壊れた本気とサボタージュ
「どうもー、ミノリはちゃんとやってる?」
元気良く橋本アカリは美術室の戸を開けた。
しかし、そこに見覚えのある顔はいない。
ただ一人、自分より一学年上であろう生徒がいるだけだった。
「えっと……」
周囲を見渡せば、一人分の美術道具が放ってあった。
橋本は考える。
これは宇都木ミノリのものなのか、それとも八賀谷コウのものなのか。
「誰かをお探しかな」
戸惑っている橋本を見かねてか、その先輩に当たる生徒が声をかけてきた。
柔らかそうな微笑。
橋本は頷く。
「ええ、まぁ。……あのー、貴方は美術部の方ですか」
美術部で活動している以上は当然ながらそうなのだろう、本来ならば無駄な質問だ。
しかし、一応の確認、もしくは続く言葉に向けワンクッション置くという、会話の流れを考慮する手法を彼女は意識せず重視した。
だが、会話の流れなどあってないようなもの。
彼女に言葉に対して続くのは、涼しげで、かつ自分のことにしか興味がなさそうな声。
「いや、勝手にここを私物化している者だよ。よって部員ではない」
と「ふむ」とその声の主は一人で頷き、そして聞いてもいないことを語りだした。
スラスラと。
「とは言っても、それを問題として取り上げられたことは今のところないがね。つまりは、今ここでこの教室を、無断でありながら、一切の問題として取り上げられず、今まさにこうして占拠している人物こそは、まさにこの教室の主と非公式であるなら言えるのではないかな。などと、戯言を並べてみたわけだが」
会話の流れを重視した配慮。そんなものはコミュニケーション能力が一般的な基準にある人間にのみ、効果を発揮するものだった。
そうして、語り終えた果てに、その時点でようやく橋本に気がついたと言った風に、その視線を向けて先輩に当たる生徒は語る。
「さて、どういったものだろうね、橋本さん」
なぜか、自分と会話しているはずなのに、会話の対象から外されているような気分を味わっていた橋本は唐突に名前を呼ばれて驚いた。
「あの……どうして、私の名前を?」
「生徒会役員だろう、君は。と言うことは、他の生徒が君の名前を覚えていても、不思議でないのではないだろうか」
その質問を予期していたのであろう。すぐに答えは返ってきた。
そうは言っても、生徒会役員は二十名以上いる。その中でもまともに人前に出るのは、会長ぐらいだ。あとは数に埋もれてしまい、普通は誰も覚えてはいない。
異常な認識、会話。橋本はこの人物に心当たりがあった。
「あの、もしかして金檻先輩ですか?」
「ふむ、その通り。確かに今、君の目の前にいる者が金檻 戒だ。しかし、君のマネをするわけではないが、なぜわかったのかね。いや、そもそもなぜ名前を知っているものかな。これでも一生徒にしか過ぎないつもりだったのだけどね」
噂には聞いていた。二年生にいる三大名物的生徒の一人、金檻 戒。「これがあの、金檻先輩か」と橋本は感動とも嘆きともはっきりしない感想を抱いた。
一度だけでも、一目見たいと思っていたが、まさに、噂どおりの人物だった。
(と言うか、二年のクラスにまで行ったけど一度も見たことなかったんだよなぁ……)
そう思っている間にも、変わらずどうでもよさそうに、しゃべり続ける金檻。
「これは予想を裏切られたね。いや、予想なんてしていなかったわけなのだが、この言葉はもし予想していたら、と言う仮定に基づくこ言葉でね。そもそも、いちいち生きていくことに予想を立てている人間などいないと思うわけだよ。と言うことはこの言葉はそもそもそういった意図でないと使えないのでは?などと、愚考したのだがね」
橋本はなんとなく悟る。
自己中心的思考が強い人間は、相手の言葉を聞かずに、自分の話したいことを話そうとする。ただし、情熱的に、感情的にだ。
自分が一番だからこそ、自分の話したいことに熱意を持ってしまう。
では、この人物は?
