~藤咲マミと路地裏と
ようやく物語と事件は遭遇します。
私は学校の校舎を見上げた。
第一校舎の3階、あの辺りが美術室だったように思う。
(まぁ、見上げてもどうしようもないか)
私は昨日の朝と同じように、急ぎ足で帰路に着く。別に他人の目が気になるからじゃない。
今日はめずらしく、お母さんが早く帰ってくる日だった。
だから、今日の夕飯は二人分の食事を作らなきゃいけない。それに少しくらい、奮発して多少凝ったものとかを作ってみてもいいと思う。
今日は疲れたけど、良いことばかりだ。
時間帯は他の生徒よりは遅いだけど、いつも帰る時間よりは比較的早めで、今からでもある程度余裕を持って料理に取り組めると思う。どうして、いつもより早めに帰れるのかというと、単純に担任の先生のいつもの話合いがなかったからだ。確か会議と言っていたように思う。
でも、そんなことは私にとってどうでもいい話。早く帰れるならそれで良かった。
学校の前の公園を歩いていく。
道の奥の方でスケッチブックで風景を写生している男子がいたので、なんとなく「八賀谷君かな」とそう思ったけど、ネクタイの色が違う気がする。
だから、あれは先輩だろう。
実は私の学校はネクタイの色とジャージの色、それと上靴に入るラインの色が学年ごとに統一されている。なにか他にもあった気がするけど、とにかく私たちの学年は赤で統一されている。ちなみに2年生は緑で3年生は青だ。どうしてそうしているのかはわからない。
明確な理由があるわけじゃないんだろうけど、もしかしたらその方が先生から見ればやりやすいのかもしれない、とも思う。
「ちょっと、君」
右隣から声。
気取った言い方だな、と私は思った。
そこには道の奥で絵を描いていたはずの男子生徒。
いつの間にそこにいたのだろう。
ネクタイは緑色で2年生だとすぐわかった。銀縁のガネをかけていて、それがあまり似合っていないのにもかかわらず、私はそれを「センスがいい」と感じてしまうという不思議な感覚を覚えた。
彼が左手を差し出す。
「これ君のだろ」
そこには私の生徒手帳。
どうやら、拾ってくれたらしい。
「ありがとうございます」
でも、私。生徒手帳は鞄の中に入れてるはずだから、鞄を開けて荷物を取りださない限り落としたりするはずはないんだけど。
「あまり君はぼーっとしない方がいい。知らない人から声をかけられるからね、どうも君の態度は誘っているように見える」
私はムッとした。
「私がちゃらちゃらしてるってことですか。それとも無防備だってことですか」
彼は無視した、私に目も合わせない。
「忠告はしたよ、それじゃあね。藤咲さん」
そう言って彼は立ち去る。
私はその背中に「なにか思いっきり言ってやろうか」と思ったけど、正直な話あまり変な人とは関わりたくないので何も言わずに帰ることにした。
そう言えば、帰り際にアイツは私の名前を呼んだ。
私は舌打ちする。
そうか、生徒手帳を盗み見したんだ。
私はムカムカして足を速める。
他の女の子は本当に歩いているのかわからないくらいに遅いから、そういう普通の娘からみれば私は走っているのと変わらないくらいの速さで歩いているだろう。
そういえば、舌打ちのクセはよくお母さんに怒られていた。
それで何度も直させられそうになったから、今ではお母さんを含めて人前の前ではしていない。
その時にお母さんは、「人前でそんな事をするのは止めなさい」と私にそう怒った。
だから、私はこう思った。「この人の前も他人前なんだな」と。
そうやって、お母さんは私に壁を作っていく。だから私も作っていく。
結局、母親も他人なんだとそう思うことにした。
他人と食事が出来るからと喜んでいた私はなんだったんだろう。
わざわざ早く帰って夕飯の準備をするなんてバカみたいだ。
そう考えた私は急ぐのをやめる、もう遅れて帰ることにした。
