なぜ嘘なのか
主人公の女性の好みは結構あれです。その上、女性関係が結構あれな気がします。
街中を歩けば自転車通学の学生やらサラリーマンやらなにやらで、どこを見ても嫌になるくらい人が道でうごめいている。
少しぐらい減れば良いのに、思い切って整理したらいいと思う。誰かが。
駅に向かっている中で、美弦が口を開いた。
「最近、少し早起きなのはどうして?その気になればまだ一時間は寝れるじゃない」
美弦がこちらを見つめてくる。
俺は美弦を見ずに平然と返した。
「美弦と朝ごはん食べたいから」
これは嘘だ。
美弦の表情が固まる。
「本当に?」
少し声が弾んでいるようだ。
美弦に、気持ち悪いとか何言ってんのとか、頭おかしいんじゃないとか、控えめにもそれぐらい言いわれるかと思ったんだが。
実は冗談のつもりだったのに、これで今から嘘といったらどうなるかな。
そう思いつつも俺の口から出るのは別の言葉だ。
「うん、この時間に起きれば駅まで送れるしね」
最近、無駄に嘘を重ねている気がする。いや、完全に嘘ってわけでも無いんだが。
ちなみに、嘘をついていて良心が痛んだことはない。相手が喜んでくれるからだ。
むしろ、本当のことを言って相手が悲しんだ時のほうが、俺は痛む。
嘘とは優しさだと言っていた人がどこかにいた気がする。誰だったかな。
「そっか」
そのまま、美弦は黙り込む。
こういう時間も悪くないのかもしれない。
そのまま、駅の前まで来た。
「もういいよ。ありがと」
美弦ははにかんで言った。
「いや、俺が好きでしてるんだから」
むしろ、そのまま駅の中まで行きたいぐらいなんです。
などと言ったら怪しまれるよな。かなり。
「それじゃあね、行って来ます」
軽く手を振りながら、歩いていく美弦。なんとなく名残惜しそうな様子だった。
俺はその場に留まり、手を振り返す。
次第に美弦の姿は見えなくなって行く。
「さて」
俺はそう呟いて、駅の中を経由してやや急いで駐車場へ足を運ぶ。
あのままついていったら急がなくて済んだんだが、そうもいかない。
そして、駐車場で待つこと2、3分。
もう、そろそろかな。
俺は後ろから肩を叩かれたような気がして、反射的に振り向く。
そこには俺に肩を叩こうとして、その手前で手を止めた女性がいた。
もちろん、手が俺に触れたと言う事実はない。正確にはなかった、だ。
肩より少し長めのストレートの黒髪。その夜の闇を絹にしたかのような黒髪によく映えるルビー色の紅いピアス。そして、その紅の映える陶器のような白い肌。
俺はひそかに彼女を一つの芸術だとそう認識していた。
その女性の名前は神城 由枝。
彼女は俺の学校の数学担当教師だ。
彼女は嬉しそうに笑う。その知的な涼しげな瞳を持つ彼女がそんな幼い表情を見せるたびに、俺はなんとも言えない気持ちになる。
「相変わらず良い反応してるね。足音どころか息も消してたのに」
そこまでするか、肩を叩くぐらいで。
「確かに気配は判らないですよ」
ただ、それだけじゃ駄目だ。
先生は静かな目で俺を見る。そして笑った。
「なんだか自慢されてるみたいね」
「自慢してるんですよ。一応、俺の勝ちですよね」
「勝ち負けがあったとは初耳ね」
それは俺も初めて聞きました。っていうか今作りました。
「今日も美術室で時間を潰すの?」
優しい声で先生は俺に尋ねる。それは俺に言わせれば油断を許さない声だ。
なぜなら優しさは嘘だから、だ。
「ええ、まぁそうなるでしょうね」
俺は肩をすくめる。
由枝先生は納得したのか、してないのか。とりあえず頷いた。
「車、乗ってく?」
少し首をかしげる。黒い髪が揺れる。
俺は先生の首のかしげた角度分だけ、見惚れてしまった。
駄目だね、俺はまだまだ甘い。
油断しない、なんて間抜けなことを考えるレベルにすらない。
「はい。また、お願いします」
俺はそう返事して、歩き出す。
それこそが俺の目的だ。大して学校まで遠くはないけど。
先生も俺の様子を見て歩き出した。
すぐ近くに先生の車はあった。
既にエンジンは掛かっている。
よくわからないが、赤い車。友人によれば高い車らしい。
フェラーリだったかベンツだったかは忘れた。どちらでもないかもしれない。
男は誰しも車やバイクに興味を持つ、そう友人は言っていたがどうも納得できないし、この通り俺はまったくそんなものに興味はなかった。
確かにこの車が高そうなのはわかる。だが、どこがいいのかまったくわからない。車やバイクにまったく興味の持てない俺は男子というものからはずれているんだろうか?
