷は……噛まれた時の傷だった。
俺は藤咲の言動にどこか違和感を感じながらも、言葉を返す。
「あ、うん。大丈夫。たいしたことないんだ。出血も止まってるしね、意外と浅かったみたいで」
牙による傷は問題ない、制服の上からだったのが幸いした。制服と言うものは意外に厚く出来ている。
ダメージに関して言うなら問題なのは、肉が顎の力で引っ張られること。常人の顎でも人間の肉を引きちぎるぐらいは容易にできる。人間の最も力の強い部分は顎であり、本来なら、腕が使えなくなってもおかしくなかったのだ。
そうならなかったのは、噛み付かれた時にとっさに腕を引かなかったこと。腕をもし引き抜こうとすれば、直接的に顎の筋肉に肉を引きちぎられていただろう。
それと、多分、最初から限界だったのだろう。あの男が死ぬ寸前だったからだ。
って、そんな奴に負けそうだったのか俺!?
まぁ、その事実は忘れておこう。図々しくお節介なことをしておいて、勝手に無駄死にするところだったと言う、格好悪い事実は忘却しておこう。
……よし。
さて、結局の所、あれは一体なんだったのか。
噛まれた傷がうずく。
なにかのウィルス感染患者とか、だったら嫌だな。
その場合、完璧に多分殺人になるだろう。もしかしたら、正当防衛になるのかもしれないが、それでも俺の中では殺人には変わりない。人を殺すと言う意味で、死刑が殺人なのと同じように。
さらに、感染症患者の場合、俺にも感染した可能性が出てくる。それも、恐らく未知の感染症。
……なんにしても、厳しい末路には違いない。
深く考えると、真剣に落ち込みそうなので、かなりぶっちゃけて「どうでもいい」とか思っておくことにする。
考えること思うこと感じることが、無駄になり、害になり、迷惑になる。そういった事態には、何も考えず、思わず、感じないことが重要だ。
(じゃないと精神を平常に保てそうに無いからな)
そういう時、普通は取り乱したり、絶望したりして、自分を保つんだろうけど。
俺はそういうの、かなり苦手だった。
思考を切り替え、俺は藤咲に向き直る。
「……とりあえず、さ。これから、藤咲さんはどうするの?」
「えっ?」
「まだ、続ける?」
なにをしているのかはわからないし、なにがあったのかも知らないが、だいたい想像はつく。なにが起きていてなにをしようとしているのか、ぐらいは。
なんとなく、身に覚えもあるし。
藤咲さんは左右に視線を揺らしてから、うつむく。
つくづく鬱陶しいな、こういうタイプの人間は。
「回りくどいの嫌いだから言うけど。藤咲さん、今生きてるけど。本当は死ぬはずだった……んだよ?」
実は俺もだが。
藤咲は律儀に頷く。
「……うん」
「で、次もまだやるの? なにするのかは知らないけど」
「…………」
「もしかしたら死ぬ気なのかもしれないけどさ。何か目的があるならそれを果たす前に死んでいいの?」
「…………」
「絶対に果さなきゃいけないんだったらさ。手段を選ばず、目の前にあるものを利用したら?」
そう、例えば俺とか。
「それが出来ないなら、そもそも藤咲さんには無理だったんじゃないの? それなら、出来る人間に任せたら?」
そう、例えば俺とか。
「出来ないことやるより、出来ることだけした方がいいと思うよ。その方が、自分のためだし、みんなのためになるんじゃないかな。変な意地を持つのはよした方がいいよ」
……まぁ、そのみんなは俺のことを含んでもある訳だが。
そこまで言って、言葉を切る。
だが、藤咲は無言。
……無視か?
「八賀谷君はどうして」
うつむいたままの藤咲。
「どうして?」
泣かれる……のか? 今さら?
俺は目線をそらす。
それに反応したのか、彼女の言葉はいったん切れる。
が、その上で強い声で再び言葉を続けた。
「どうして、こんなにタイミングよく出てきたの?」
そういう話か。
……結局は俺の発言はすべて無視ってことでは?
もしくは、話を全力でそらしたいと言うことでは?
俺は肩をすくめる。なるべく彼女に、俺の言葉が嫌味に聞こえるように。
「それは助けなきゃよかったって事かな」
ついでに俺は鼻で笑ってやった。
だけど、彼女の声に変化は無かった。
「そうじゃないよ、私が聞いてるのは」
そして、恐らく揺るいでいない、彼女の目。
「どうして、私を助けることが出来たのってこと」
彼女は顔を上げていた。
鬱陶しいぐらいに、真っ直ぐな視線。
その声を聞きながら、俺はこの質問をぶつけるために、藤咲は大人しく俺についてきたのではないか、と考えていた。
実際にあの場から離れると言いだしたのは俺だ。しかし、あの状況からして、俺、もしくは彼女がこの場から離れないことがありえただろうか。
例えば、彼女がそれを言い出して……俺が断わることはありえる?