気が付けばもうすぐ駅の近く。
結構距離を歩いたけど息はあまり乱れていない。私は運動に関して言うと体力だけには自信がある。
私は歩くペースを落とすだけじゃなく立ち止まった。私の住むマンションは線路を越えた所にある、このままじゃすぐに着いてしまう。
結局、どこかで時間を潰すことにした。
「……どうしようかな」
でも、私は時間を潰すのが苦手だった。
本屋で立ち読みとかしてればいいんだろうか。
そんな時だ、声が聞こえたのは。
*
ミマタは潜む。
影多きこの路地裏に。
本来なら路地裏に人など来るはずもない、それも若い女など。
だが、ミマタが獲物を狩ろうと決めるだけでミマタの前に獲物は現れた。
なぜかはわからない。
そもそも、ミマタは理由を考えることはなかった。
「そういうものなのだ」とミマタはそう思うことにしている。
理由がわかったからといって、獲物を狩らなくてよい訳ではない。生きるためには狩らねばならないのだから、自分が生きることを望む以上どちらにしても同じではないか。
そういう諦めがミマタには植えつけられていた。
ミマタは潜む。
この影多き路地裏に。
ミマタの背中が一瞬揺れた。
いや、身構えたのだ。
じょじょに足音が近づいてくる、ハイヒールの足音。
間違いなく女だ。
ミマタの勘もそう告げていた。
空を見ればまだ狩りをするにしては、まだ明るい。
しかし、時間など獲物を前にしては何の意味もない話だった。
その足音がミマタの眼下を通り過ぎた時、ミマタは音もなく獲物に飛び掛かる。
獲物の頭上から。
その時にミマタはその獲物がまだ若い女性であることを知った。
彼女は、いや、その獲物はミマタに気付くことも無く、腕を強く首に叩きつけられ、その衝撃により大きな音を立てて倒れた。
ミマタは感触でわかった。
即死だ。
そのままミマタは仕留めた獲物近づいていく、動いてはいるが息はない。ミマタはそう認識した。痙攣をしている、という言葉はミマタには無い。
ミマタはふと疑問に思った。
なぜ、いつも目の前に現れるのがこの年齢の女性なのか。
しかし、「そういうものだ」と結論付ける。
ミマタは仕留めた獲物に両手を当てる。
両手で服を裂き、続いてすぐに腹を裂こうとしてためらう。
だが、結局は体のどこからか来る意志にはあがなえない。
ミマタの腕と顔が血に染まる、目から涙が流れる。そして、そのまま喰らいついた。
(誰か俺を助けてくれ)
涙を流しながらミマタはまたそう願った。いや涙を流す前、獲物を狩ると決めた時点から頭のどこかで常に願い続けていた。
「誰かここにいるの?」
背後から少女の声が聞こえた。
ミマタの身体が震えた。
(助けに来てくれたのか?)
そう考えてミマタは「いや、そんなはずはない」と自らの考えを否定する。
それは制服を着た女の子だった、恐らくは高校生だろう。
どことなく幼い印象のあるその女の子は、自分が何を見ているのかまだわかってはいないらしかった。
状況を把握できない女の子が目を凝らす。
とつぜん、大きく目を見開いた。
「あ……」
その女の子はそう声を漏らした。その瞳に恐怖の色が宿っていく。
ミマタは立ち上がった。もう殺すしかない。だが、それと同時にミマタは「逃げろ」とその女の子に叫ぼうとした。しかし、声はでない。自然と身体が襲い掛かろうと身構える。
女の子が背を向けて逃げ出そうとしたその瞬間、ミマタは飛び掛りその獲物を襲おうとする。
しかし、それは実行されることは無かった。
「それは私の獲物だ」
背後から聞こえた、抑揚のない声。
ミマタ自身はその声に反応しようとし、ミマタの頭の中からはその女の子を襲えとの命令が響く。
相反する命に身体が混乱する。
その瞬間にミマタの身体は浮いた。
アスファルトに頭から叩きつけられるミマタ。
(……なにが起きた?)