笑顔ではあるが、特に熱もなく、むしろ涼しげな、冷静な様。
それでいて、こちらの意図には考慮がない。
その答えは一つ、きっと、どうでもいいのだ。
自分の意図も他人の意図も。
だから、気にならない。
一番があるから、他のものを見ない。一番がないから、他のものを見ない。どちらにしても、普通の会話にはならないと言うだけだ。
橋本はその感想に納得する。
どちらがいい、などの考えはいらない。
そんな人間が正しいか、間違えているかなんて思考はこの世に必要ない。
現実にそうがある以上、そういうものだと考えるのが正しい。
さて、重要なのはその上でどうするかだ。
橋本は金檻の様子がどことなく、幼馴染に似ていると感じて、親近感が湧いた。
(アイツがもしもおしゃべりだったら、たぶんこんな感じなんだろうな)
そう思ったものの、「それはありえない」と冷静に自身に突っ込みを入れてしまう自分。
そう、問題はその幼馴染。
「あのすみません、その質問は置いておいてですね」
「ん、どうしたのかな。なんでも置いといてくれて構わないよ」
と、どこか外れた返答が変えて来る。
しかし、橋本は戸惑うことはない。そもそも、こういうタイプには慣れている、そういった自負が橋本にはあった。
コツは一つ、余計なことを言わず、必要なことのみを正確にかつ明確に話すこと。
「今日の放課後、1年生の宇都木稔は、美術室に来ていないでしょうか。彼が今ここにいると思ってきたのですが」
その言葉に金檻は頷く。言葉への反応が常人よりも、若干早い。
「来たよ、先ほどのことだけどね。すぐに帰った。帰ったと言ってもそれを確認したわけではないが、教室に姿を見せ、立ち去った以上は帰ったと判断した。よって、彼は今ここにいない、会いたいのなら帰るといい」
「そのときどんな様子でした?」
「別に。真実、嘘誇張なく『別に』だ。様子どころか表情もない。美術室の戸を開き教室内の様子を確認したら、すぐに立ち去ったからね」
橋本はその理由を察した。
一昨日、八賀谷に謝り来た時、美術室を出てから幼馴染に向けて橋本は言った、「八賀谷くんとしっかりとやんなさいよ」と。思い出して少し頭が痛くなる。
(いや、確かに私はそう言ったけど)
そしてもう一つ、「ここ、部活するの自由らしいから」
(……八賀谷君が居なかったから自由に部活動したな)
ようするにサボりだ。本来、実際のところ来なくてもいいのだが、橋本としてはそれでも部活に来させたい。
どうしたものか、と橋本は考える。
質問が途切れたわずかな間に、金檻が言った。
「置いといた質問を取りに戻ってもいいかな」
それを橋本は無視する。
無視されたことに対し、気にする様子は金檻にない。
橋本の疑問は一周して、美術室に戻っていた。
「あのー、その放置されている美術道具は誰のですか?」
一瞬、間が開く。
「それかい?」
なぜかその言葉に対し金檻戒の反応が遅れていた。金檻戒において会話における反応の遅れは、本人が意図したもの以外では、かなり珍しいことである。
だが、橋本は反応が遅れたことではなく、金檻が会話にワンクッション置いたことに違和感を持った。
会話に反応するのに、1秒程度間が開くのは普通は珍しいことではないから、そこに疑問を持たないのは特別なことではない。
だが、会話の流れ、組み立て方に目を向けて違和感を得た橋本の洞察力は、普通の女子校生と比較すればかなり特異だと言えるだろう。
金檻は眼鏡を中指で上げ、その表情から笑顔を消し。
そして、どうでもよさそうに呟いた。
「八賀谷コウと言う、一般からズレた者に押し付けられたんだ」
だから、今は金檻 戒の私物だよ。と、そう最後に付け足して、金檻は作業に戻る。
橋本に対して興味を失ったかのように。
しかし、そこで気にする橋本でもない。
(と言うことは)
現在ある情報からの結論。
(……みんな、今帰ったばかり?)
*
牙をむき出しに飛び掛ってきた男を、俺は体当たりで突き飛ばした。
間一髪、と言う形容が一般には当てはまるのだろうが、俺にとってはあまりに予測しきったタイミングだったので、狙い通り丁度良くが状況としては正しい。
転がる、両腕のない男。
「あの、大丈夫?」
今朝のように、俺は少し居心地の悪さを感じながら、藤咲に声をかけた。
藤咲は異様に戸惑うようなそぶりを見せる。
「八賀谷……君?なんで、どうして。いや、だって」
なんで、そんなに驚くのだろうか。
ちょっと傷付いた気がする。
……って言うか俺、もしかして格好悪い?