いや、言い出す必要もない。彼女は手っ取り早く、あの場から突然逃げるように走り出せばいい。それで、俺があの場を離れないことはありえるだろうか? 彼女を助けに来た人間が、彼女を追わない可能性は?
仮に俺があの場に留まろうとしたら? それを彼女が拒否をしていたら俺はどうした? 俺がもし、警察に連絡しようとしたら……だが、すべては憶測だ。
俺は、結局、低次元な言い訳をする。
本来ならするはずも、必要もない言い訳。
「偶然だよ、たまたま通りかかっただけだ」
「ナイフを準備していたのに?」
「いつも、持ち歩いてるんだよ。そんな男子も居ないわけじゃないだろ」
勿論、嘘だ。佐才から借りた。
そういう佐才も、無用心にそのまま持ち歩いてると言うことはまずない。というか、刃物を普通に持ち歩くヤツは阿呆だ。だいたい持っていない方が安全で有利な場合も少なくない。
藤咲は、ふふっと、笑って、俺の口元から目へと視線を流した。
「八賀谷君、嘘が下手だね」
「嘘って断言されても、俺、困るんだけど」
「どうしても、普通にごまかしたいんだったら、今朝の私を見て心配になって、放課後も校門を張ってたとか、いくらでも言い様は利くんじゃないのかな」
俺は沈黙する。
「八賀谷君って本当はけっこう頭が良い、というより普通は見えない、いろんなことが見えてる。でも、見ようとしてないって言うか、そんな気がする」
俺は彼女の言葉に口を挟まない。
「もしかして、八賀谷君は本当は疑われたいのかな?」
そんな俺を見て藤咲さんは断定する。
「そして、本当のことに気付いて欲しい。理解……されたい?」
俺はあくまで彼女のほうを見ずに、考える。
だが、彼女の視線は俺の背中にひしひしと当たっていた。
痛い。
なにかが切り変わった優しさのない視線。
「そんな曖昧な言葉で人を語らないで欲しいな」
俺が言えるのはこれくらいだ。
出来るだけ彼女を突き放そう。
……と、そう一瞬だけ思うが。
思考に雑音が入る。
その雑音はそのまま俺の口から飛び出す。
「話を逸らそうとしているね。でも、いいよ。付き合ってあげるよ」
おいおい、なにを口走っているんだ? 俺は?
「俺は……別に理解されたいんじゃない。理解し合いたいんじゃない」
俺の口は空回り続ける。
「理解してあげようなんて、そんなものがあるから、苦しめる。誤解が生まれる」
まぁ、なにか……止めたくもないものが入る。
「そんなものは理解するのに邪魔な感情だ。理解したいっての言うのは、自分が納得したいと言っているのに過ぎない。納得なんてものは主観的な考えだよ。相手の事なんか一切考えちゃいないんだ。
理解って言うのは、そんな余計なものは存在しない。あるがままってことだ。どうしようもない、変えようも、直しようも無い、解釈の余地すらない、ただそれだけのものだ」
どこかで、何かがはずれる音がする。俺の持っていた意図は消失した。
そうして、突然、持てる限りの、持てない程の、正真正銘の悪意と憎悪を持って、俺は彼女を睨みつける。
「理解が助けになる? 馬鹿馬鹿しい。人は他人を理解するために、生きてる人間の身体を切り開いて、醜い、誰にも見せたくない、隠し通してきた中身を見ようとする。人は他人に理解して欲しいと願うがゆえに、そんな醜いものを平然と見せびらかし、撒き散らす。それがどれだけ迷惑か、あんたにわかるか?」
それを見せびらかされてきた人間の気持ちはその人間にしかわからない。
「理解に最も不要なものは、理解されたい、したいという気持ちだ」
自分の発言のくだらなさに笑える。
「エゴだよ、それは。本来、理解は最も機械的で透明で無関心で冷たいものだ」
逆に言えばそういうものは求めているわけだ。
「アンタの視点で俺を理解しようとするな、そんなもの」
そんな、他人を巻き込んだ最悪のエゴの塊。
「吐き気がする」
どうやら、これは間違いなく俺の本音だったらしい。
俺はこんなことを考えて、ずっと生きていたらしい。
俺はそれを始めて、耳にし、口にした。
その時、彼女の顔が笑ったように見えた。
「私に理解なんか出来ない、あなたの気持ち、そんな考え。それと同じように、ううん、それと『なにもかも違うように』あなたにも私は理解なんか出来ない」
