まだここはスタートラインだ
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十歳で入団してから五年。大切な日が、とうとうやってきた。
待ちに待った今日はここまでで一番、悔しさを明日に繋げていける日になるような気がする。
でもここはあくまでスタートラインだ。今日私が従士から騎士に昇格すると言っても、やっと初めの一歩を踏んだだけ。
…昇格といえば、カトレアはルカさんとすでに手紙の交換を続けていたりするのだろうか?
作中でルカさんとカトレアは定期的に手紙の交換をしている描写がある。なんでも“騎士に上がったら会うことも減ってしまから”、とカトレアがルカさんに手紙を送り始めてそれが作中の時間軸でも続いている…という流れなんだけど、私よりとっくの昔に昇級したカトレアはもう彼と手紙を交わしているのだろうか…と、そんなことが気になった。
同時に、“そうだといいな”なんて考える。二人の手紙はいつも温かくて、ある日寝泊まりした宿に届いた手紙ではカトレアが自分の実力についての不安を綴った手紙への返答が記されていた。これが本当に優しくて温かくて、二人が幸せになってほしいなと思ってちょっと泣いたのを思い出す。
さらに言えばルカさんは兄のレオと共に王国の第一王子サミュエルから特命を受けたり、大きな戦いだと作戦参謀として活躍していたりと地味なサブサブキャラの割には出番多いんだよね。ファンとしては嬉しい…けど、よく考えたらその姿を生で拝むことは難しいな。もうこの世界の住人なんだから俯瞰からこの世界の出来事を覗き見ることはできない。ちょっと切ないことに気づいてしまった。
「…でも私ももう十五か」
騎士に上がるのが少し遅すぎたな、と訓練場の隅に植えられた巨木の下で考える。
でも原作の第一話の段階で勇者ケントが十七歳、そして聖女エルシィにカトレア、そして本来のイザベラが同い年だから…あの瞬間までもう二年もない計算になる。
正直、十歳で従士になって十五歳で昇格というのは、契約書的にすごくギリギリの昇格だ。でも私は魔法の腕ばかりがよくて、他が人並か劣っていたものばかりで思ったより時間がかかってしまった。なので当然と言えばそうかもしれない。
あの瞬間時間がないと思うと精進せねばと気持ちに新しい火が灯る。剣技は人並みでも魔法はまた一つ先に進めそうな手応えを感じている今は尚更。
どんなに長くてもあの瞬間まで後二年。
王城決戦編まで、後二年しかない。
作中でも中盤の盛り上がりとして人気な王城決戦編は、魔王が勇者たちに妨害をかけるために裏で繋がっていた人間を利用して首都に大量の魔族を送り込む話だ。
魔物は基本的に人間の魔法とも違う能力を持っているし、数もとんでもない種類がいる。だから結果的に前線を圧されてルカさんは前に出ざるを得なくなって。
そして彼は、不意打ちを喰らって身動きの取れなくなったカトレアを庇って死んでしまうんだ。
「…」
この未来を変えるためだけに、私はここにいる。
たとえ絶世の美女で、本来物語に大切な役割を担っている最強悪役令嬢のイザベラ・アンブローズを目立たないモブにまで貶めても、今まで培ってきたものの全てがその瞬間に失われても、私が壁にしかなれなくて無様に死のうとも。
あの人が生きていてくれるなら、私はそれを喜んで受け入れる。
私が死んだ段階ではまだ原作は完結してなくて、もしかしたら私の知らないところで何か彼が蘇生したり回想に出てくるかもしれないけど、それはあくまで可能性の話であって絶対じゃないしそんなことで彼の死を良しと思えるほど私は彼の死に夢を見ていない。
だって死んだら何もなくなってしまう。ほんの少し笑えたはずの瞬間も、苦しみの先にある希望も、積み重なっていくはずの思い出だって。
あの人は、確かに私の心を動かしてくれたのに。それなのにそんな無惨なことを受け入れられるわけがないんだ。
「イザベラー!」
「!」
ふと視界の外から聴こえた声に反応してそちらを見る。すると見慣れた赤毛の少女がこちらに向かって走ってきた。
「ちょっとイザベラ何してんの? もう昇格式始まるよ」
「ごめん。少しこの感動を整理したくてさ」
今日も活発さを表したような赤毛のツインテールの毛先は彼女の動きに合わせて揺れて、丸い割に気の強そうな目元がせっかちに私の方を見つめている。
同期の中でもたった二人の同性として仲を深めてきたこの親友と共に今日を迎えられたことを、私は誇りに思う。
だって私の隣にいる彼女は、いつだってその明るさで暗い沼に落ちやすい私を引き上げてくれるから。
「また考え事? イザベラってば考え事ばっか、肩凝っちゃうよ」
「はは、でも今日は許してよ。感慨深いからさ」
「感慨って…イザベラが言葉を教えてくれたから今ならわかるけど、そんなことを一人でぐるぐるしてるなら頼ってよね。何考えてたのかわかんないけどさ」
「いや考えない? 従士からここまで本当に長かったわけだしさ」
今日は従士から騎士へと位を上げる昇級式なわけだけど、本当にここまで長かったなと話をしながら改めて考える。
前世の記憶を取り戻し、親を説得しきるまで四年。そこから従士として実質五年…その九年の歳月を私はルカさんを護れるようになりたくて捧げてきた。
でもなんの悔いもない。むしろこの程度でしか彼に恩は返せないと思ってる。
