~校舎の裏にて
昼休み、西川は校舎裏の日陰に座り込んでいた。
その周囲に散らばっているジュースのパックとパンの空袋。
校舎裏はとても静かで、グラウンドとは逆の位置にありそのために人の声がとても遠く聞こえる。
西川は思う、「なんで、自分が怯えて隠れ過ごさないといけないんだ」と。その答えは西川自身の中でも実は明白なことで、その原因は自身の隣に居る人物だった。
西川が横を見上げると、そこには茶髪でヒマワリのように髪を逆立てさせた人物が、全体重を壁に預けて不機嫌そうに腕組みしていた。
古田 恭平。
恐らくは、古田も西川と同じように「なぜ、俺がこそこそしないといけない?」などと考えているんだろう。ただその理由が自分にあるとは思っていないに違いない。
そもそもの原因はこの古田があの佐才 登に喧嘩を売ったことにある。
西川は中学の時から、彼らの世代の人間にとっては多少は名の知れた不良だった(もちろん、その範囲は限られていたが)その当時から西川は古田と組んで色々な悪さをしてきた。
それでも名が知れてるといっても、そうそう大人に顔が割れるようなことはなかった。それは西川と古田の親がそれなりの立場にあるからだが、それと同時に西川自身が気をつけてるからでもあった。
西川は学校で教師に喧嘩を売るような真似はしないし(正体がばれないように気をつけて闇討ちをしたことはあった)白昼堂々暴力を振るうようなことも実はあまりしなかった。そう昨日のようなことはないはずだった。
西川は無意識のうちに古田を睨む。
(それなのに、コイツときたらだ)
昨日の件に関しては、西川は古田が八賀谷に声をかけるのをやめさせようとした。だが、古田がその西川の忠告を聞くようなことはなかった。せいぜい、まだ手を出すなと言い聞かせることが精一杯だった。
そもそも古田に対して西川は強く出ることは出来ない。グループの他の連中もそうだ。
それは古田が理性より感情で動くような人間だからでもあるが、単純に古田が執念深くその上行動が理屈に合わないからだ。単なる口喧嘩でも、古田は相手が仲間だろうが女だろうが仕返しに暴力を振るうことをいとわない。
西川からすれば、そんな奴、敵に回すのも味方にするのも御免だったが、その古田が今ではグループのリーダー的存在だったのである。西川が古田の味方ではなくて、古田の味方は西川だったのだ。
西川の視線に古田は気付き睨み返す。それは睨むと言うよりは脅すような目だ。
「なんだ、西川。なにか言いたいことでもあんのか?」
西川は今にでも殴りかかってきそうな古田に戸惑う。
「いっ、いや、そういう訳じゃねえよ。ただ……」
「なんだよ」
「まだ佐才のこと諦めないのか」
「ったり前だろうが。アイツだけは許さねえ」
西川は古田の「アイツだけは」の言葉にわずかに表情を歪ませた。古田はそれに気付かない。西川は言葉を続ける。
「他の奴もびびって誰も手伝おうとはしないのにか、俺達だけでやるなんて無茶だろ」
「は?お前なに言ってんだよ、あいつらは所詮同じ高校生だぞ。それにうちの高校の連中が手を出さなくたって、他の高校の奴に声かけりゃいいじゃねぇか」
「他の奴って、同じ結果になるだけじゃねえの」
「いちいちびびってんじゃねえよ、人質でも何でもとりゃいいんだからよ」
その手はもう使って失敗した、普通の奴ならたいていみんな人質になるようなものがあるからだ。
もう話しても無駄だと判断した西川は、会話を終わらせる為に一言告げた。
「あぁ……そうか」
西川は古田から目をそらす。その様子を見た古田も西川に興味を失って、視線をはずす。
視界から古田をはずしてようやく安心した西川は、言葉にせずに毒気づいた。
(アイツだけはとか熱くなりやがって。そもそもお前が今まで他人に仕返ししないことがあったかっての、それでどんなに俺が迷惑こうむってるか考えろ。だいたい昨日あれだけのことをされといて、よくこりねぇな)
そこまで考えて西川は震えた。
他人事のように考えたが西川もそれに巻き込まれたのだ、正直な話他人事のように考えなければやっていけない。
自力でなんとか脱出が出来たからよかったものの、あのままでは助けを呼ぶしかなかった。いや、脱出してからはもっと大変だった。西川は様々な複雑な思いに駆られる、男としてとか以前に下手をしたら二度と人前に出れなくなるところだったのだ。
西川としては、もう思い出したくもない。
古田の一人の行動に自分がここまで巻き込まれ、西川は自分を「一方的な被害者である」と考えていた。ある一面においてはそれは事実ではあったが、佐才の方からすれば西川は加害者でもあるのは間違いなかった。それを考える余裕は西川にはない。
西川は古田の様子をうかがう。
古田は貧乏ゆすりをしながら、ポケットに手を伸ばしてはやめる行動を繰り返している。どうやら煙草に手を伸ばそうか決めかねているようだった。
西川は思う、古田がこんなに反応するのは今までにほとんど負けた経験がないからだ。佐才には正面切って2度も叩きのめされている。