ミマタはあお向けに倒れている自分に気付く。普通ならアスファルトに叩き付けられた衝撃によって、首の骨を折り死んでいただろう。
しかしミマタは、自身の身体を見渡しゆっくりと立ち上がった。
相手はある程度の距離をとって目の前にいた。
ある程度の距離、それは間合いだった。
ミマタにはその人物の顔はわからなかったが、その人物が驚いていることはなんとなくわかる。相手が何の構えも取っていない状態であることも。
ミマタは怒りの形相でその人物に襲い掛かる。右腕を思いっきり愚かな妨害者の頭に叩きつけてやろうとした。
そうして、無防備なまま距離を詰める。ぎりぎりで攻撃が見切ることが出来るように相手がとった間合い、罠にミマタは無防備なまま飛び込んだ。
腕を伸ばす一瞬。ほとんど光のないはず路地裏で、ミマタの腕めがけて鈍く光るなにかが横切る。
ミマタは右腕を大きく空振り、妨害者のいたはずの位置にその姿はなく、その勢い余って壁に全身を激突させた。
受身を取ろうとしたミマタはなぜかそれに失敗する。
それによってミマタは体の異常を認識し、右腕の、それがあるはずの空間に目を向けた。
しかし、そこには何もない。
ミマタの右腕は宙に舞っていた、それは薄汚れた壁に当たりミマタと妨害者の間に落ちる。
ミマタはそれを無視してすぐに体を持ち直し、すぐに臨戦態勢をとる。
だが、ミマタと違い妨害者の方はそうはいかなかった。
この状況に対応し切れず、妨害者はこの闘いの最中に自分の目の前に落ちた腕を凝視したままだ。
妨害者のその右手に握られているのはやや大振りなナイフ。だが、そんなもので人間の腕を簡単に切断できるはずが無い。しかし、現に腕は切断されたのである。それも妨害者自身の手によって。
その動揺は闘いにおいて大きな隙であった、そしてその隙を見逃すような余裕も油断もミマタには存在していなかった。
ミマタは再び襲い掛かる。今度は左腕で妨害者の右腕をもぎ取ろうと。
思考のうちにあった妨害者の意識は、目の前に迫り来るミマタを見ることによりようやく反応した。だが、右腕のナイフはもう間に合わない。
*
私は必死にそこから逃げ出した。
路地裏を出た瞬間に誰かとぶつかる。
「うっ」
それは担任の先生だった。
先生は私とぶつかったせいで、しりもちをついていた。
でも、私は先生に助けを求めるようなことはせず、なぜかここで顔を見られることが危ないような気がして、その場を走り去る。
「おっ、おい!」
先生は私に向かって呼び止めようとしたのか、そう大きな声で言った。
顔は見られていないとは思うけど、きっとうちの生徒だとはばれてしまっただろう。でも、そんなことよりも私はとにかくここを離れたかった。
私は何も関わってない。
私は何も知らない。
ただ、この場から逃げ出したかった。
周りの、自分の動きがやけにゆっくり感じる。
足が遅くなったみたいだ。
必死に走ってマンションの自分の部屋の前まで着いた。ここまで距離を感じたのは初めてだった。
呼吸が、空気が足りない。心臓がドラムのように大きく身体中に響いている
私はドアを開けようとして、鍵がかかっていることに気が付く。
いつも慣れているはずの、鍵を取り出すだけの動作を何度も失敗する。最後には鍵を落とすようなことまでした。
自分家の中に入れた私は、すぐに中から鍵を掛ける。
そこでようやく私は落ちつくことが出来た。
玄関の壁に私は崩れる。
(なんだったの、あれは……)
あんなものが、この退屈な世界にあるわけがない。
そう、あるわけがない。
私は顔を上げる。
「お母さん!お母さん!」
しかし、返事はない。もう帰ってきているはずなのに。
私は不安にかられる、まさか!?
私はお母さんの無事を確認するために、携帯を鞄から取り出す。携帯を取り出したその手は震えていた。
……メールが来てる?
私はおそるおそるそのメールを開く。
もしかしたら、お母さんは。そんな考えが私の頭を埋め尽くす。
だけど、そこに書かれているのは私の予想を裏切るものだった。
「ごめんなさい、また今日も帰れません。一緒にご飯食べるって約束したのにごめんね。絶対にこの埋め合わせはするから。今度どこかに一緒に食べに行こうね」
メールにはそう書かれていた。
なにが書かれているのかわからなくて、理解するのに時間がかかる。
それを理解した瞬間に、目から涙が溢れ出てきた。
気が付くと、私はうずくまって泣いていた。
玄関先でバカみたいに泣いていた。
何も考えたくなくて子どもみたいに。
そんな状態ろくに話せもしないのに、私は叫んでいた。
「どうして、いつもそばに居てくれないのよぉ」
勝手なことをそうやって泣き叫んでいた。
「いつもわたし、こうやって、ひとりで泣いてるんじゃないの」
言葉が溢れて止まらない。
「どんなときも、いつだって。わたしがどんな気持ちでいるか」
「どこでだってひとりなのに、どうしろっていうのよぉ」
「がんばれって、ひとりでがんばれる訳ないじゃない」
また、呼吸が出来なくなる。
それでも私は。
「……そばにいてよぉ」
ただ、泣き叫んでいた。