だって前世で一番苦しい時期の私に光をくれたのはルカさんだったもの。
前世の職場では人間関係がうまくいってなくて、奴隷のように扱われていた。化粧も上手くないから地味だなんだと揶揄されて…他人のやりたくない、地味で面倒だったり他人にものを教えては失敗に付き合わされるような仕事ばかりやっていた。
その上上司の苛立ちに付き合わされて、八つ当たりのように飛んでくる罵倒に何かを返すことも許されない日々。
本当に辛かった。生きていたくないというよりかは存在を根本から抹消したい人生。
大人になるというのは働くことでもあるし、家にお金もないからと高卒で就職したけど、そのせいで今があるなら奨学金の返済に首を絞められてでも大学でやりたいことをはっきりさせた方が良かったんじゃないか、なんてたらればばかりが頭をめぐって。
本当に限界ギリギリの時に親に勧められて勝手に送られてきたのが『神託の剣』。当時は何か気分転換にできるものを見つけるか、いっそ会社を辞めて実家に帰ってくるよう言われていたけど、そんな余裕はないと突っぱねていた時期でもあって。
かといって送られてきちゃったなら仕方ない…と読んでみるとわかりやすい導入とテンポの良いコマ割り、そして真っ直ぐなストーリーと時々少しだけ難しい設定に惹かれ読み進めるようになっていた。
寝る前に読む一冊が楽しみになっていった中で、私はそれを見る。
初登場時はレオの後ろに側近として仕えているような地味な登場で、でもモブにしてはキャラデザインが明確だなと思った程度だった。
でも勇者たちが旅立つその日、朝早くに出立の挨拶をするカトレアに向かって優しく微笑んだその姿を見た時、私の目は一筋の雫を流していて。
こんな優しい人に愛してもらえたら、なんて分不相応なことを考えてしまったんだ。
それをきっかけに気づけば私は関連書籍や外伝まで追いかけるようになっていて、進めば進むだけ知っていく彼の一面一面にまるで転がり落ちていくように惹かれていく。
でも彼はあくまで二次元の存在だ、決して私と交えることはない。しかしたとえ彼が三次元にいる存在だったとしても私は日陰者として彼を追いかけていっただろう。相手に対して迷惑をかけないように、というのはファンとしてそうあるべきだと私は思っている。
なら、せめて幸せを願うくらいなら許されないだろうかと、そればかりは考えていた。物語の後の彼が、誰か信用できる人を見つけて家庭を築くことができたり、カトレアを正式に引き取って一緒に暮らしていくことでもいい。たとえ独り身で過ごそうとも、そこに充実感を感じてもらえる人生であってくれたらとは、やはり考えてしまって。
それは今でも変わらない。
あの人が幸せになってくれるなら、私なんかその辺の石ころがいいのに。
どうして、あの時彼は死んでしまったんだろう。
あの瞬間、彼からは穏やかさも幸せも未来も…全てが失われてしまった。
それを見た瞬間、私は現実についていけなくて。でも彼はカトレアを護って死んでいった。それは彼らしい優しさの含まれた英雄的行動であることに違いない。
そんな彼をかっこいいと思う自分はいた。でもそれ以上に、本当に、ぽっかりと心に空いてしまった穴をどうしたらいいのかわからないまま…。
“ただ幸せになって欲しかっただけなのに”。そう思うたびに心の穴が広がっていく。
彼に何もできなかった悔しさが、悲しみが、喪失感が私を支配して…あの後、自分が死ぬまでのしばらくをどう過ごしていたかはぼんやりとしか思い出せない。
この世界で六歳という幼年の体に転生できたのは運が良かったと思う。ここまでの十年、少なくとも体を作っていくことはできたから。
少しでもこれがつながっていくといい。あの人が死なない未来に。
そんな長い長い話が、つい脳裏に逡巡する。
「まぁわからないでもないけどね。同期のなかじゃあたしたちが一番昇格遅かったし」
「落ちこぼれって馬鹿にされるのは慣れたし、あとは上まで這い上がっていくだけだよ」
「イザベラって二番隊志望だっけ?」
「うん。だからもっと頑張らないと」
二番隊はルカさんが率いている隊だ。必然的に一番隊はレオの隊になるわけだけど、新人がどこに配置されるのかは一〜十五番隊までの隊長たちの会議の結果に依存する。
「そういう根性論なところイザベラっぽい。一回決めると本当諦めないよね、他には微塵も興味示さないのに」
「そうかな? ニコのスイートロールへの執着には負けるけど」
「え〜! それを引き合いに出すのはずるくない? 仕方ないじゃん美味しいんだから」
私が少し茶化すだけでニコは眉間に皺を寄せて不満げに私を見てくるんだから、そういうとこに救われるんだよな。なんて失礼なことを考えてしまう。
コロコロと表情を変えながら感情豊かに話している彼女を見ると、穏やかな時間のありがたみを感じることができるから…その時間はやっぱ癒される。
「じゃあ式終わったら買いに行く? 今日非番だし」
「やった! お祝いだし二個買っちゃおっかな〜」
「じゃあ私はタルトでもつけるかなぁ」
彼女が来ただけで、さっきまでの重苦しいものが少しだけ軽くなっていく。
そうしてくだらない話を重ねながら、私たちは昇格式の会場へ向かった。
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