~藤咲マミとミマタ
「それじゃあ、私帰ります」
私は鞄を手に持って席から立ち上がった。
加藤先生はカップや皿を洗いながら、私の方を見た。
「あら、今日もなんだか早いのね」
「担任が会議なので、話がまた先延ばしになったんです」
「そう、丁度よかったわねぇ。じゃまた明日ね、藤咲さん」
加藤先生がなぜか意味ありげにウインクして来た。
私は笑い返す。
「はい、また明日よろしくお願いします」
どこか満足気な加藤先生の笑みに送られて、私は保健室を出た。
窓をみると日が傾きかけているみたいで、空が若干赤みがかっていた。
(あ……そういえば、八賀谷君に謝らないといけないなぁ)
自分が忘れてたことに本気でビックリした。
まぁ、いいよね。
明日も会うことが出来たらってことで。
もしかしたら、まだ彼は美術室にいるのかもしれない。
けど、わざわざ会いに行くのも気が乗らなかった。
(そんな、「心残りなくしておこうか」みたいなことしたくないし。やっぱ、カッコ悪いよね)
私は出来るだけ力強く頷いて、玄関の方へ向かっていく。
行き先は決まっていた。
どこかはわからないけど、とにかく近い場所。
すぐにたどり着く玄関、私は靴を履き替えた。
そして、耳を澄ます。
方向は公園の方。もし、予想が正しいなら、昨日あの変な男の先輩に声をかけられた場所だろう。
(そう遠くないとは思ってたけど、まさかこんなに近かったなんて)
今から心の準備をしている暇もなさそうだった。
でも、別にいい。
心の準備が整ってなかったとしても、出来ることに変わりがあるわけじゃない。むしろ出来てないからこそ、自分の覚悟を示せるのかもしれない。そんな考えが私の中に生まれる。
それと同時にそんな自分にどこか違和感を感じた。
まるで肝心な何かを失くしている様な、見失っているような感覚。
(なんだろう、これは……)
それは私にとって前にも感じたことのある感覚だった。
いつも私はそれを心のどこかで感じていて、誰もがそう思っているのかとぼんやりと考えていた。でも、今私はそれをはっきりと感じている。
明確にそれを言葉に出来るほど。
(そう、これはきっと……誰もが感じ思っているはず。いつも心の中で)
私はきっと、それを、その感覚をまた忘れてしまうのだろう。それが少しだけ私を悲しくさせた。
*
獲物は近い、ミマタは身体を震わせた。
いつものように、そう望むだけで獲物は自らミマタの元へ寄ってくる。
まるで、自身が狩られる事を望んでいるかのように。
ミマタはそれを不思議に思うことはなく、ただそれだけの自然な現象としてそれを捉えていた。
つまり、目を凝らせばよく見える。耳を澄ませばよく聞こえる。
それに等しい。ただそれだけの、事象。
あって当然の常識にして、結果。
ミマタにとって、その獲物が自分の前に現れるということは、何一つ疑問に思わないはずのものだったのだ。
今ミマタは、路地裏ではなく、ミマタは未だ遠くにある獲物(恐らくは学校にいるのだろう)を仕留めるため、この公園に多くある木の一つに潜んでいた。
自身が路地裏を出ることを恐れていたことは、最早憶えていない。
犬のように、その肘の辺りから切断された両の腕を前足として立ち上がる。
ミマタは白衣の男から一つだけ指示を受けていた。
それは、狩り損ねた獲物を狩ること。
ただ、それだけ。
その指示の意図がミマタには理解できる。
一つは、どうでもいいことだが目撃者を消すこと。
これはミマタを動かすための、一応の理由に過ぎない。そうミマタは判断している。
本来、そんな理由をつける必要性は男にはないはずだが、実際にそれを理由として指示をしている以上はそうなのだろう。
ミマタを動かすためだけの理由である、と。
(いくら奴でも、さすがに面と向かって「死ね」とは言えんらしいな)
二つ目に、妨害者をおびき寄せるための、それは餌としての意図だ。
今まで、餌を集めるために動いてきた自分が、今度は自身が餌にされるとは皮肉な話だ。
いや、既にもう自身は餌だった。
だが、そう理解したことに対し、何かをするという発想はもはやミマタにはない。
なぜなら、そういうものだからだ。
そうであることに理由などあったとしても、その意味をなさない。
スッと音もなく、とミマタは獲物のいる方向へと向き直った。
日も暮れてきており、周囲一帯のその光景も赤く染まっていた。
そろそろ狩りの時間である。
学校の授業はとうに終わり、部活動を行う生徒を除けば、多くの生徒達はみな既に一帯を通り過ぎていた。
なぜか、獲物は未だ校内に留まっているようだが、理由があろうとなかろうと今のミマタには関係のないことだった。
ふと、変化に気付く。
獲物は建物から出、こちらへと向かっている。
しかし。
(……走っているのか?)
真っ直ぐにこちらに向けて近づいてくる、それも明確な意思を持ってのことだろう。
(なんだ、これは)
確かに、自ら獲物はミマタの元へとやって来る。
しかし、それはあくまでミマタの意志によって、なぜか獲物が来る。ということであって、獲物が自らミマタを目指して来る、なんてことは今までに一度もないことだった。
どうしようもない違和感。
目を見開いても度の合わない眼鏡を掛けているかのような、耳を澄ませとも水でも入っているかのような、なにか強烈なフィルターを通している得体の知れない感覚がミマタを襲った。
と、ミマタの前に獲物の姿が現れた。
昨日と同じ、制服姿の女子。
暗く、姿かたちをしっかりと見ることは出来なかったが、間違いなく昨日の獲物と同じ臭いだった。
しかし、獲物だったはずの少女のその目は、潜んでいるミマタをしっかりと映していた。
少女は口を開く。
「貴方が……そうなのね?」
そのはっきりとした声を聞いた瞬間に、ミマタは再び身を震わせた。
恐怖によって。
ミマタの思考は一転する。
(殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ、殺さ……殺す!)
少女は再び口を開き、ミマタに語りかけようとするが、その声を聞くこともなく。
ミマタは少女に飛び掛った。