「まず、ありがとうでしょう?藤咲さん」
そう言ってくれ、じゃないと素で落ち込みそうだ、俺。
と、言ってる場合ではない、か。
俺はその両腕のない男(身体的特徴としては十分なように思う)に対して身構えた。
その男の服はぼろぼろで、多分洗濯もせず、風呂にもしばらく入っていないだろうと言う気がした。と言うか、息は荒いし目つきもどことなくやばい。
あんまり、触りたくないなぁ。
そう思いながら、左手で威嚇のための折りたたみナイフ取り出し、刃を相手に向けた。
そうして、他者に刃物を向けない。と言う、社会常識から逸脱する。
人に刃物を向けるなんて、ガキの遊びじゃあるまいし。と、少々抵抗がある。
だが重要な問題はそこではなく、ここからどう生き残るか、だ。
男が立ち上がる……ことはなく地面に這いつくばり、目を細めた。
「……お前がそうなのか?」
突然に男の顔に現れる理性と知性。
よく見れば、大学生ぐらいだろうか。俺から見れば年上だが、一般に若いといわれる部類に入るだろう。
話は通じない相手かと思ったが、もしかしたら。
俺はなるべく、穏やかに話しかけた。
「どこの誰かは知らないが、あんたの襲撃は失敗した。ここいらで引くのが賢い選択なんじゃないか?」
男は若さに反し枯れた声で笑う。
「馬鹿な、獲物を前にして引けだと。お前は俺に死ねと言うのか」
俺は静かに呟く。
「交渉決裂……いや、不成立か」
確かに、間違っていたのは俺のほうだ。
相手は彼女を殺そうとした、いや、俺が居なければ彼女の死は確定済みだった。
事実上、コイツは彼女を一度殺したわけだ。一撃で、ためらいもなく。
そんな人間に、殺すなという方が間違っていた。
そう、コイツは彼女を一度殺した。
見逃すなんて、間違えている。
……コイツはここで殺しておくべきだった。
俺はなるべく冷静を装う。足は肩幅、左足を引くのではなく、右足を前に出す。つまり、より相手に接近する。
「悪かったな、妙なことを言って」
そして、右手を前に突き出し、逆にナイフを持っているほうの腕を引いた。
ナイフのグリップを確かめるように強く握り締める。
「もう馬鹿な話を聞かなくて済むように」
俺は対峙する相手を睨み付ける。
「……ここで終らせてやる」
「八賀谷君、ダメだよ!」
藤咲がなぜか俺を止める。
「そのまま動かないでね。下手に動いたり、逃げたら安全の保障は出来ないからさ」
コイツを足止めする技量は俺にない。抜かれたらそれまでだ。
となれば、単純に俺が藤咲の壁になるために、出来るだけ近い位置に自分を置くしかない。
(護りながら戦うなんて、できるほど強くないんだけど)
いや、そもそも俺は素人なんだ。護りながら戦う必要なんてない。
護らずに戦わずに、こいつを仕留めればいい。
つまりは作業だ。
オーケイ、落ち着け俺。こんなものすぐに終る。
と、男がニヤリと笑って再び牙をむき出しにし、器用にもそのまま話し出した。
「終わりにするか、それもいいな」
この表情、どうも人間を相手にしている気がしない。
俺は肩の力を抜いて次に備えた。
「さあ、早く終わりにしてくれぇっ!」
ダ、ダンと2回地面を叩く音がして、男が飛び掛ってくる。
狙いは俺の首、突き立てるは牙。
俺の首にキリキリと走る熱さと痛みが、相手の狙いを的確に示した。
突き出してある利き腕をあえて盾、すなわち犠牲とし、首を守る。その瞬間に、俺の気の早い痛覚はしっかりと働き、熱さと痛みが、首ではなく、右腕に広がる。
それと同時に、握り締めたナイフを軽く突き出す。狙いは首だった、相手が俺を狙ったように、人間における弱点を俺も狙う。予め、定められた決定された部位に対する攻撃は、俺の腕によってせき止められ、予想されていた位置にピンポイントで突き刺さる。
そして――。
何も考えず適当に、力いっぱい引いた。引き抜き、引き尽くした。
「ごぶっ」
気持ち悪い声が聞こえ、その主は地面に崩れた。
背後からは、藤咲の押し殺した短い悲鳴も聞こえる。
これで作業は終わり、俺は現実に戻れるはずだった。
何一つ手に残らない感触。
出血がない。
と、突然の感覚。
(やばい、これもいつものヤツだ)
身体に走るであろう衝撃に、反射的に身体を硬くしてしまう。
崩れ落ちた男は、先のない右腕で殴りかかっていた。
いつもの感覚に、いつものように癖になったように両腕を交差させ、前に出す。しかし、それごと俺は殴り飛ばされ、全身に衝撃が掛かる、と自覚した瞬間には既に倒れている自分の状態だった。
アスファルトにねそべっている状態だが、意識はある。
だが、込み上げてくる吐き気と痛み、絶え間なく襲いかかるそれに立ち上がるのがせいぜいだ。俺はよろよろと一切の頼もしさをそこに含ませずになんとか立ち上ろうとする。
――まともに入ったな。
そもそも、なんだこれ、どういうことなんだ?
