静かな変化
主人公はどこかがおかしくて、ズレています。それは傍目から見ているとただ変わっているに過ぎません。
あの後、昼休みが終わった後も放課後になるまで、結局彼らの犯行について俺が問いたださなかったために、登に篤史に「せっかく頑張った甲斐がない」と嘆かれて鬱陶しかった。
そんなに騒ぐようなことか。……別に俺がやれと言ったわけじゃないんだし。
ともかくようやく放課後になって、開放された俺は今日も美術室に向かう。
ただ今日は部活がある日なので、顧問に鍵を開けてもらう必要がない。
たったそれだけのことなんだが、とても嬉しい。
美術室の戸は既に開いていて、誰かが中にいることを示していた。
先輩方はだいたい遅れてくるか、サボるかだ。先輩の中でも金檻は例外で5、6時限目の授業に出席せずに美術室に来ていることがある。と言うことは、もう美術室に入って部活するような人間は1年生か金檻のどちらかだろう。
顧問がいる?ヤツが来るなんて、まあほぼありえねえよ。
そこまで考えてから、俺は美術室に入っていく。
その時、俺は自分の予想が外れていなかったことを知ったが、同時に自分の予想外の事が起きているということも知った。
なんだこれは、どう考えてもありえない。
ウツロギが美術室で絵を描いている。
俺は驚きのあまりに、それ以上美術室に踏み込むことが出来ない。
すると、ウツロギの方も俺の存在に気付いたようで、一瞬だけ筆を動かすのを止めて俺の方を見た。が、また絵を描くのに戻った。
俺はその様を見て考える。
そうだ、何もなかったことにしよう。
俺は早速絵を描く準備をすることにした。いつも絵を描く場所に道具を広げようとするが、ウツロギと隣合う形になってしまうことに気付く。
まぁ、いいか。どうせウツロギだ。
結局いつもどおりの場所で、いつものように俺は絵を描き始めた。
「おお、やってるやってる」
美術室の入り口から聞こえてくる、底抜けに元気のいい声。
顔を見なくてもわかった、橋本だ。ウツロギがいるからには橋本の他にありえない、と言う偏見が俺にはあるが、偏見というのはだいたい事実である場合が多いと思う。
橋本はまるで美術室が自分の領地であるかのように、胸を張って堂々と進入してきた。俺とウツロギの間に割って入る。
「案外、仲良くやってんじゃない。心配して損した」
橋本は俺とウツロギを指してそう言った。
いったいどこが仲良く見えるのか、俺にはよくわからない。
「あのさ、稔のことだからどうせ挨拶も何もしてないと思うんだけど。コイツ、美術部入ることになったから」
「へえ、そりゃまたどうして?」
「進路のこと考えておくと、どこか部活に入った方が有利でしょ」
それはそうだろうが、そんなことをウツロギが考慮するとは思えない。おおかた、橋本がウツロギにそうするように命令したのだろう。ウツロギは橋本に逆らうことはまずほとんどない。口答えすることさえ、かなり珍しいほどだ。
「どうして美術部にしたの?」
「コイツに出来そうだったから」
色々な意味でひどい言われようだ。
でも、彼女の言うことは正しい。ウツロギに体育系の部活や吹奏楽とか、そう言ったものが務まるはずはないのは事実だ。
別にウツロギに運動神経がないわけでも不器用なわけでもない。むしろ、そういった身体を動かすことに関して言えば、コイツは人並み以上の能力を持っている。天才的を通り越して、超人的な能力といってもいい。
したことのあるスポーツなら、一度見たテクニックは簡単に模倣してくるし、微細な筋肉の動かし方さえもフェイント込みで実現し、一度やられた手は二度とはきかない……なんて登が言っていた。
楽器の演奏でも、リコーダーの演奏しか見たことがなかったけど、たとえ初めての楽器だったとしてもその演奏を一見しただけで記憶し、一時間程度の指鳴らしで一通りの曲目は演奏できるようになっているはずだ。ただし、情緒の欠片もない機械的な演奏になるだろう、とは思う。
ただ、唯一にして最大の問題点が社会性がないということだ。
上下関係など気にしないし、ろくに会話も出来ない(出来ないのではなくやらないだけだと思うが)人に合わせることもない。
だからと言って、ウツロギは先輩に対してタメ口を聞くことがなければ、社会のルールを破ることもない。むしろ、それ以前の問題なのだ。誰に対しても、挨拶も会話も礼も何もしないだから。
もしかしたら、自身が後輩だからといって、わざわざ年だけが上の人間に従う必要性はないと思っているのかもしれない。実力で言えば、運動も腕っ節も何もかも全てにおいて、自分の方がはるかに上なのだと思っているのだろう。コンビネーション能力がないのではない、コミュニケーション能力がないのでもない。なくても勝てる、目的を達成できると思っている、俺にはそう見える。
だけど、それでは世の中は生きて行けない。周囲に、社会に『調和』と言う名の隷属する形でしか人間は生きていけないのだ。
いや、もしかしたら俺はそう思いたいだけなのかもしれない。
自分がこうして他人に合わせて我慢している以上は、他人に合わせずに生きている人間がいるとは絶対に思いたくないのだ。
きっと、世の中は他人に合わせずとも生きていける。俺にそのための実力と、合わせることによる利益を捨てる覚悟があるなら。
俺にはそのどちらもない。
いきなり、俺達の様子をみていた橋本が愉快そうに笑う。
「でも、よかった。不安だったんだよね、稔に部活なんかできるかってさぁ。でも、八賀谷君が友達になってくれたみたいだから、大丈夫だよね」
ただ俺達は隣合って絵を描いているだけなのだが、どうやらこの状態を客観的に観るとそれでもかなり打ち解けているように見えるらしい。
ウツロギは橋本の言葉を否定することも肯定することもなく、黙々と絵を描いている。
あまりに静か過ぎて、呼吸をしているかどうかさえ疑わしい。
「それじゃあ、私。生徒会に行くから二人とも頑張ってね」
橋本は俺達の肩をポンっと叩いて、機嫌が良さそうに立ち去る。
結局この後、活動日であるのにもかかわらず、他の部員どころか顧問すらこの部室顔を出すことはなかった。そのため、俺は延々とウツロギと二人っきりで絵を描き続けることになってしまった。
このことが少しづつ彼らの運命を変えていきます。