先生は鍵のスイッチを押す。自然と開く鍵。
意図的に人工的な力で鍵を開けたわけだから、自然に開くという言い方は正しくないのかもしれない。かといって自動的もおかしいと思う。
ふん、こんなところに拘るから、わけわかんない、と一蹴された挙句美弦を怒らせるんだ。
先生は車に乗り込んだ。
俺もそれに続いて、助手席に乗り込む。
「毎回、生徒を乗せて何か言われませんか」
俺は尋ねた。
先生は肩をすくめる、その動作は先程の俺を真似たものだ。
「さあね」
言いながらシートベルトを締める。
俺もそれに習った。こうやって言葉を濁すのは大人の女性だからだろうか。
とりあえず、俺はこういうやり取りも悪くないな。とそう思った。
そもそも俺は曖昧さは嫌いではない。
車が走り始めた。
俺は一息つく。
この時間はとりあえず何も考えずにすむ。それは貴重な時間だ。
朝からようやく落ちついたかな。
はたから見れば、常に変わりないんだろうけど。
「疲れてるね。なんだか」
相変わらず優しい声。人に、特に女性にそういう声をかけられるのは慣れていない。
「そういう訳でもないですよ。それに、もし疲れてるなんて言ったら、大人に子どものクセにそんなこと言うなって言われちゃいますし」
おどけて俺は言った、あまり面白くもない本音だ。だから俺は大人の前で疲れたとは言わない。
車が駐車場から出た。
それと同時に先生は笑う。
「普通、子どものほうが大人よりも疲れることは多いの。何も言えないし出来ないから。大人が疲れているのは日々の生活や仕事などではなくて人生そのもの、飽きてるだけよ。そんなの疲れているうちになど入らない」
これは冗談のつもりなのだろうか。
「何かが『出来る』とか『言える』境遇より、何も『出来ない』とか『言えない』境遇の方が疲れますか」
俺は外を見ながら先生に返す。みんな駅に向かっている気がする。勿論、駅から出て行く人もいるけれど。
「何か出来たり、言えているとあまり自分が疲れていると気付かないものよ。気付くのはするのをやめてからか、出来なくなってから」
理屈はわかる。そういうものかもしれない。
真剣になっていると、休憩時間になってから肩がこるものだ。
この例えは厳密に言えば違う話だが、まるきり外れた話でもないだろう。
疲れは蓄積されていく。当人からすれば、いきなりのしかかってくるものだ。
まるで、自覚するその前までそんなものは存在しなかったように。
だが、先生の言うことがもし、真なら。
疲れている人間は、みんな無力な人間と言うことにならないだろうか。疲れるような人間は大人に値しない、子供だと。
「八賀谷君、あなたは疲れてる」
先生はそう俺に告げた。それは否定できない。
そのまま、間が空く。
互いに無言のままで。
由枝先生はこちらを見ることはない。前を見ているだけだ。
紅いピアスが髪の間から見える。先生の横顔は最近はいつも見ているけれど。
俺は、車が信号待ちになってからようやく口を開く。
「俺のことはコウでいいですよ、先生。確かに俺は疲れているのかもしれない。でも、休んでも居られないんです」
きっと俺が休むには全て人間関係を遮断して、その上で記憶も消して自分も失くさないとだめだ。まぁ、そんなことは不可能だけど。
いっそのこと、階段から落ちて頭でも打ったらどうだろう。どうにかなるかもしれない。
「休まなくて良いでしょう。人は傷ついたら癒さなければならないとか、疲れたら休むとかみんな思っているみたいだけどね。普通、傷ついて疲れたまま生きていくものでしょう。せいぜい、生きるペースを落とすぐらいしか出来ない」
先生の静かで優しい、それでいて人を人を思わない平等な声。