俺は口を挟めない。
「だから」
俺の言いたいことは全部言ったからだ。
「理解なんかいらない」
それは恐らく、彼女に何一つ伝わってない。
「ただ教えてくれればいい。わからなくたって、それで十分すぎるぐらい。私はそれで十分。だからいらない。嘘でもいい、そんなものわかるから。私には本当のことは何一つわからないの」
俺はただ言葉を聞くだけだ。
「もう一度、言ってあげる。私にはあなたのこと全くわからないの」
でも、と彼女は続けた。
それに対し俺は何も言う必要も、言葉も無い。
「私、気付いたよ。まだ、今度は手遅れじゃないんだよ。私は断言する」
なぜなら、彼女は彼女の勝手を話してるだけ。
「あなたを手遅れになんかさせない」
俺は当事者ですらなく、俺の意思はそこに関係なかったからだ。
「私はあなたをも助けてみせる」
これは彼女の決意表明。
俺の手は借りない、俺は不要で邪魔。誰の助けもなく、誰の理解もなく、全てを敵どころか、傍観者に変えてでもそれでも目的を達成すると言う意志の契約。
自分と自分、その本来の意味での一対一での誓約。
たった一人で戦うと言う、自らに課す絶対の制約。
つまりは……。
ようするに……。
ああ、どうやら、……と言うか、なにやらこれは宣戦布告らしかった。
誰への、か。それは誰にもわからない。
おそらくは彼女自身にすら。
*
俺たちの会話は、俺が木陰にいたウツロギに気付くことで中断になった。
どうやら、最初からずっといたらしい。
……それは、まぁ、そうだ。
というか、当たり前だ。
え? なんで忘れてたんだろう? 俺。
とりあえず、俺はウツロギに文句を言った。
「ったく、なんで見てたんだよ。さっさと声かけろよ。黙ってろって誰か言ったか、それとも気付いていないだけで実は声をかけたのか。って、かけたんなら聞こえるまで言う義務があるだろ」
「いや、話の間に口を挟むなといわれてる」
生気と活気にかけた声でウツロギは言った。
そういう部分では橋本の教育が行き届いてるってことか。
何と言うか、余計なことを橋本め。
「……全部聞いてたのか?」
それとも、ぼーっとしていただけか。
「別に聞いてはいない」
「……そうか」
「ただ、聞こえただけだ」
「結果は変わんねぇよ、それ! なに回りくどい会話してんだ、お前は!?」
「……会話に参加しろと言うことか?」
「余計なことすんなっ! 人の話聞いてんのか?覚えてんのか?」
沈黙するウツロギ。
少し間が空く。
「……一応、聞こえた音声は全て記憶している」
「それが余計だって言ってんだよ!」
俺がそう言うと、ウツロギは首をかしげた。
「……今度からは声をかける」
やけに素直にウツロギは言った。
いや、そんな風にされるとなんか俺が悪いような気になってくるだろ。
俺は黙って、腕を組み今後について考えることにした。
すると、小声でウツロギは何かを呟く。
「……部活は」
俺はそれを37秒ほど経ってから気がついた。
危うく聞き逃すところだ。目の前にいるのに、なんて存在感が無いんだ。
しかも、まだ、コイツはそんなこと言ってるのか。
「だから休み」
俺の声が届いているのかいないのか、じっと見つめてくるウツロギ。
やめろ、ウザい。
「なんだよ、なにか言いたいことでも?」
「休みだと困る」
ああ、あれか、橋本に怒られるのか。って、わざわざそのために来たのか?
なんで、そんな面倒なことに?いや、実質助けられたんだが。
「……一応聞いておくが、橋本になんて言われたんだ」
「八賀谷くんとしっかりとやんなさいよ、やらないと……えーと、と、とりあえず、じゃないと後悔させるからね」
棒読みで口走るウツロギ、普通に気持ち悪いぞ。いや、じゃなくて。
「なんてこと言うんだ、あの女。お陰で苦労するじゃないか!俺が後悔するわ!何に関してかはわからんけど!」
って、あ、つい口に出して言ってしまった。
仕方なく適当に俺は流す。
「じゃあ、今日は野外活動。題材を見つけたら終わりだ、見つけて帰れ」
「…………」
なぜ俺を見る。
「なんだよ?」
「……もう見つけたのか?」
見つけた? なにが?