確かに西川も古田も多少腕に覚えはある。過去に相手に喧嘩を吹っかけたことも少なくない。言葉使いのなっていない奴、態度の気に入らない奴、目つきがむかつく奴、金を持ってそうな奴、腹が立っていた時に偶然近くにいた奴、いろいろいたが勝てない時はまずなかったと言ってもいい。だからこそ、ここまで古田も反応するのだろう。
自分達が強かったわけではない、いつも5、6人。多い時は14、5人もの人数で数に物を言わせて一方的にいたぶった。ようするに勝てない勝負はしてこなかっただけだと言える。
西川はそれをわきまえていた、自分の力が決して強いものではないと。そのために手を出しては行けない連中がいるのも知っていた。
それでも西川は自分から見て、あんな真面目なだけがとりえのような連中が、その手を出してはいけない連中だとは思っていなかった。
最初の頃は舐めきっていたのである、彼らは少々勘違いをした馬鹿だと。それが今ではこの様だ。
(佐才 登、あいつらはいったい何者なんだろうか)
結局、西川の考えはそこに尽きる。
というよりは、彼の思考はそこに逃げるしかない。
それ以外のことを考えるとなると自分の不都合な点ばかりが見えてくるからだ。
それを考えてまで行動するような能力も西川にはない。これは西川自身も知らないことであったが。
古田が壁から身体を起こす、そして西川に言った。
「お前、ゴミ片付けておけよ。最近、そういうのうるせぇから」
西川は周りを見渡した、確かにゴミが周りに散らかっている。でもこれはほとんど古田の出したゴミだ。西川は学校のパンなど食べない。
西川は腹立たしく思ったがそれを態度に出さぬようにして、古田に聞き返す。
「お前は?」
「決まってんだろ、佐才の野郎に一泡吹かせてやるんだよ」
古田は西川の意図も気にせずそういった、西川としてはその態度がますます面白くない。西川はあえて不服そうに言った。
「そんなこと出来るわけねぇよ、下手したら今までの写真ばら撒かれるんだぜ?それも昨日の分もだ」
「出来なくしてやればいいんだろ、簡単だ」
簡単なはずはなかった、それならこんな所でこそこそ食事などとらない。古田はいまだに佐才達を普通の真面目野郎と勘違いしているのだろうか、まだ自分の力でどうにかなると考えている。
そのまま古田は西川を見もせずに立ち去った。
西川はその後姿を睨みつける。が、姿が見えなくなるまで見るようなことはせず、ため息をついてゴミを片付けるためにしゃがみこんだ。
「なんでいつも俺が……」
そういいつつも西川は手を休めはしない。
西川は思う、あいつさえ古田さえいなければもっと楽に高校生活を楽しめたはずだ。
「古田さえいなきゃ、いや、佐才もだ。それならまた好き勝手できるのによ。こんな所で飯を食わなくてもいいんだし」
「そうかい」
背後から男の声、西川はあせって振り向く。教師ならまだしも、古田が引き返してきたのだとかなり厄介なことになる。
だが、振り向いたとたんに西川は安心した表情になった。
「なんだ、あんたか。誰かと思った」
「なんだ、とはなんだ。そんなに焦って古田がどうかしたのか。もし悪巧みでもしてたのなら俺も入れてくれると嬉しいんだけどね」
「別に」
背後に立っていた男は笑った。
笑いすぎて、しゃべるのも一苦労だといった様子で男は口を開く。
「そうか、別にか」
「なんだよ」
「いや、別に」
再び男は笑う。西川はその様子に腹を立てた。
それでも西川はゴミを片付け続けるながら話す。
「うぜぇな、用もないんだったらさっさと行けや」
「いや、用はある」
西川は面倒そうに男に立ち上がって向き直る。その時、今まで笑い声を上げていたはずの男に表情が無いことに気付いた。
「……なんだよ」
「たいしたことじゃない、お前の望みを叶えてやるよ」
「なんだと?」
「することは大して変わらないんだがね、ただ文字通り手が足り失くなってな。ちょうどいいだろう? きっとお前には性にあってるんだよ、それが」
西川は顔をしかめた。男が自分を馬鹿にしているのか、それとも頭がどこかおかしくなったのか。西川はそれを判断しかねているのだった。
とりあえず西川は舐められないように声を荒げる。
「意味わかんねえよ、さっさと用件を言えつってんだよ!」
男はそう言われて考え込む、そして頭の中でなにかが閃いたのだろう。左手の指をパチンッと鳴らした。校舎裏に響くほどにそれはよく鳴り響いた。
「ああ、アレだ。アレ」
「アレ?」
男は西川に顔を向ける、その顔は未だ無表情だった。しかしその中で不自然なほどに輝く瞳。男が頷くのを見て、西川の思考が凍りつく。
(こいつ、誰だ。こいつこんな顔してたか? 本当に……)
西川の目に映る男の口がゆっくりと言葉を紡いでいく。
「バイトだよ、食肉の」
男のその言葉を合図としたかのように、西川に向かって小指程の無数の影が飛び掛っていった。その影に西川が埋めつくされていく。
悲鳴はなく、校舎裏は静けさを保ったままだった。