俺はその声にとりあえず頷く。
先生の声はなんだか聞いていると眠くなる。リラックスしすぎて。
もう何も考えたくない、な。
呟くように俺は言う。
「疲れてると言われると、何だか本当に疲れてきますね」
先生は何も言葉を返さない。
エンジン音だけが響く車内。
学校までの短い時間。ずっと俺たちは沈黙を保ったままだった。
それは本当に心地の良い沈黙の時間だった。
学校に着く前に、学校の目の前にある人気のない公園で車が止まる。
寝てしまいそうだった俺を見て先生が笑う。いや、意識はあったがほとんど寝ていたのかもしれない。
先生は俺の前髪を撫でて起こす。
「今日も、1日頑張ってね」
先生の髪が揺れる。
「ええ、もちろんですよ」
そう言って、俺は自分のシートベルトをはずした。
この人の頑張ってね、は他人事だよな。まぁ、他人事なんだけどさ。
僅かに不愉快な気持ちが自分の内にあることに気付く。もしかして、俺は先生に他人事で居て欲しくないのだろうか。
鞄を背負って車を出ようとした俺は、突然動きを止めて先生に向き直った。
そういえば忘れていたな。
「おはようございます。由枝先生」
先生は一瞬黙り込んで、苦笑した。だが、その笑顔はすぐにいつもどおりの笑顔に変わる。
「おはよう、コウ君」
この人の苦笑は綺麗だ、透明な感じがする。
俺は先生に笑い返してから車を出た。
車はすぐに走り去る。
明日も朝から会えないかな。
はっと気が付いて俺は首を振った。
馬鹿か、俺は。会えないかな、じゃない。会いに行くんだろう?
自分で自分への反論をしている事実と、内容がどうにもピンクなことには目を瞑りつつ、
自分のくだらない思考を一蹴して、学校に向かって歩き出す。
公園の景色を見渡しながら歩く。
この時間もそんなに嫌いじゃない、森林を見ながらの朝の空気が美味しいと思うのは、錯覚だと俺は思う。だが、錯覚することは悪いことじゃない。
にしても、すっかり緑だな、この辺も。ついこの間まで桜だったのに。
ふと、誰も居ないサッカー場が目に入った。
この公園はとても大きく、サッカーグラウンドやテニスコートなどがある。
確か、少年団とか地元の児童団体(って言うんだろうか)が使用していた気がする。
そんなものより、近場に図書館とか映画館とか作って欲しいものだ。そういった設備は駅からは近いのだが、学校からだと駅をはさんで反対方向になる。俺の家からだと、学校も映画館も同じ程度に遠い微妙な位置だ。
俺は苦笑する。
また無駄な思考をしてしまった。思考は有限の資源だ、有効に使わなければならない。
って、無駄な思考をしてしまったと思い返すこと自体が無駄な思考か?
俺は頭を掻きながら学校に向う。
すぐに校門が見えてきた。
校門に刻まれている見附無高等学校の文字を横目で見ながら、学校の敷地に入っていく。
あと、30分もすれば生活指導の先生たちがここで並んでるはずだ。
玄関に入った俺はすぐに上靴に履き変えて美術室に向かう。
本来ならば、この時間に美術室の鍵が開いているはずはないのだが、顧問に事前に断って由枝先生が開けてくれていた。
美術室は3階にあり、階段を登るのも面倒ではあったが、美術室で絵を描くことは俺にとって一番楽な時間の潰し方だ。
授業まで一時間近く、ずっと美術室で暇つぶしだ。少々、退屈ではある。
でも思い返せば、退屈でない時間のほうが一日の占める割合は少ない。
ふむ、だからこそ楽しい時間が輝くと思えば我慢できなくもない。
階段を走りながら登っていく、すっかり目は覚めていた。
主人公の高校は見附無高等学校、略して見附高です。なかなかの進学校としてそれなりに有名ではあるのですが、少々奇人変人がいるのが問題です。