ああ、絵の題材を俺が見つけたのかってことか。
「ああ、見つけたよ。嫌になるぐらいな」
絵を描くことは俺にとっては、暇つぶし、だ。
もう、それは見つけた。
「だから、お前も見つけろ」
「……どう見つける? どんなものがいい?」
「見てて飽きなきゃいいんじゃないか?」
絵を描く以上は長時間観察しなければならない。逆に僅かの間だけ見て覚え、自分の中だけのイメージや記憶だけで描く場合もある。
どちらにしても、自分が気に入らなければ描き終えるまで退屈な時間を過ごすことになるし、同じように退屈な作品が出来上がることになる。
それが、ウツロギにはわかりづらかったらしい。その目に浮かぶのは疑問、ではなく入力された情報の不足から来るエラー信号。どこかのパソコンみたいなヤツだ。
「飽きないとは?」
そこから来たのは単純にして深遠な質問だった。
だけど、俺は適当にあっさりと答える。
「変化のあるもの。見るたびに変わり、発見のある何か……だ」
ウツロギは、首をカクンと動かした。多分、頷いたんだろう。
この時、俺はこの発言と今回の状況によって、コイツの美術部の活動と言うものへの認識が、少々(大幅でも可)間違って構築されてしまったことに気付いていなかった。
気付いてなかったと言うより、そんなことに関心がなかったのが本当だが、これで後々ひと悶着……どころか何度も大騒ぎになるのだった。が、どうでもいいことにしておく。
それは俺の責任じゃない。いや、なのかもしれないけど、俺だけの責任って事はないだろう?
むしろ、ないことにしておけ。
「あの、ずっとここにいるの?」
藤咲さんが不安そうに声をかけてきた。
ああ、今度はこっちを忘れてたよ。
「いや……とりあえず、駅で解散しようか」
俺も要らないみたいだし、と付け足して言った。
藤咲は声のトーンを落とす。
「……助けてもらったのにごめんね」
「仕方ないよ。そうしたいなら」
俺も好きにするし。
そう言いつつも、どこか疲労感と面倒くささが重くのしかかって仕方ない。
でも、なんか今日一日で「仕方ない」と言う言葉に慣れてしまいそうだ。慣れるついでに親しみすら湧いてくるという哀しい事態が起こりそうで仕方がない。
まぁ、でも、普通に考えてこんなことがあったんだから仕方ない気が。
「そろそろ日が暮れる」
ウツロギがそう言った。多分、独り言だ。
それに対して、藤咲さんはわざわざ反応する。
「あ、そう……だね」
藤咲さんはウツロギに向き直る。
「あの、宇都木くん」
ウツロギは面倒そうに藤咲へと目を向けた。その様子は喧嘩を売っているととられても、何一つ文句が言えないような態度だった。
だが、それでも姿勢を正し正面に相対する。これも、橋本の教育内容か?
藤咲はすまなそうな表情になってから、笑った。
「ありがとう、助けてくれて」
「別に助けた憶えはなく、礼を言われる理由もない」
「それでも、助かったから」
ウツロギはなにを思ったか目を細める。
そして、億劫そうに口をもごもごと動かした。
「祖父が言っていた。生きることは傲慢さを通すものだ、と」
藤咲と俺は、ウツロギを見た。
「下らぬ意地を張り通し、礼儀も正しさも踏みつけ、他人に怨まれ、家族から疎まれ、迷惑困惑を撒き散らし、より強く重たく憎まれ、忌々しいものとしてその眼に射抜かれる。それが生きることだ」
重々しく、くだらない、それは説教だった。
年の食ったじいさんの言いそうなセリフだった。
「後悔しろ、悔やめ、泣け。だが、想いを折るな。臆せ、逃げろ、怯えろ。だが、戦い続けろ。そうでないなら、生きている意味など無い。それは死人だ。それが出来ているなら、心臓が止まっても生きていられる」
ウツロギの瞳は誰も写さない。
誰も目標としない。
ただ目の前にある者を写した。
「藤咲マミ」
誰も目標とせず、ただ単に事実を事実として伝う声。
「……今、お前は間違いなく生きている」
そう言って、奴は口を閉じた。
俺は驚く。
つか、お前、祖父なんていたのか。
藤咲さんも俺と同じように驚いた様子だった。
いや、ちょっと俺とはニュアンスが違うな?
「あの、宇津木君」
ウツロギの目は眠そう、というより死んでいる。
だが、藤咲さんはウツロギへ、感謝を告げた。
「上手く言えないんだけど、なんだか嬉しい……ありがとう」
ウツロギは藤咲から視線を外す。
「礼を言われる理由はない」
そう言ってウツロギは無感動にそっけなく応答し、歩いていく。
それは照れ隠しでもなく、本当に礼を言われる必要性を感じていないのだろう。
藤咲もそれを見て、同じように歩いていく。
そのやりとりを見て思う。
俺って、もしかして、人として……いや、なんでもないです。
認めたら、ここまで保っていた心が、今さら折れてしまいそうだ。
俺は黙って、二人の後ろに続く。
その上で、ウツロギと藤咲に、「ごめんなさい」をばれないように慎重にこっそり三回言った。それも、絶対に聞こえないように心の中で。
……その上、心の中での発言なのに小声で謝る、というチキンっぷりだった。
ウツロギくんを書くのが楽しくて仕方ない自分がいる。
……なんだろう?




