~藤咲マミの視点 9
加藤先生が流し台から、乾かしたばかりのカップを取り出す。
それに先生は熱いココアを注いで持ってきてくれた。
「はい、やけどしないようにね」
慎重な手つきで私が受け取りやすいように、カップの角度を調節しながら差し出した。
私はそれを両手で受け取る。
「……ありがとうございます」
まだなんとなく目がはれているような気がする。
「今日暖かいからアイスの方がいいかなって思ったんだけど、ホットの方が落ち着くよね。とかなんとか思ったり」
私は先生の言葉に笑顔を形作る、あまり無理なく見えるように。
それを見て、先生も私に笑顔を返した。それが作り物かどうかは私にはわからない。私もそう出来たらいいのに、と最近よく思う。
加藤先生はヒマワリの柄のカップでココア以外の何か、たぶんコーヒーを飲んでいた。
「藤咲さん、あれでしょ。本当はコーヒーあんまり好きじゃないんでしょう?」
当然の問いに、私は戸惑う。
「いや、そんなことは……」
「うん、嫌いではないと思うよ。でも好きじゃないでしょ」
「……はい」
加藤先生は私の言葉を聞いて頷いた。
「やっぱりね」
私にはこのことがなんだかとても先生に悪いことをした気がした。なんだか今まで嘘をついていたみたいで。
私は先生に尋ねる。
「もしかして、顔に出てましたか?」
「うん、なのかなぁ。それとも、違う、なのかなぁ?」
先生は上を向いて考えながら言う。どうやら私は難しいことを聞いたらしい。加藤先生は思いついたように言った。
「えーとね、顔に出てないから分かったの、了解?」
そのまま先生は顔を下げて、私を見る。私にはよくわからなかったが、そう言うことが出来るような雰囲気じゃなかったのでやめた。
加藤先生は私の無言を了解と受け取ったらしい。それで満足したのか、私の返事を待たずにカップに口をつける。
そして、ボソッと言う。
「でも今後も飲ませるけどね、コーヒー」
いちいち私をどうしたいんだ、この人は。
私も先生に遅れてココアを飲むことにした、熱いものは苦手なのでゆっくりとカップに口をつける。すると、もうカップの中身は温めの状態だった。猫舌の私からするととても飲みやすい。
(あれ? やけどに気をつけるんじゃなかったっけ)
私はココアを飲みながら、先生を上目遣いに見る。
きっと、ただ言ってみただけなんだろうな、この人の場合。私はそう結論づけた。
なにも聞いてこない先生を不審に思って私は聞く。
「先生」
「ん、なーに。あ、そのココアだったらね。結構ね、高級品なんだよ」
「そうじゃなくて」
「なぁに?」
私は呼吸を落ち着ける、大丈夫だ。さっきよりも。
「どうして、なにも聞かないんですか」
加藤先生はわざとらしく首をかしげる。ぶりっ子してる女の子みたいに、わざとらしい首のかしげかただった。
「私が、あなたの、なにを、不審に思って話を聞くと思うの。説明して」
なぜか先生は、一言づつはっきりと区切って私に聞いた、どういう意味があるんだろうか。
「なんでそんなこと聞くんですか」
「さっきの質問にそっくりそのまま返すわ。私があなたに質問したのは、あなたがなにかを聞いて欲しくてさっきの質問をしたと判断したからよ。質問に質問を返さないで、それが答えじゃない限りはね」
加藤先生は「それが原則よ」と言って再び、カップに口をつける。
今日の私には先生の言っていることの意味が全くわからなかった。とにかく、私は先生の質問に答えることを優先することにする。
私は何も考えたくない。それなら、他人に判断をまかせた方がいい。
「あの、それは私が朝から貧血を起こして倒れて、起きた後もずっと泣いてたからです」「訂正、泣いては泣き止んでを繰り返してたんでしょ。いくら水分補給をさせても目からで出てくるんだもん、一生続くかと思ったわ」
私は先生の様子がいつもと違う気がした。
「もしかして、先生。怒ってますか?」
「ええ、知らなかったの?」
先生が笑顔で私に言う、それには答えようがない。この場合なんて答えても喧嘩を売っているような気がする。
加藤先生はその毒気のない表情のまま、毒気がないとは思いがたい言葉を口にする。
「とりあえずそれ飲んじゃいなさい、どうせ朝食も摂ってないんだから。まぁ、仮に摂ってたとしてもあれじゃあ意味なかったかもね」
たぶん、先生は私が泣きすぎて吐いてしまったことを言っているんだろう。昨日の晩からなにも食べてないから胃液以外なにも出てこなかったんだけど。
さっきまで先生は、私がどれだけ泣いても必要最低限のこと以外なにも言わなかったのに、泣き止んで多少落ち着いてからは、いきなりこんな言葉をかけてくるようになった。
どう考えてもあんまりいい気分じゃないけど、妙に気を使われたり、慰められたり、励まされたりするよりはいいのかもしれない。
私はそう考えることにして、ココアを飲み干すことにした。ちょっと私には量が多くて一息では飲めない。
その私の様子を見て先生が言った。
「ゆっくり飲みなさい、今まで胃に何も入れてないんだから」
私に結局どうしろって言うの、私はココアを飲むのをやめて先生を見る。
その視線からなにかを感じ取ったのか、先生は口を開く。
「最初から急いで飲めとは言ってないでしょう?」
「先生、私はなにも言ってません」
私はそう言いつつも結局は加藤先生に従った。
少しづつ、ゆっくりと自分のペースで飲む。
口をカップから離すたびに、息を吐き出す。
そうすることで私はようやく自分を取り戻せた気がした。
同時にそれが私にとってどんなに難しいことだったかをはっきりと実感した。そんなことは、もう今さらのはずだったけど。
加藤先生は私を見て、カップを片手になぜか頷く。
「それじゃあ、そろそろ答えてもらいましょうか」
先生はカップをテーブルに置く、それから私に目を向けた。いつもの加藤先生とはどこか違うイメージの目。とても真剣で大人な目。
その目で私を見据えて、先生はそれがとても大切なことであるかのように言った。
「ねぇ、藤咲さん。あなたはどうしたの?」
私はどこから話せばいいのか、なにを話したらいいのか悩んだ。というより、どこまで話したらいいんだろうか。私の口は閉じたままだ。
だけど、いつまで経ってもそれ以上先生は何も他に言わない。
ずっと真剣なまなざしで私の言葉を待っている先生を見て、私は困惑する。
なにを言ったらいいのか。
説明できないことばかりだ、それに人に言ったからってどうしようもない。
私はどうしたらいいのだろうか。
言いようのないことを言葉には出来ない、私の中にはそういったものしかなかった。
でも、ふと気付く。先生は私の言葉を待っているんだろうか。
私は先生の目をもう一度見た。それから息を呑む。
いや、違う。待っているのは言葉じゃない。
それがわかると同時に次第に私の決意が固まっていく。
私がこれからどうすればいいのかを、私は決めた。