致命傷は与えた……はずなのか。
なら、これはなんだ。
目の前には腰を曲げた姿勢で、平然と存在する男の姿。
勿論、その身体に出血はない。
(しくじったって言うのか)
これは正直どうしようない、絶対絶命ってヤツだ。
その気になれば、相手は俺どころか、藤咲をすぐに殺せる。
幸いなことにまずは俺から殺す気らしいけどな。
(考えろ、ナイフはまだある)
右腕……上がらない。動かせるかもしれないが、痛みでしびれて、さっきみたいなことは出来そうにない。
左腕は……大丈夫だな。って言っても、両足はがたがたで、踏ん張りは利かない。
さて、これはアウトだ。足が動かないなら、まともに攻撃なんて出来ない。当てれるかどうかじゃない、当てても無駄なんだ。
「残念だ、非常に残念だ」
見てみると、男の喉には穴が開いていて、しゃべるのに合わせてそこから空気が漏れる音がした。
(おいおい、それは反則だろ)
失敗したんじゃない、狙い通りに攻撃に成功したのに無駄だっただけだ。
なんだか、B級ホラー映画を元にした冗談でも聞いてる気分だ。どうにも現実感が無い。
ゆっくりと、俺に近づいてくる。
「終わりになったはずなのに、まだ続くんだよ。お前のせいでな」
話す言葉も、音も耳を塞ぎたくなるほどひどい。
が、話さずにいれば空気の漏れる音もないようだ。
……呼吸すらしてないのか。
俺の頬は引きつっていた。
死んだな、これは。
俺はその場に座り込む。
男はヒューヒューと耳障りな音を出しながら、これまた耳障りな声で笑った。
「大人しくしてれば苦しまずに餌にしてやるよ、雄の餌なんて狩るのは初めてだがな」
餌、ね。
俺は笑いをこらえる。
「そりゃ、どうでもいいんだが、勘違いだ」
「なんだと?」
男の歩みが止まる。さっさと殺せばいいものを。
「俺の感覚は、今ある痛みだけで一杯いっぱいなんだ。他の痛みは一切感じてない。どういうことかわかるか?」
男は怪訝そうな顔をする、もしかしたら、俺が狂ったのかとでも思ったのかもしれないが、正直コイツにそんなこと思われる筋合いは無い。
まぁ、そんなのも、どうでもいい。
俺は事実のみを告げる。
「俺は死なないってことだよ」
その時、ウツロギがヤツの頭を掴んだ。
ヤツの姿が一瞬消えたかと見間違うほどの回転、ほぼ同時に複数のなにかが砕ける音が響く。
ウツロギはいつも無表情なはずのその顔を、不快そうに歪めた。
「邪魔」
今度こそ、男は崩れ落ちる。
約一名を除きその場に居る全員が唖然としただろう。少なくとも、俺はした。
ウツロギは顔を俺のほうへ向け、呟く。
「今日、部活は?」
俺は脱力する。
緊張感のかけらもない、いつもどおりの無機質で力のない声。わけのわからない言動。
「……休む」
俺はかろうじてそれだけを言った。奴に声が届いたかは知ったことじゃない。
なんというか、頭が一気に冷めてきた。
今、相手が人じゃなかったら、人殺しになる所だったのか?
俺は軽く左右に頭を振った。
……悪夢でも見てたのかね。
俺は、間違ってもそういうことをする人間ではない。
その時、視界の端でなにかが動いた。
「残念だ、まだ終ってないらしい」
折れ曲がった足で立ち上がった男の首は、ありえない方向に曲がっていた。
もう、よしてくれ。疲れたんだから。
だが、悪夢は終らない。
「苦しみはまだ続いていくんだよ」
男は泣いていた。
そのまま、再びゆっくり近づいてくる。
ウツロギは男に向かって構えた。
「やめて下さい」
震えながらも、強い意思を持った声。
ウツロギは無防備に振り向いた。
男がそれを襲うことはない。
前へと出てくる、藤咲。
「もういいんです」
男はそれも襲うことがない。
ただ藤咲を見つめるのみ。
藤咲は無理やりに作った笑顔で、笑いかけた。
「貴方が助けを求めてたんですね、ずっと」
私に向かって。と、そう藤咲は人間らしい真っ直ぐさで男を見詰める。
そこに恐怖はない、ただどう接したらいいのかという戸惑いがあるだけだ。
藤咲は一生懸命に言葉を紡いだ。
「届いてましたよ……それと」
遅れて、ごめんなさい。
辺りが静まる。
夕日が男を染める。
そして、グシャっと男の体は崩れ落ちた。
残るのは、人間だったものではなく、元は人間だったものの肉の塊だった。




